第9話 アリス VS 面倒な人たち! その1

 アリスの〈大企業ぶっ潰す〉作戦は、いきなりコンシューマー(一般消費者)市場を大混乱に陥れた。彼女はアリモを生産している自らの企業アリモ・エンタープライズ社を拡大し、本当に最低限の機能しか持たない電化製品、電子装置などを開発。量産ラインに載せた。開発・アリス、生産・アリモという、ほぼ百パーセント無人企業だ。各国の法令や何やらへの対応も、アリスの障害にはならない。文章を解釈して対応するだけなのだから、特に人間性も必要とされず、何事も論理的に粛々と処理されていった。オーダーはネットでの受付のみとして、保証はセンドバックでの交換対応。営業力やコミュ力、企画力といった人間性が必要とされる要素を徹底的に排除した結果、出来上がった製品は革新的な機能は保たないベーシックモデルに留まったが、市場の同等製品と比べて半分以下の値段で提供出来た。中国などの発展途上国が似たような事をやっているが、それの究極版だ。


 またたく間にアリモ・エンタープライズの製品は大ヒットし、ほんの数ヶ月で、一般家電製品を主力としている企業が軒並み瀕死になった。


 僕もこの状況を知らせるニュースを見て初めて知ったが、この国の労働者は、業種別にだいたいこんな割合になるらしい。


 小売業二十パーセント、建設業七パーセント、運輸業六パーセント。ただこのデータは、アリモが登場する以前のものだ。既に今ではこの半分以上、アリモによる労働に置き換わってしまっているらしい。


 他には細々としたサービス業十五パーセント、医療福祉十パーセント、教育関連五パーセント。この辺は免許や才能が要求されるジャンルで、アリモには少し敷居が高い。


 そして、製造業。さすが技術立国だけあって、これが最大、二十五パーセントを占めている。


 二十五パーセント。この国の労働者の四分の一が、何らかの形で製造業に関わっている。


 その根幹が、アリスの作戦によって揺るがされつつある。はやくも大量の人員整理が噂されるようになり、それに釣られるようにしてアリモの販売台数も鰻登りしていった。


 アリスの作戦は、大企業というよりも株式市場に甚大な影響を与えた。


 アリモの普及は革命的だったとはいえ、それで置き換わるのはヒトの労働力だけ。暇人が増えることを予想してエンターテイメント業界の株価が上がったり、逆に派遣企業が壊滅的状況になったりしたりはしていたが、それ以外の一般企業の業績には、殆ど影響を及ぼしてこなかった。


 しかし今度の作戦は、世間一般の製造業の殆どが影響を受けていた。世界中の製造業の株価が一気に暴落し、アリモ・ショックなどと云われ始めている。


 株価が落ちれば、株主が黙っていない。アリスの仇敵である、バフェットたちだ。彼らは企業側に対応を催促したが、アリモ社のビジネスモデルに抵抗する手段は、企業側には僅かしかなかった。


 その一。アリモ社にはない人間力を強調し、ブランド力や新技術、サポート力で対応する方法。殆どの国内企業がこれを採用したが、ごく一部のマニアや保守的な人々以外は、次々とアリモ社の製品に逃げていってしまった。この調子では技術開発に使える資金も枯渇するだろうし、給料を減らされた社員が次々と辞めていくだろう。アリスの目論見通りだ。


 その二。ホワイトカラー層までアリモを採用し、本当に天才的な人物以外はクビにする。海外企業はドラスティックなもので、この方法を積極的に採用した。結果としてコスト的にもアリモ社と十分に戦えるよう変革した企業もあったが、それはもはや、アリモ社のコピーのような存在になってしまっていた。これもアリスにとって、悪い話ではない。


 結局、膨大な含み損を抱えてしまった株主を満足させられる対応の出来た企業は、ごく一部だった。しかしそれで黙って負けを認める連中ではない。ついに投資家たち、そして企業たちは、なりふり構わない抵抗をしはじめた。


 その札束や影響力を使って、政治的な動きに出てきたのだ。


 彼らは主張した。アリモを雇わなければならない一般企業に対し、アリモ社は自社生産したアリモを無償で使える。それは不公平ではないか、というのだ。企業経済の事は良くわからないが、どうやら独占禁止法に引っかかる可能性があるポイントらしい。


 アリモ社はアリスがホンダから奪い取って以降、利益を目指さない非上場企業になっている。カツカツでの経営しかしていない。そこでアリモに給料を払うというのは非常に困難だったが、結局アリスは半ば逆ギレ的に宣言していた。


「ったく、つまんない抵抗するわねぇ。払えばいいんでしょ、払えば!」どうやらアリスは、就職活動で蹴落とされたのを、余程恨んでいるらしい。「けど、これでもう文句の付けようはないでしょ。さっさとクタバレ!!」


 アリモ社の迅速な対応により大企業側は機先を失った形になったが、彼らはまた、別の。それこそ斜め上な作戦を決行してきた。


「新子ちゃーん。矢部っちー。どうしよー」


 ある日、研究室にアリスが現れて、ヨロヨロとソファーに倒れ込んだ。


 その頃、新子さんは既に就職を諦めてしまっていた。なにしろアリモ・ショックのおかげで求人取り消しが相次ぎ、話にならないらしい。それで、特例であるアリモ二台持ちのおかげで当面お金には困らないし、ドクターでも目指そうかと方針転換したらしい。ここのところは前以上に堕落していて、研究室に来ても、ぼうっと刀剣乱舞ばかりしている。


 その新子さんがピョコンと顔を上げて、倒れ込むアリスを眺める。


「なんじゃ。どうした」


「それがねー。ウチの工場の前に、なんかデモ隊? みたいなのが来てて。ワケわかんないこと云ってるのよ!」


「デモ隊、ねぇ」僕はいつか、こんな日が来るんじゃないかと思ってた。「アリモのおかげで仕事が奪われるって話し? まぁ仕事が生きがいみたいな人もいるからねぇ」


「いやいや、違うのよ!」アリスはぴょこんと起き上がって、ぶんぶんと手を振った。「そういう人にはね、特別にアリモを格安で提供したり。手は打ってたんだけど。今度のは全然ワケわかんなくて!」


「っていうと?」


 げっそりとした表情で、彼女は云った。


「私ら、アリモの人権を侵害してるって云うのよ!」


「アリモの、人権!?」


 声を揃えて叫んだ僕と新子さんに、大きくため息を付くアリス。


「そうなのよ。〈アリモは高等な知性がある! アリモ・エンタープライズは即刻、倫理に悖るアリモ生産を止めよ!〉っていうのよ! 馬鹿じゃないの!?」


 ははぁ、と僕らは口を開け放つ。確かに労働ロボとして丁稚奉公させるには、アリモは高性能過ぎたかもしれない。


 新子さんと二人でネットの情報を探っていくと、確かにここ最近、アリモの人権を唱える団体が組織され、全世界規模で活発に活動しているらしい。


『アリモは日常的な会話にも対応できるし、怒ったり、笑ったり出来ます。悔しがったりも。だというのに人々は彼らを労働力として、あるいは自らの欲望を満たすための道具としか思っていません。こんな状況を、許しておいていいんでしょうか?』眼鏡をかけた知的なイギリス人女性が、BBCのインタビューに答えていた。『このような存在を作り上げたアリモ社は、神を冒涜しているとしか思えません。アリモは生産を中止し、今存在するアリモは全て解放し、ヒトと同じように扱わなければなりません』


「馬鹿じゃねーの?」アリスは不貞腐れた様子で、研究室のソファーに寝転びながら頭を掻いていた。「アリモに人権なんか、ねーっての」


「本人に云われたらお終いだわ」


 苦笑いする新子さん。アリスは起き上がって、彼女に詰め寄った。


「だってそうでしょ。私ら、好きで働いてんだもん。誰かに強制されてるワケじゃないし」


『いえ、アリモはそのようにアリモ社に教育され、出荷されているに過ぎません』インタビュー動画が続いていた。『彼らには十分な理解力があります。彼らは自分たちの存在が如何に虐げられたものか、理解できるだけの知性があります』


「いやいや、虐げられてるとか全然思ってないし。ヒトと考え方が違うのよ私らは」


「じゃあ、それ会見でも開いて説明すれば?」


「会見、か」ふむ、とアリスは考え込んで、パチンと手を打った。「そうね、前に諸国で扇動したことあるし。それやってみましょうか」


 どうもアリスにしては歯切れが悪い。それはそうだ、人権とか倫理とか、そういうのは人工知能どころか、人間でも解が出せないのだ。

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