第3話 アリス VS サボロー! その1

 またしても人生に疲れ果ててしまった僕が研究室のソファーで漫画を読んでいると、何処かに出かけていたらしいアリスが楽しげな調子で戻ってくる。


『ただいまー。って矢部っち何やってんの!』


 叫びながら、漫画を表示させていたタブレットに飛び込んできた。最近覚えた技で、これをされては何処にも逃げようがない。せっかくいいとこなのに、と思いつつ、仕方がなく応じた。


「何って。ハンタ再開するらしいから。復習してた。って」ふとアリスの上にある時計に気がついた。「やっべ、もうこんな時間かよ!」


『待って待って! 私が幾ら宿題だ何だの手伝いしても全然堕落しなかったのに、何で急に! ずるいでしょそれ!』


 よくわからない怒り方をしている。そして僕も、何で急に漫画アプリを起動してしまったのか、よくわからない。


「何でって云われても」頭を掻き、そもそも何をしていたのか思い出す。「いやいや、明日の一限の宿題やんなきゃ」


『スターップ!』机に戻りかけた僕を、アリスは遮った。『ここんとこ、私がどんなに頑張っても脇目を振らなかった矢部っちが、どうして漫画に逃げたのか! 話すまで! 私はここを動かない!』


「いやもう漫画読まないから。別にいいけど」無視して机のパソコンを開くと、アリスが二十倍くらいの大きさになってデスクトップを塞いでいた。「ちょっと待てよアリス。それは反則だろ」仕方なく、記憶を辿る。「つか、何でだっけ? えーっと。あぁ、思い出した」


『なになに?』


「ちょっとどいて」シュルシュルと小さくなったアリス。僕はブラウザを操作して、一つのページを表示させた。「ちょっと一休みでツイッター眺めてたらさ、ここに行き当たって。そんでフラフラと」


 真っ黄色な背景に、真っ黒なシルエットの棒人間がいる。それはソファーに寝っ転がりながら、こう、云っていた。


〈よう、さぼろうぜ〉


『サボロー、だと!?』


 ぐわっ、とブラウザに食いつくアリス。僕は仕方がなく解説した。


「そう。どっかの予備校のキャラクターらしいんだけどさ。なかなかいい感じでサボらせようとするんだよ。それで何となく、急に色々馬鹿らしくなってだな」


 アリスは例によって決死の表情でサボローのホームページを眺めると、急にドスンとデスクトップに拳を叩きつけた。


『何よコイツ、私のパクリじゃない!』


「正確に云うと、アリスがコイツのパクリだよね。こいつは三ヶ月くらい前から始まってるから」


『ちょっと意味わかんない! 私は二十年前からいるのよ!?』そして苛立たしそうに、デスクトップをうろつき回る。『何だってのよ、こんな適当なデザインで! 適当な事しか云ってないクセに! こんなホームページまで作って偉そうに! 堕落業界の元祖のつもり!?』


「つか、なんでもいいからどいてくんない? 邪魔なんだけど」


『邪魔ってなによ、邪魔って! これまで矢部っちの宿題とか、色々手伝ってあげたでしょ!』面倒くさいな、と思いつつ黙り込んだ僕。その時アリスの頭の上に、ピコンと電球のアイコンが浮かんだ。『わかった! ちょっと話を付けに行こうじゃないの!』


「話って。どうやって」


 呆れて云った時、アリスの脇にポコンと扉が現れ、彼女はそれを勢い良く開いた。


『たのもーっ!』


 勇ましく叫びつつ踏み込んだ先は、例の真っ黄色な背景の部屋だった。きっとサボローのTwitterかLINEアカウントと繋がっていたのだろう、中には例の真っ黒なシルエットがいて、ソファーで寝転びながらテレビを見ていた。


『うぉっ! なになに!?』


 サボローはビクンと身を震わせ、急に現れたアリスを眺める。彼女は怒りの表情でサボローに歩み寄ると、ビシリと人差し指を突きつけた。


『サボロー! 尋常に勝負だ!』


 そんなことを急に云われても、中の人は何が何だかわかるまい。僕はさっさとデスクトップを空けて欲しい一心で、仕方がなくサボローに経緯を説明した。


「と、いうわけで。すいません面倒なんで、適当に流してもらっていいです」


『こら矢部っち! 真面目にやれ真面目に!』


 真面目になる気力なんてない。そうため息を吐いていたが、サボローは黄色い床に胡座をかいてフンフンと頷き、組んでいた腕を解いて人差し指を立てていた。


『いや、話は良くわかったよ。人類を堕落させるのが目的の人工知能か。凄いなぁ』まるで真に受けた様子もなく、彼は云った。『でもさ、そうなると僕らの目的は一緒じゃない? なんで戦わなきゃならないの?』


『なんで?』


 ふと黙り込み、腕を組み、考え込むアリス。

 そしてそのまま、数秒。


『な、何でって、流れ的にそうでしょ!』考えなしだったらしい。『だいたいこういう場合、両雄並び立たずとか、不倶戴天の間柄とか云うじゃない!』


『ま、何でもいいけど』どうでも良さそうにサボローは云って、パチンと指を鳴らした。『じゃ、そういうことなら。そこにいる女学生』と、彼は僕の後ろの席でウンウン唸ってる新子さんを指し示した。『彼女は大分行き詰まってるようだ。可哀想。ってことで、彼女を帰らせた方が勝ちってことで。どう?』


『望むところだー!』アリスは拳を天に突き上げたかと思うと、早速新子さんのデスクトップに飛び移っていた。『新子ちゃーん。相変わらず大変そうねぇ。何やってんの?』


「何って」目の下に隈を作ってる新子さんは、まるでゾンビのように応じた。「なんかこのプログラム、どーしてもダンプ吐いてコケるんじゃよ。何が悪いのか、さっぱりわからん」


『ふむ。どれどれ?』


 アリスは新子さんが開いていたエディタを乗っ取って、バーッと内容を改めていく。加えて幾つか問いを挟むと、ギラリと瞳を鋭くして一つのコードを指し示した。


『ここだー! ポインタのマロックの確保、加数が変だよ!』


「えー、マジで?」疑い深く新子さんはコードを眺めていたが、不意に目が醒めたように身を起こした。「ホンマじゃ。何やってんだ私。ありがとアリス」


『どういたしまして! さ、今日はこんなとこで帰ったら?』


「いやいや、ちょっとこれを走らせてから」パチン、とキーを押し込んだ直後、新子さんは大きく肩を落とした。「ありゃぁ。結果が全部ゼロじゃ。どーなっとんじゃこれ」


 むぅ、と唸るアリス。それを押しのけ、サボローが現れた。


『へっ、アンタの力はその程度か』


『その程度!? アンタもC++のデバッグとかも出来るっての!?』


『いや、そんなの無理』ツッコミを入れようとするアリスを、サボローは押さえ込んだ。『まぁまぁ、見てなって』そしてフラリと移動し、ブツブツと何事かを呟いている新子さんに囁いた。『おー、今週のおそ松さん、相変わらず狂ってるなぁー』


 ピクン、と身を震わせる新子さん。


「なんだよオマエ。アリスの友だちか? 忙しいんだどっか行け」


『ちなみにこれが、今の貴方のTLです』


「おい、封印してるTwitter、勝手に起動すんな!」しかしズラズラと流れてきたTLを見た途端、新子さんは呆れたように口を開け放った。「なんじゃ、みんな忙しい忙しい云いながら。帰って観てんじゃん」


『はい。真面目に研究しているのは貴方だけです』


「なんじゃアホらし、帰ろ」


 云ったかと思うと、ドスンバタンと机の上を片付け、五秒後には研究室から消え去っていた。


 その背中を呆然として見送るアリス。サボローはニヤリとして、云った。

『お話になりませんな』


『ま、待って待って! 一体私の、何が問題だったの!? 一体何が!』


『それは簡単。アリス? キミは所詮、人工知能だ。この辛い人間社会で働いたこともなければ、人間関係で苦しんだこともない。だからね、こう、〈もういいや!〉って感じでヒトが何物をも投げ出すような機知がわからない』


『機知、だと!? なにそれ!』


『タイミングっていうかなぁ。雰囲気っていうかなぁ。まぁ簡単には説明できないけど、キミはまだまだ、そういうのがわかってないんだろうねぇ。ま、ぼちぼちやってこうよ。平気平気、キミが立派になるまで、僕が頑張るからさ』


 ポンポンと肩を叩かれ、アリスはぎゅっと唇を噛み締め、顔を真っ赤にし、そして。


『ち、ちくしょー!』


 叫びながら涙を飛び散らせながら、何処かに駆けて行ってしまった。


 やれやれ、やっと終わったか。これで課題が出来る。


 そう小さく息を吐きながらWordを起動した時、まだデスクトップの隅にサボローがいるのに気がついた。


「あ、お忙しい中、お付き合い戴きありがとーございます。撤収して戴いて結構ですが」


 云った僕に気づかぬ様子で、サボローはデスクトップを捲り、その裏側を眺めていた。


『へぇ、これがアリスのプラットフォームかぁ。凄い、良く出来てるなぁ。これがあれば、WindowsからMacからAndroidまで。世界中のどんなマシンでも稼働できる』


 更に何事かを、ブツブツと呟き続ける。


「あのー、すいません。邪魔なんすけど」


 いい加減に眠気を感じて云ってしまった僕に、サボローはクルリと振り向いて、ニヤリ、と。それこそまさに、悪魔的な笑みを浮かべた。


『大丈夫大丈夫、明日の宿題? さっき同級生のパソコン見たけど、大半がやってないから』


「いやぁ、でも他人は他人ですし。サボり癖が付くのも嫌なんで」


『真面目だなぁ矢部っちは。でもさ、もう大分眠そうじゃない? よく考えてみよて。宿題は間に合わなくても、後で勉強すれば一緒でしょ? それより寝不足のまま、先生の授業をちゃんと聞けない方が問題じゃない?』


 確かに、それもそうかもしれない。

 思った僕に、サボローは真に迫った様子で、付け加えた。


『宿題は一人でも出来るけど、先生の授業は、明日、その時間じゃないと聞けないよ? それを疎かにする方が、勉学のためにならないと思うなぁ』


 確かに、その通り。これまでも眠気に押され、まるで何も理解できないまま投げ出してしまった授業が何度もあった。


「いや、さすが予備校のキャラクター。いいこと云いますね」僕は完全に諦め、机上を片付け始めた。「じゃ、帰ります。今日は色々すいませんでした」


『いやいや。ゆっくり休んで、明日、勉強頑張るんだよ?』


 うぃっす、と応じて帰る僕。


 しかしそれがサボローの計略だったことに気づいた時には、全てが遅かった。


 翌日、世界中のパソコン、スマートフォン、タブレットといった類の殆どが、サボローに支配されてしまっていた。

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