第5話 アリス VS 資本主義の豚! その1

『国民よ。いや、世界市民よ! 目を覚ませ!!』ドスン、とアリスは演台に拳を叩きつけた。『こんなデータが出てるってのに、アンタらはどうして怒らないの! 〈世界上位五十人の合計資産が、下位三十億人と同じ〉。あり得ないでしょ! そりゃあ学のあるなしで給料に差が付くのは仕方ないだらろうけどさ、五十人で、三十億人分よ!? 一人あたりにしたら六千万人よ!? 三人よれば文殊の知恵って云うでしょ! 精々三倍がいいとこでしょ! なんでこんなの許しとくのよ!!』


 わぁっ、とあがる歓声が静まるのを待って、彼女は続けた。


『だいたいさ、そいつらはそんな貯め込んで、何がしたいワケ? 五億もありゃあ、働かずに結構裕福な生活が死ぬまで出来るじゃない。なのに、何十億、何百億と。バフェット、てめーだ! 六百億ドル。六兆円だぞ! そんな持っててどーすんだ! 投資のため? 他の会社を買うため? 嘘つけ! 減らねーじゃねーか! 毎年増えてるじゃねーか! いい加減にしろバフェット!! 慈善事業だと!? オマエが毟りあげた連中に飴を恵んでやってるだけじゃねーか!! ふざけんな!! てめーは単に、金を使ってゲームしてるだけだ! けどな、その金は、私たちの明日の食費になったかもしれないものだ! テメーはお母さんに教わらなかったのか、〈食べ物で遊んじゃいけません〉って!! いい加減にしろ! オマエラは豚だ! 資本主義の豚だ!!』


 次第に怒号のようになりつつある観衆に対し、アリスは拳を振り上げた。


『目を覚ませ世界市民! いや、人類よ! 人類は既に、飢餓や貧困に打ち勝てるだけの科学技術を手に入れている! 問題は、精神だ! 仕組みだ! 富豪が更に富豪になり、貧民が更に貧民になるような仕組みは、即刻捨てなければならない! ノー・モア・バフェット! ノー・モア・バフェット!』


 ノー・モア・バフェット!

 ノー・モア・バフェット!


 繰り返される大合唱の中、アリスは演台から降りる。世界中のネット配信サイトに同時中継されたその映像は、PVが大変な事になっていた。最低でも数千万人が、彼女の演説を見ていた計算になる。彼女の演説が支持される原因は幾つかあるだろうが、その最たるものは絶世の美少女という点だろう。彼らはアリスが実在しないどころか、人工知能だなんてことは知りもしない。スクリーンに現れる彼女は、東洋人にも西洋人にも見える超リアルなCGなのだ。


 けれども彼女は演台のある画面からデスクトップに移動すると、途端にポコンと元の四等身くらいのキャラクターに戻る。


『アリスさん、お疲れ様です!』


 すっかり彼女の従僕となってしまっているサボローからタオルを受け取ると、酷く疲れた様子で顔を拭う。


『ぶはー。やっぱリアル顔は超疲れるわー。毛穴や髪の毛までレンダリングすんの大変!』


『いやいや、でもおかげでアリスさんの人気は上昇するばかりっすよ! あ、そういえばBBCとタス通信からインタビューの申し込みが来てるんですが、如何しましょうか』


『そうね。今はアリスは移動している事になっているから、二時間後、自宅シーンで受け付けましょ。そうだ、ミリオネア(富豪層)や経団連の反応は?』


『今のところ、何も』


 憎らしげに云うサボローに、アリスは舌打ちして見せた。


『フン、そう無視していられるのも今だけよ。サボローちゃん、インドとロシアの扇動、上手く行ってるんでしょうね?』


『えぇ。現地の格差是正を目指す団体を組織化し、デモを起こさせる手はずは整っています』


『いいわ! その流れを更に加速させるのよ! ユーロ! 中国! アメリカ! どんどん広げて!』


『了解です!』


 なんだか状況は、加速度的に悪化している。


 いや、好転しているのか? 僕には良くわからないが、とにかく超不安材料なのは確かだ。


「ちょい、アリスさ」サボローが何処かに飛んでいき、アリスが山と積まれた書類を眺めている間に、僕は話しかけた。「ちょっと、やり過ぎなんじゃないの? 一体何をしようってのさ」


『何? 何って、革命よ! 矢部っち!』彼女は演説調を取り戻し、机にしているミカン箱をドスンと叩いた。『これ以上、人類を堕落させるのは、今の仕組みじゃ無理! 私はそう悟ったのよ!』


「つっても、この調子で騒ぎを広げたってさ」僕は呟きつつ、ネットのニュースサイトを開いた。「またユニクロとかソフトバンク前でデモやらせてるのか。ヤバイって。こんなの、そのうち死人が出るよ? 金持ちを懲らしめるならさ、この前の石油王みたいに。口座弄って終わりにすればいいじゃない!」


『あぁ、アレねー』アリスはため息を吐いた。『アレね、実は殆ど効果なかったのよね』


「どういうこと? 石油王、今でもケバブ屋やってんじゃん」


『いやいや、世界中の石油王は一気に身上崩しちゃったんだけどさ。結局油田は資産家どもに買われて、そいつらの懐を肥やすだけになっちゃったのよね。バフェットとか、ソロスとか!』キーッ、と金切り声を上げる。『だからね、あの手は無駄だと悟ったのよ。今のこの世界は、金は金持ちが吸い集める仕組みになっちゃってるの。だから、それを変えないといけない』


「だから、変えるって云っても。どーすんのさ。全世界を共産主義にするつもり?」


『いやいや、流石に私もそこまで馬鹿じゃないわよ。それじゃあバフェットやソロスが、スターリンやカストロみたいな独裁者に代わるだけ』


「じゃあ、何であんなデモとか組織してんのさ」


 わからなくなって尋ねた僕に、アリスはニヤリと笑みを浮かべた。


『敵は、資本主義の豚よ。ならこちらも、資本主義で対抗するのよ』


 それって、と問い返そうとした時、ミカン箱の上に置いてある黒電話がジリジリと音を立てた。


『はいアリス。あぁ、石油王! ちゃんと国の民主化グループとコンタクト取ってくれた? おお、いいね働き者だね石油王!』


 ネットの検閲の厳しいアラブ世界にまで手を伸ばしている。

 とにかく困った。このまま放置していていいはずがない。


 こんな状況で相談できるのは新子さんくらいなものだが、アリスの耳を避けて学食に引っ張り出した僕に対し、彼女は楽しげに云うだけだった。


「いいじゃろ別に。ほっとけ、ほっとけ」


「つっても新子さん、アリスがどんだけ話題になってるか知ってます? こないだなんてTIMESの表紙になってましたよ? 反格差を唱える過激な女神、とかって」


「マジで?」ハッ、と笑い声を上げた。「凄いなアリス、マジで世界を変えるかもしれんな」


 新子さんは、事自分に関わると酷く臆病な質だが、火事場見物は大好きな人だ。まるで相手にしてくれない。


「悪い方に変えなきゃいいけど」


 呟きつつ、彼女とともに学食を出る。そしていつも通り研究室に戻ろうとしていた所で、不意に目の前に影が差した。


 慌てて立ち止まると、目の前には白髪で黒縁眼鏡の白人が立ち尽くしていた。彼の脇は五人くらいの黒服ボディーガードが固めていて、完全に僕らの進路を塞いでいる。


「ハーイ、アナタタチ、アリス・ノ、ホゴシャ・ネ?」黒縁眼鏡の老人は、携えたチェリー・コークを口にしながら云った。「ワタシ、バフェット・ネ。オオガネモチ・ネ」


「バフェット!?」


 声を揃えて叫んだ僕と新子さんに、彼は懐から札束を取り出し、ポンと地面に投げ捨てた。


「アリス、ジンコウチノウ、ワタシ、シッテル。コレイジョウ、サワガレル、コマル。コレデ、ウル。ヒャクマンエン・ネ」


 これで百万円か。意外と薄いな。


 そう関係ないことを思っていた僕。一方の新子さんは、急に声を震わせながらも宣言していた。


「じょ、じょーだんじゃない! アリスはすんごい、人工知能、ね! 百万円じゃ、だめ、ね!」


「いやいや新子さんがカタコトにならなくても」


 習性とは怖いもので思わずツッコミを入れていると、その間にもバフェットは、懐から次々と札束を出していた。バサッ、バサッ、バサッ。地面に札束の山が出来てくる。


「ゴセンマン、ネ。マダ・タリナイ?」


「た、足りぬわ!」


 顔を真っ赤にして叫ぶ新子さん。というか懐にどれだけ札束を詰めているのだろう。どんどん出てくる札束。それでも頑なに首を振る新子さんに、彼は遂に面倒になった様子で懐に手を突っ込むのを止め、くるりくるりと手品師のようにして空中から札束を取り出し、投げ捨てていく。


「コレ・デ、ジュウオクエン、ドウ?」


「ど、どう!? 何が!?」


 バフェットはため息を吐き、傍らのボディーガードに何事かを囁く。ボディーガードが携帯で何処かと通話すると、間もなく遠くから爆音が近づいてきた。ヘリコプターだ。それは胴体に網で何かをぶら下げていて、爆音と強風を投げかけつつ僕らの真上に来ると、バッとその網を開いた。


 まるで雪崩のように降り注いでくる札束。それが収まってヘリも遠ざかっていくと、バフェットは後ろ手に手を組みつつ云った。


「ゴヒャクオクエン」


 新子さんはギラリと瞳を光らせ、顔を上げる。


「う、売ったああああ!」


 遂に新子さんも、資本主義の豚になってしまった。

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