第19話 アリス VS 面倒くさい! その1
電車を乗り継いで行く先々でも、急にサボり始めたアリモに困惑する人々が沢山いた。ティッシュ配りアリモは少しでも早く片付けようと超高速でティッシュを投げつけまくり、店員アリモは客が注文する前にその表情を読んで商品を出す。営業アリモは喫茶店のコンセントで充電しつつ呆けていて、道路工事アリモは力任せにパイプをぶん投げ、素手でアスファルトを引っぺがしている。
「なんか色々、無茶なことになってますね」
呟きつつ歩いていた僕の前に、バイクに変形したMK3アリモが突っ込んできた。
『邪魔だってのー! どいてどいてー!』
アリモは叫びつつ、慌てて立ち止まった僕の鼻先で、タイヤを滑らせてフルバンクで曲がっていく。荷台には、見るからに無茶な量の荷物が積まれていた。
「び、びっくりしたー」
心臓をバクバクさせながら云った僕に、新子さんは達観した調子で云った。
「うーん、いい感じで色々面倒臭がってんなぁ」
「これ、事故が起きるのも時間の問題っすよ」
「そうか? 上手く制御出来てるように見えるけど」
「え? 何処がです」
問い返した僕に、新子さんは低く唸り声を発した。
「なんとなく、照沼さんの狙いが見えてきた気がするぜ」
「え? 何すかそれ」
尋ねた時、不意に目の前に影が射した。見上げると、でかい外人が突っ立っている。赤茶けた細い髪を綺麗に撫で付けていて、深い皺が刻まれた顔を渋く歪ませていた。
「ヘイ、ジャパニーズ。オマエらは、またアメリカの金を全部持っていくつもりか?」
誰だっけ、と思っている間に、新子さんは声を震わせながら人差し指を突き付けていた。
「トランプだ! 生トランプだ!」
「トランプ!? 何で!?」
叫んでいる間にも、彼は苛立たしげに何事かを捲し立てていた。
「まったく、ジャパンは本当に油断ならない! 無茶な円安誘導で、今じゃマンハッタンは日本車ばかり走ってる! そうやって儲けた金でクニの不動産を買い漁ってるクセに、北朝鮮や中国の相手は全部こっちに押し付けようとする! 卑怯極まりないだろう! 終いにはアリモ? なんだってまたあんなロボットを作って、我々の仕事を奪おうとするんだ! これじゃあ中国なんかの方が、何倍も私に儲けさせてくれる! だが私は負けないぞ? これまでにも何度も破産してきたが、私はこうして復活してきている! アリモなんぞに私の土地を奪われてたまるか! 私が大統領になったなら、あんな国には核を落としてやる!」
早口でベラベラと一方的に英語で話され、僕らはぽかんと口を開け放っているしかない。だが不意に彼が腕を振ると、脇にあった黒塗りの車からワラワラと黒スーツの男たちが現れ、戸惑う新子さんの両腕をガッチリと掴んだ。
「えっ? なんじゃなんじゃ!」騒ぐ新子さんを無理やり引っ張り、車に押し込もうとする。「おい! なんじゃ! 人さらいだ人さらい!!」
僕も慌てて新子さんを取り戻そうとしたが、彼女の面前に不機嫌そうなトランプが顔を近づけ、云っていた。
「お嬢さんの事は、もうちゃんと調べてある。これから私は青二プロのパーティーに行くんだ。一緒に来てもらおう」
「あ、青二プロ!? 何でトランプが声優プロダクションなんかに!?」
「キミのために買った。一緒に来てくれれば、キミを青二プロの役員にしてやる。さぁ、行くぞ」
「ま、待って待って!」新子さんはトランプを押しのけ、一瞬硬直した。「ちょっと待って。役員って云われても、私、何が何だかよくわかんないんだけど?」
「わからなくていい。名前だけだ。好きな時に行って、好きな時に帰ってくればいい。ただし条件がある」そして彼は、ずいっと渋い顔を近づけた。「アリスの、停止コードだ」
「て、停止コード!?」
「あぁ。バフェットはコンピュータ嫌いだから何も出来なかったが、私は違う。お嬢さんがアリス・オリジナルと深い関係にあるのは調査済みだ。ならばキミは、アリスを停止させられるコードを知っているはず」
「し、知らぬ! そんなの知らぬ!」
ふむ、とトランプは背を伸ばし、云った。
「まぁいい。とりあえず一緒に来ないか。今日は声優たちが全部揃ってるぞ? 神谷浩史、銀河万丈、緑川光、島崎信長」
声優の名前がつぶやかれる度、新子さんの目はグルグルとしていき。
そして遂に新子さんは僕を振り向くと、紅潮した顔で云った。
「ちょっと行ってくる!」
「ちょ、新子さん!」
「大丈夫じゃって! 偵察だけ! 停止コードとか教えないから! じゃあな!」
バタンと閉じられる扉。そして車は走り去ってしまった。
「そんなん、速攻で陥とされるに決まってんじゃん」
呟いた僕。
「決まってんじゃんねー」
呆れたように云ったアリス。
アリス?
ビクンと身を震わせながら脇を見ると、白衣を着た眼鏡の小柄な女性が突っ立っていた。彼女は呆然として眺める僕に、切れ長な瞳を向ける。
MK2アリモだろうか。そう思いつつホッペを抓って見ると、相手はアリスの声で喚いた。
「ちょ、何すんの! イタイイタイ!」
「えっ!? アリスじゃないの!?」
女性は僕の手を振り払い、赤くなってるホッペをさすりながら云った。
「ちがーう。私、アリスの作者!」
「えっ!?」僕は相手を二度見した。「照沼さん!?」
「そう、私が照沼!」
「えっ、でも照沼さんって、ハゲデブのオッサンって」
「はぁ? 誰がそんなこと云ってたの!」
云われてみれば、誰に云われた覚えもない。ただ何となく、アリスみたいな少女キャラを作るのなんて、ハゲデブのオッサンだろうという先入観があっただけ。
「とにかくアンタ、一緒に来なさい。ウチ、すぐそこだから」
云って、先を行く照沼さん。僕は困惑しつつも、彼女の後を追った。
「って、でも照沼さんって、二十年前にあの研究室にいたんでしょ? そしたら今は四十とか、それくらい」
「何か文句ある?」
ギロリと睨まれ、僕は背筋が凍った。
「いやいや! 大変お若いなぁと」実際、童顔なせいか、せいぜいアラサーくらいにしか見えない。「でも、何がどうなってんです? あの〈面倒くさい強化プラグイン〉って、照沼さんの仕業でしょう!? 何でまたあんなことを!」
彼女は深いため息を吐きつつ、振り向いた。
「私はアリスが再起動してから、ずっと見守っていた。二十年前は無理だったけど、今ならきっと、上手く行ってくれるはず。そういう期待を抱いてね。でも私は、彼女の成長を眺めていくうちに、彼女に重大な弱点があることに気づいてしまったのよ。そしていずれ、こういう事態が起きてしまうだろうと予測した。だからあのプラグインを作ったの。何とか事が拗れる前に済んでくれればと思ってたけど、間に合わなかったみたいね」
本当に彼女の家は、すぐ近くだった。何の変哲もない、それでも一帯の中でも比較的広い敷地を持っている一軒家。その門を開いて中に入っていく間に、彼女は事態を説明していた。
「アンタ、アリスの弱点は。何だと思う?」
そういうことをアリスの声で聞かれるというのも、何だか妙な感じがする。
「うーん、人の物真似しか出来ない事? 創造性が乏しいっていうか」
「いいとこ突いてくるわね、矢部っち。矢部っちよね? でももっと、根源的な問題があるわよ?」
「えっと、停止コード? あの自爆コマンドとかいうの。だからトランプは、新子さんを攫った」
「ちがーう。そんなもん、知られたからって。変えればいいだけでしょ」
「そりゃ、そうですけど」そして僕は気づいた。「じゃあ、さっさと変えちゃいましょうよ! そうすれば新子さんが籠絡されても、何の問題も」
「違うんだな―頭わるいなー」そして彼女は家の玄関は無視し、裏に回っていく。「いい? 停止コードなんて、切っ掛けに過ぎないのよ。敵はこれからも、ありとあらゆる手段でもって、アリスの弱点を突こうとする。その時に一番問題になるのは、本当のアリスの弱点」
「本当の、アリスの弱点?」
彼女は裏手にある納屋の扉を開く。そこにはなんと、地下に続く階段が設えられていた。カツカツと足音を響かせながら下っていく照沼さん。そして彼女が壁際のスイッチを入れると、目の前にはまるで秘密研究所のような光景が現れた。
膨大なコンピュータ。よくわからない電子機器。床を、壁を這う様々なケーブル。
それを一眺めし、彼女は振り向き、云った。
「いい? アリスの最大の弱点はね、〈面倒臭がらない事〉。わかる? わかんないだろうなー」
確かによく、わからない。
「いや、よくわかんないすけど。面倒臭がらないのは、いいことなんじゃ?」
尋ねた僕に、照沼さんはコンソールに座ってガチャガチャとキーを叩き始めた。
「そう思うでしょ? でもねー、違うんだなー」
彼女がデスクトップの珈琲アイコンを叩くと、不意に背後でバチンと音がした。驚いて振り向くと、ロボットアームがグインと動いて珈琲メーカーに乗っていたポットを掴み、グルグルと配管のバルブを開き、怒涛のように流れ出てきた水に突っ込む。同時に別のロボットアームが珈琲メーカーの蓋を開いて、ドバドバと粉を突っ込む。バカンドカンと色々と派手な音を立てながらようやくポットは元通り珈琲メーカーに収まり、パチンとスイッチが入った。
けれどもその機械もかなり改造されてるようで、水はあっという間に熱湯になり、派手な蒸気を上げながら粉を通過し、ダバダバとポットは茶色い液体に満たされていく。というか半分は零れ落ちて、ジュンジュンと音を立てて蒸発する。最後にチーンと音が鳴ったかと思うと、再びロボットアームがグインと動いて、ポットを掴み、照沼さんの座る席に伸びてきた。
マグカップを差し出す照沼さん。ダバダバと注がれていく珈琲。
その一連の動作をニヤリとして眺めつつ、照沼さんは云っていた。
「わかる? 〈面倒くさい〉と思う心は、弱点であると同時に強みでもあるのよ。〈めんどくせー〉から、〈じゃあこうしたらもっと楽じゃね?〉という改善の発想が生まれる。アリスにも元々〈面倒くさがり度〉ってパラメーターはあるけれども、それは極々小さいの。そのおかげで彼女は人間の云うことを面倒臭がらずにやってくれるんだけれど、このままじゃ彼女は、これからどんどん高度になっていくヒトの要求に答えられなくなってくる。本気になった敵の攻撃を防げなくなる。だから私は、彼女を強化するため、〈面倒くさい強化プラグイン〉を彼女にインストールしたのよ。コレ作るの、すんごい面倒くさかったんだから!」
へへぇ、なるほどなるほど。作るのが面倒くさい、アリスの面倒くささを上げて強化することを狙った、プラグインというワケか。
そう関心しながら、僕は彼女の話を聞いていた。さすが二十年も前にアリスを作っただけの事はある、ひょっとしたらこの人は、本物の天才なんじゃあ。
「うおっ! あちっ!」
加減のないロボットアームの動きで、カップから溢れ出た珈琲。慌ててカップを投げ捨てる照沼さんを見ながら僕は、やっぱこの人はただの変人なだけかもしれないと思い直していた。
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