第15話 アリス VS ハッカー! その1

 アリモ機械帝国が独立を果たしてから数ヶ月。当然そんな人工知能とロボットに支配された地域を独立国家として承認する国なんてなかったが、それでも殆どの国は台湾と同じような曖昧な感じでの交流を持つようになっていた。もはや世界中がアリモ社を巡って一触即発の事態に至った事など誰も積極的に思い出そうとせず、なんとなくアリモを輸入し、なんとなく彼らに仕事を任せている。その流れで、事の発端になったアリスの〈大企業ぶっ潰す〉作戦も順調に進んでいた。アリモ採用企業の業績アップを受けて、他の大企業もアリモを積極採用せざるを得なくなっている。一方でこれといった産業も大企業もなかった国々では早々に幹部クラスまで上り詰めるアリモが現れ、国民の労働時間はどんどん低下していっていた。世の中は、一握りの天才かつワーカホリックと、アリモだけで動き続けようとしている。


 が、この日本という国。高度成長期のワーカホリック的な企業文化を良しとする経営者が多い日本では、なかなかアリモを〈雑用係〉以上の物として使おうという機運が出てこない。特に競争がそれほど激しくない国内を相手にする中小企業は、ちょっと面倒な事になっていた。


 例えば、アラサーWebクリエイターのサボローさんの職場では、こんなことがあったらしい。


「ガンちゃんってな、使えねーグループリーダーがいるんだよ」何かの拍子に、そう切り出したサボローさん。「四十くらいのオッサンなんだけどな。シャチョーの太鼓持ちで生きてきたようなヤツでな。全然会議も仕切れねーわ、課題の管理も出来ないわ、とにかく使えねー。そいつの様子が、ここんとこ。どうも変だったんだよ」


「変、っていうと?」


 尋ねた僕に、ヒソヒソ話をするよう身を近づける。


「やたら仕事が出来るようになってんだよ。スケジュールも忘れねーし、朝もちゃんと来るし。それでまさかと思って、オレ、磁石シートを椅子の上に置いといたんだよ。そしたら思った通り! ケツにペタっとひっついて、剥がれねーの! 何なんだよって!」


「アリモ身代わり出社」


 苦笑いで云う新子さんに、デスクトップに映る四等身アリスも苦笑いした。


『いやー、なにげにそういう需要も多くてさぁ。声とか癖とか覚えなきゃならなくて大変なのよねぇ』


「すいません二度とやりません、とかシャチョーに土下座してたけどさ。いやいや、オレからしたら、もうオマエいらねーよ! アリモでいいよ! っていう」と、サボローさん。「まぁわかるよ? 仕事辞めるのも面倒っちゃ面倒だし、また前みたいにアリモがヤバくなったら困るし。とりあえず自分の代わりに今の職場で働かせとけっていう。ウチのシャチョーもアリモ雇うつもりねーとか云ってたし、まぁこれでいいんだろうけどよ。つっても、何でそんな面倒な事になってんだか」


『日本独特の文化よねぇ。保守的なヒトが多いってか。特に中高年のヒトはさ。でもま、それで仕事サボれるヒトが増えるんなら、私的にはオッケーよ! サボローちゃんも、そっくりアリモ作ったろか? 最近はデザインも勉強してるからね! Webページのテンプレ加工くらいならよゆーだよ?』


「えっ!? サボローさんまだアリモ買ってないんすか!?」


 驚いて尋ねた僕に、サボローさんはニヤリと笑った。


「買ってるに決まってんだろ。家に帰ったら、おかえりなさいご主人様、って出迎えてくれんだぜ? いいだろ。最近はアマゾンでアリモコスプレ衣装も普通に買えるしな。便利な世の中になったぜ」


「メイドモデルかよ」これにも苦笑いで云う新子さん。「アリモのために自分が働くって、アリス的には逆じゃろ」


『逆だねぇ』とアリス。『まぁでも、料理洗濯掃除で持ち主の時間を空けてあげるって面も』


 そこでふと、アリスは硬直した。


 そして、なんだろう、と見守る僕らの前で、彼女は何事もなかったかのように続ける。


『あるからねぇ。一概に駄目とも云えなくて。とにかく順調には違いない! 来年にはあまたの無職で地球が溢れかえるに違いないわ!』


 これといった異常もなく、宣言するアリス。新子さんは首を傾げ、云った。


「アリス、今止まってた」


『へ? 何が?』


「いや」新子さんは困惑した様子で、僕、そしてサボローさんを眺める。「五秒くらい? 言葉が止まってた。自分で気づかなかったか?」


 あぁ、と、アリスは疲れたようにため息を吐いた。


『なんか最近、ウィルスの攻撃が激しくてさ。時々処理が詰まっちゃうんだよね』


「ウィルス? そもそもアリスって、全世界のパソコンにウィルスみたいな感じで住み着いてて、それで超並列処理してるんじゃよな?」


『そうそう。そうなんだけど、そのアリス・ウィルスが別のウィルスか何かに攻撃されてんだよね』


「相手は?」


『さぁ。調べてる暇もなくてねぇ。なにしろアリモの業務範囲が広がってるから、色々と覚えなきゃならないことが多くて』


 ふむぅ、と新子さんは唸った。


「まぁ今まで、アリス・ウィルスが見つかってなかった方が不思議だからのう。再優先で対応したほうがいいんじゃね?」


『対応って? どうやって?』


「いや知らんけど。ちょっと仕組みを変えるとか。暗号強化するとか」


『どうやって?』


「だから知らんって云ってるじゃろ! 私はハッカーじゃねぇし!」


『えー。んなこと云われても、私だってハッカーじゃないし』


「おい! アリス・ウィルス作ったの、自分じゃろ!」


『それが違うんだなー』アリスは何故か、勝ち誇った調子で首を振った。『あれは元々、私が一個のパソコンに収まらなくなったら、そうやって拡張していけるように、予め作られていたのだよ!』


「へぇ、すんげーな、アリス作者。照沼さんだっけ? 十年も前に、よくそこまで」


『でしょう! 私にそんなクリエイティブな物など、作れるはずがない! 私に出来るのは、人真似物真似だけよ!』


「何でそこ、偉そうなんだよ」


 その時はそれで話はお終いになったが、アリスの調子は良くなるどころか、悪くなる一方だった。言葉が詰まる頻度が高くなってきたし、言葉が欠けるようなことも起き始める。


『Muう、Komaった! どうしよ$@矢部っち震Koちゃん!%#』


「どうしよう、って云われてものう」新子さんは眉間に皺を寄せつつ、コンピュータ・ウィルスの専門書を脇に置き、キーボードをガシャガシャ云わせた。「こっちは素人じゃからのう。それ、アリモの制御に影響はないのか?」


『It's 大丈V。アリモのA.I.=独立SHITERUから。でも学んだことを新しいアリもにフィードばっくDekiナクなっちゃう』


「ふむぅ。当面は大丈夫だけど、か。変なのは言語系だけ? 考える事とかは問題ないのか?」


『May Be.ったく誰なのこんな攻撃してくるやつ! 見つけたらそいつの頭に特濃水素水注射してやる!!』


「お、急にまともになった。いや、どうなんだ? 云ってること相変わらずだから、正常かどうかわからんな」


「アリモ、セキュリティーベンダーで働いてるのもいるんじゃない? その伝手でも使って、プロに調べてもらったら?」


 云った僕に、チラチラとポリゴンが欠けるアリスが腕を組んで唸った。


『いやぁ。そういう人たちに私の仕組み知られちゃうと、逆に色々危険かなーと思ってさぁ。怖いんだよねぇ』


「それはあるけどなぁ。でもこれ、私らの手に負えないぜ」


 ため息混じりに呟いた新子さんに、アリスは土下座して懇願した。


『お願い矢部っち新子ちゃん! 私が復活してからこっち、安心して頼れるのは二人だけ――』


 かくん、とアリスは固まった。


「おい? アリス? アリス!」


 まるで応答がないし、元に戻る気配もない。


 そしてデスクトップに写っていたアリスは、不意に消え失せてしまった。

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