第6話 アリス VS 資本主義の豚! その2

 まるで現実の事とは思えない事態が、どんどん進んでいく。バフェットの手下たちが研究室に乗り込んできて、アリスの住処となっていたコンピュータ環境の電源をパシパシと切っていき、どんどん運び出していく。代わりに積まれていくのは札束だ。それは狭い研究室の机二つ分ほどを埋め尽くし、僕と新子さんが口を開け放っている間に全てが終わる。最後に黒服の男は、一枚の紙を机に残していった。取引証書のようなものだ。『パソコン一式、金五百億』。そんな内容。


 静まり返り、茫然自失する僕。それでも新子さんよりは先に自分を取り戻して、慌てて札束の山の前に駆け寄った。


「ちょ、新子さん、これは不味いでしょう!」


 ビクリ、と身を震わせ、溢れ出かけていたヨダレを拭う新子さん。


「た、確かにな。学校の備品、勝手に売るのはイカンよな」


「そこですか!? アリスですよアリス! フロッピーも持ってかれちゃって。どうするつもりですか!」


「どう? どうって、何が!?」まるで話が通じない。それでもヨロヨロと新子さんは札束の前に歩み寄り、震える手で山の表面に触れた。「こ、これってさ、税金とかどうなんのかな? 贈与税? 消費税?」


 確かにこの札束の処理も問題だが、それよりアリスが問題だ。バフェットはアリスをどうするつもりだろう。破壊でもされてしまったら、あまりにも可愛そうだ。


「サボローさん!」僕はスマホを取り出して、彼のLINEアカウントに呼びかける。「ちょっとサボローさん、大変なんですよ!」


『おう矢部っち。悪いな今、アリスの仕事の手伝いで忙しいんだ。後でいいか?』


「いやいや、そのアリスが問題なんですよ!」


『私の何が?』


 ニュルッ、とスマホの中に現れるアリス。僕は完全に混乱して、元々アリスが稼働していたコンピュータがあった場所に顔を向ける。やはりその痕跡は、完全になくなっている。けれどもスマホの中にいるアリスは元通りで、まるで言葉が出てこなかった。


「ア、アリス? どうなってんの?」


『何が? ちょっと矢部っち、私忙しいんだけど!』


「いやいや、だって」


 まるで考えられずにいる僕。その肩に、ポン、と手が置かれた。

 新子さんだ。


「オマエ、ウチの研究室で。何を学んどるんじゃ! 私が本気でアリスを売ると思うか?」


 完全に息を吹き返して云う新子さんに、僕は問い返した。


「何って。えぇっ!? どういうことです!?」


『ちょ、スターップ!』アリスが慌てて遮った。『新子ちゃん、とうとう来たのかヤツが!?』


「うん。来た来た。そんで五百億で売った。どーすんのこれ」


 アリスは感動に身を震わせ、よっしゃー、と飛び上がった。一方で僕は、相変わらずワケがわからない。


「待って待って新子さん。何なんすか一体!」


「阿呆。アリスはとっくに、ウチのコンピュータじゃ収まらないプログラムになってんの。やってること見たら、わかるじゃろ。Core5iのパソコンで、スイス銀行ハッキングしたり、全世界に動画配信出来るワケがないじゃろ」


「えっ。えぇっ!? じゃあ、アリスの実体って、今は何処に?」


「知らん。草薙素子みたく、ウィルスみたいになってんじゃね?」


 云った新子さんに、アリスは笑顔で答えた。


『さっすが新子ちゃん。その通り! 今の私は、特に何処かで動いてるワケじゃないんだよねー。全世界のパソコンにウィルスみたいな感じで入り込んでて、超並列稼働してんの』


「ま、そうでもしないと。こんだけの事、出来るはずがないもんな」


 予想が裏付けられて、したり顔で頷く新子さん。一方の僕は、ははぁ、と何となくわかった気にはなったが、すぐに別の問題を思いついた。


「じゃ、じゃあ、バフェットが持ってったのは、ただのパソコンってことですか? それってヤバくないですか! 詐欺ですよ詐欺!」


「そんなの知らん。そこはアリスが何とかしてくれるじゃろ。そもそもバフェットか誰かが来たら、出来るだけ高く売れって云ったの、アリスだしな」


 アリスが?


「えっ、じゃあこれって何かの計画の内ってこと?」


『そのとーり!』アリスはパチンと指を弾いた。『云ったでしょ矢部っち。ちゃんと考えがあるって! そりゃあデモや何やらは連中に対する宣戦布告の意味もあるけど、こっちには計画を進めるための資金がなかったからさ。ついでに貰っちゃおうと思って。騒ぎが大きくなってくれば、連中は金で解決しようとするはず。そう思って待ち構えてたってワケ!』


 ははぁ、と口を開け放つ僕。そして新子さんは、首を傾げながら尋ねた。


「つってもアリス、金が欲しいだけなら、石油王の時みたくハッキングすればよかったじゃろ。何でこんな面倒なことを?」


『いやいや、そりゃあ技を使えば怪しい金は手に入るけどさ。それで事業を起こすのは難しいじゃない。だから、ある程度綺麗なお金が欲しかったの』


「事業?」と、僕は五百億の山を見上げた。「この五百億で、何をするつもりなの」


 アリスはギラリと目を輝かせ、グッと親指を立てた。


『先ずは、ホンダの株を買う!』


「ホンダ!?」同時に叫ぶ僕と新子さん。「何でホンダ!?」


『まぁまぁ、見てなって!』


 楽しげに云うアリス。僕と新子さんは、当惑して顔を見合わせるしかなかった。


 しかしホンダを買うといっても、あの会社の時価総額は数兆円だ。とても五百億程度じゃあ買収なんて出来ないが、どうやらアリスの狙いは車やバイク事業ではなく、その生産設備にあったらしい。彼女は大量の株式を取得して息のかかった執行役員を送り込むと、『採算性が見込めないから』という理由で二足歩行ロボットの研究開発・生産部門を強引に子会社化し、手中に納めてしまった。かの有名な、アシモだ。


 そのニュースに接し、新子さんはしたり顔で呟く。


「ははぁ、アリスのやろうとしてること、見えてきた気がするぜ」


「何すか、一体」


『これだー!』


 急な叫び声に、ビクリと身を震わせる。振り返ると、かのアシモが、鈍いモーター音を響かせながら研究室に入ってきた。歩き方、超自然。しかもスムーズに身を捩り、開いた扉を静かに閉じたりも出来る。


「うおー、すげー。普通に動くじゃんね」


 目を丸くしながら、しげしげとその百三十センチくらいなロボットを眺める新子さん。一方のアシモはチカチカとLEDを瞬かせつつ云う。


『そうなのよ。もうロボットの構造は出来てるのよね。後はソフトが追いついてなかっただけで』アリスの声だ。『なのでそこに、私のコピーを載せてみたかったのよ。どう? これでもう、だいたいの事は出来るはず!』


 凄い。確かに凄い。


 けれども未だに僕は、アリスの考えていることがよくわからなかった。


「つまりアリスは、五百億で肉体が欲しかった、ってこと?」


『やだなぁ、違うわよ矢部っち』フルフルと片手を振るアシモ。いやアリス。『考えてもみて? どうして人々は遊んでいられないのか!』


「どうしてって、そりゃあ。働かなきゃならないから」


『単純だけど、その通り! じゃあ、矢部っちの代わりに、ロボットが働いてくれたら!? 毎日遊べるでしょう!』


 そりゃ、そうだけれども。


「アリス。それさぁ」と、新子さんがため息混じりに。「話は単純明快だけどさ。そんな労働ロボット作ってもさ。結局企業がそれ採用して、ヒトが単純労働する必要がなくなっても。仕事がなくなって逆に食えない人が一杯出てくるだけじゃろ」


『それくらい、私だってわかってる。工業化の度に繰り返されてきたお話だもの。だからね、この〈アリモ〉は、企業には売らぬ!』


「ア、アリモだと!?」


『そう! この高性能人工知能を搭載した労働ロボット〈アリモ〉は、企業には決して売らぬ! 一人一台限定、全世界に対し、十万円で販売する! ただいま絶賛量産中よ!』


「十万円!? 安すぎ!」


『まぁハードの原価はそんなもんよ。でもソフト費用はタダだし、生産ラインもアリモが動かせるし! 人件費も殆どゼロ! だからこのお手頃価格で! 全人類が! 単純労働を肩代わりしてくれる労働ロボットを! 手に入れられるのよ! そいつをコンビニバイトに派遣して時給をもらってもいいし! トラック運転手にして全国を巡らせてもいい! 好きに使ってよし! ただし、決して企業には売らぬ! 一人一台! これ絶対! 金が欲しけりゃ子供作れ! そしたらもう一台売ってやる! どうよこの革命的な新世界モデルは!』


 あまりにも革新的すぎて、その先にどんな世界が待ち受けているのか、まるで想像が出来ない。それは新子さんも同じようで、散々首を傾げなら尋ねた。


「いや、確かにそれだと、そんなに労働力過剰で失業率が上がるような事もないだろうし。十万くらいなら、貧乏人でも頑張って溜めれば買えるだろうけど。結局それって、中身はアリスなんじゃろ?」


『そう。何か問題?』


「アリス、医者の代わりとか、できんの?」


『馬鹿ねぇ、優秀な外科医は精密機械みたいなもんよ? 私は精密機械そのものよ? ミリ単位どころか、ナノ単位で血管を縫合してみせるわ!』


「じゃあ、研究開発とかは?」


『だから、研究開発とか! 進歩とか! しなくていいのよ人類は!』モーターを唸らせ、キーッ、と叫び声を上げる。『労働ロボットを買って、放つだけで、食っていくくらいの金が手に入る! あとは遊べ! 堕落しろ! 企業? 経営者? 投資家? 知るか! 精々ロボットをこき使って稼げばいいわ! テメーらが幾らそれで金を稼いだって、最早それでヒトを奴隷にすることは出来ない! いいことずくしじゃん! 何か問題あるか!』


 特にすぐには、思いつかない。けれども。


「〈アリモ〉って名前は、ないと思う」


 辛うじて云った僕に、アリスは沈黙した。


 結局労働ロボットは〈アリモ〉という名前のまま、全世界で一斉に発売開始された。一ヶ月で一億台も売れて生産が追いつかず、今度新しい工場を建てるらしい。

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