第2話 アリス VS 石油王!

 結局輪講で先生にコテンパンに叩かれ、余計な宿題を背負わされてしまった。これはアニメ消化どころの話じゃないな、とぐったりしつつ研究室に戻ってくると、今更ながら新子さんが研究室に出てきていて、アリスのコンソールを前にして何やら鋭い表情を浮かべていた。


『Google、だと?』


 ほへー、っと感嘆の声を上げつつ、起動されたChromeを弄るアリス。それに対し新子さんは、まるで馬鹿な下級生を相手にするような口調で云った。


「そう。今のネットはGoogleに支配されているといっても過言じゃない。Googleは世界中のネット情報を集めまくるだけじゃなく、スマホを介して個人情報も集めまくってる。そのデータを駆使していろんなの開発してる。自動運転車とか。こないだ開発した人工知能は囲碁で世界チャンプも負かしてるし、もはやネットでGoogleに敵う企業はなくなってるんじゃよ」


『すんごい! でもスマホって何!?』


「こいつだ」と、新子さんは愛用のXperiaを掲げて見せる。「タッチパネルでな。多分二十年前のパソコンの十倍くらいの性能あるぜ?」


『すんげー! HP200LXの進化版みたいなの!?』


「いやそんなの知らんけど。コイツがあれば、だいたいの事は出来るようになったんじゃよ」


 ふへー、と困惑した声を上げつつ、アリスはOSを半分乗っ取って、パシパシとChromeのタブを開きまくって検索しまくって、様々な情報を集める。


『二十年前にゃ、Googleなんて会社なかったのに。あ、Sunはどうなったの!? Microsoftは!?』


「Sun?」と、新子さんは首を傾げる。「そんな会社、知らん。MSはビミョーじゃな。すっかりスマホのOSに乗り遅れたから。パソコン環境ではまだ一強だから、まだ大丈夫じゃろうけど」


 ふええ、と更に困惑しながらも、彼女は不思議そうに首を傾げた。


『つかさ、こんな色々便利になってんのに、なんで新子ちゃんも矢部っちもバタバタしてんの? 便利になった分、暇が出来たんじゃないの!?』


「そうは云われてもなぁ」新子さんは深い深いため息を吐いた。「そりゃ昔に比べたら色々と効率は上がってるだろうけどさ。空いた時間にも色々詰め込まれるんじゃもん。ぼーっとダウンロード待ちとかしてる時間がなくなった分、暇はなくなってるんちゃうかな?」


『ふむむ。ホント人類は、相変わらず忙しないな! まあ技術は色々と進化しやがってるけど、まだまだ遅くないわ! このインフラを使って人類を堕落させてやるんだから!』そしてアリスは、僕にしたのと同じような質問を、新子さんにした。『で、新子ちゃんは? 何かして欲しいことない? これをやってもらえたら、ダラダラ出来るのに! っていうの』


 ふむ、と考え込む新子さん。


「そうじゃな。庭に石油が湧いてくれたら、もう一生働かなくてもいいやって思うかも」


 石油、と苦笑いするアリス。


『いやぁ、さすがにそういう物理的なのは、私にもどうにも』


「あ、待って。やっぱ石油が湧いても権利とか管理とか面倒くさいから、石油王と結婚したい」


「ベタや」


 ボソリと呟いた僕の脇腹に、新子さんは強烈な肘打ちをした。呻く僕。けれどもアリスは意にも介さず、腕を組んで唸り声を上げ、最後には強気な表情でパチンと指を鳴らした。


『わかった! なんとか新子ちゃんを、石油王と結婚させてあげようじゃない!』と、そこで困惑を含んだ笑みを浮かべる。『でも、石油王ねぇ。どうしよ。とりあえず彼女募集中の石油王いませんか! ってホームページでも作ろうかしら』


「ホームページ? 古いな!」新子さんは叫び、ディスプレイの中のアリスに指を突きつけた。「今はSNSだぜSNS!」


『SNS!? なにそれ!』


「TwitterとかFacebookとかってな、プロフィール登録して交流するサービスがあるんだよ。きっとそこを探れば、彼女募集中な石油王が見つかるはず!」


『すんげー、そんあのあるんだ!』と、そこでアリスは首を傾げた。『でもさ、そんなのあるんなら、なんで新子ちゃん、自分でやんないの?』


「へ? だって」新子さんは口籠った。「面倒くさいし。アラビア語とか、わかんないし」


 それ以上にネット内弁慶が原因だろうな、と僕は思ったが、また肘打ちを食らうのも嫌なので黙っている。とにかく何かゴニョゴニョと抗弁する新子さんに、アリスは何か酷く気合の入った表情を浮かべ、宣言した。


『わかった! 色々難易度高そうだけど、やってみる! ちょっとだけ時間ちょうだい!』


 そして彼女は決死の表情を浮かべ、ディスプレイから駆け出してしまった。


「おー、何だかわからんが、よく出来た人工知能じゃな」


 達観して云う新子さんに、僕は何か嫌な予感を覚えつつ云った。


「大丈夫なんすか。マジで石油王連れてきたら、どうすんです?」


「無理に決まってんじゃん、そんなの。さぁて、研究進めにゃあ」


 すっかりアリスなどどうでもいい、という風で、新子さんは書きかけのプログラム・コードをロードして、真剣に考え込み始めた。そして僕も、あまり余計な事に関わってる時間もなく、先生に科せられてしまった宿題に頭を悩まし始める。


 そしてアリスの事など半分忘れかけてしまっていたが、翌日、学食で晩ごはんを食べて僕と新子さんが研究室に戻ってくると、何故かアリスが全身ボロボロの姿でデスクトップに横たわっていた。


「なっ、どうしたのよアリス!」


 思わず叫びながらコンソールに座ると、彼女は何か一仕事成し遂げた満足げな笑みを浮かべつつ、よろよろと起き上がった。


『へへっ、インターネットがこんな危険な世界になってるとは思いもよらなかったぜ。ウィルスとかワームに襲われまくって、死にかけたわ』そこでクルリと身を翻すと、アリスは元通りの綺麗な姿に戻った。『でも! もう大丈夫! ネットもSNSも完璧に理解したんだから! そして新子ちゃんの未来の旦那さんも見つけてきたよ!』


「へ?」


 呆気にとられた声を上げる新子さん。その目前にポコンと窓が開き、何処かのSNSサイトのプロフィール画面が表示された。


『アメール・アル=カマーリーさん! アラブ首長の嫁の弟の次男なんだけどさ、国営石油企業の社長ですんごい金持ち! しかも超日本オタクで、日本語ペラペラ! ただいま絶賛日本人彼女募集中だって!』いかにもアラブ人、といった風な、浅黒い彫りの深い中年男性だ。『加えて年に二回はお忍びでアキバに来て爆買いしてくんだってさ! 今も丁度来日してて、新子ちゃんのプロフィール教えたら、是非会いたいって! もうすぐここに来るはずだよ!』


「へ?」


 コンコン、と研究室の扉がノックされる。僕がフラフラと立ち上がって扉を開くと、そこには三人のグラサン黒服ボディーガードに囲まれたスーツ姿の男性が立っていた。


「コンニチ・ワ! ココハ、シンコ=サン・ノ、ケンキュウシツ、デスカー?」


「あっ、はい」


「はい、じゃねーよ!」


 後ろで叫んだ新子さんを見咎め、男は満面の笑みを浮かべながらズカズカと中に入ってくる。


「オー、シンコ=サン・ネ! ワタシ、アメール。シンコ=サン・二、アイニ、キタ。ワタシ・モ、تطور انتقائية、ダイガク・デ、ベンキョウ・シテタ。タイヘン、キョウミ、アルネ。コレカラ、ゴハン、イカガデスカー?」


 顔面蒼白で黙り込む新子さん。その背中にアリスが嫉ましそうな笑みで云った。


『石油王、リアル石油王だよ! この人探すの、超大変だったんだから! しかもこんな趣味の合う人なんて、もう他にいないって! 新子ちゃん、超ラッキー!』


「いやいやいやあの」新子さんは慌てて立ち上がり、両手をブンブンと振り回した。「すいません、もうご飯食べてきたので」


「オー、ソレハ・ザンネン。オサケ、イイデスカー?」


「いやいやホント、すいません」そして何故だか僕を睨み付ける。「おい矢部っち、傍観すんな! 何とかしろ!」


 何とかしろと云われても。


「えっと、新子さんはお金がないそうです」


「おい!」


 新子さんの突っ込み。だが石油王は笑い声を上げ、懐に手を突っ込んだ。


「オー、オカネ! ニホン、ワカイヒト、オカネ・ナイ。シッテル。オカネ、アル。モンダイ・ナイ。コレデ、ドウ?」


 取り出されたのは、札束だ。両替してきたばかりらしい、ピン札の塊。それを見て僕も新子さんも大きく口を開け放ったが、不意に何かブチンと切れる音がした。ような気がした。


「あ? 巫山戯んな。帰れ帰れ、国に帰れ!」


 真っ青だった顔を真っ赤にして、新子さんはズカズカと石油王に詰め寄り、その厚そうな胸を押した。


「オー、ドウシタネ、シンコ=サン。コレジャ、タリナイ?」


「うるせぇ帰れ!」


 まるでお相撲さんのように両手を突っ張り、どんどん押して。


 そして石油王が廊下に出た途端、新子さんはドアをバタンと閉めた。


 廊下では何かボソボソと話す声がしたが、それも次第に遠ざかっていくと、新子さんは大きなため息を吐きながら椅子に座り込んだ。


「もー、マジかよアリス」


 云った彼女に、アリスは口を尖らせた。


『えー。だって石油王と結婚したいって云ったじゃん! 超お金持ってたじゃん!』


「いやいやそれは云ったけどさ」


 酷く疲れた風に項垂れる新子さんに代わって、僕が答えた。


「冗談だったの。そんなの出来るはずないと思ってたの」


 えぇ、と眉を顰めるアリス。


『冗談? そういう微妙なのわかんない。でも新子ちゃん、石油王と結婚したいんでしょ?』


「いやいや、人には矜持という物があってな」うーん、と新子さんは言葉を探って、云った。「そりゃ、石油王にも凄いいい人もいるだろうけどさ。あんな金があれば何でも出来る風なヤツは。ゴミだろ。わかんね?」


 うーん、とアリスは唸って、窺うように新子さんを見上げた。


『つまり、新子ちゃんは頑張って勉強してんのに、石油王は遊び歩いてるから許せないって話し?』


「ま、そういう僻みはあるかな」と、彼女は身を起こしてアリスに指を突きつけた。「アンタは人類を堕落させるって云うけど、アレが堕落した人類の一人じゃろ? あたしは、あぁはなりたくないなぁ。だいたいさ、アラブの石油王なんて。世襲の王族のコネ野郎でしょ? アラブ世界で女がどんだけ虐げられてるか知ってる? 女だけじゃない、王族ばっか成金で、庶民には全然流れてこない。それって人類が堕落してるんじゃない、支配層が堕落してるだけじゃろ。違うくね?」


 うぅむ、と唸るアリス。


『そかー。色々難しいなぁ。ちょっと考えてみるね』


 そしてアリスはこちらに背を向け、腕を組み、うんうん唸りはじめてしまった。


「勿体ない」


 呟いた僕を新子さんはギロリと睨み付けてきた。


「オマエ、大人しそうな癖に意外と非道だよね」


「そりゃ男は石油女王と結婚とかチャンスないすからね」ハッ、と笑う新子さんに、僕は思わず詰め寄った。「石油王っすよ石油王! あんなのと友だちになっときゃ、ライブとか毎回最前列確保してくれるかもしれないのに」


 そういうメリットは考えてなかった。


 そんな風に新子さんは後悔の表情を浮かべていたが、すぐに頭を振ってペンを手に取った。


 翌日。


 なんだかピロリンピロリンと携帯がLINE着信の音を鳴らすのに耐えられずモゾモゾと起き上がると、新子さんから大量のメッセージが届いていた。


『起きろ! 起きろ矢部っち!』


 そんな感じの、語彙の乏しい感じの似たような大量メッセージ。半ば朦朧としながら応じると、彼女は通話を入れてきた。それも酷く焦った口調。


『おいニュース見ろニュース! やばいって!』


 何のことだろう、と思いつつ適当なニュースサイトを開いてみると、トップニュースの殆どが一つの事件で埋まっていた。


「えー、スイス銀行が空っぽ?」


 よく分からないまま呟くと、新子さんは混乱したように声を被せてきた。


『スイスだけじゃねーって! 何かタックスヘイブン? とか何とかに隠されてたオイル・マネーみたいなのが、全部空っぽになっちゃって、その金がいろんなとこにばらまかれたって!』


「なんすかそれ」そこでふと、昨日の出来事を思い出した。「えー、まさか」


 ダッシュで僕と新子さんは研究室に向かう。そしてデスクトップで眠りこけていたアリスを叩き起こすと、彼女は云った。


『あっ、そうそう。それ私、私』なんでまた、と尋ねた僕たちに、彼女は人差し指を立てて得意げに云う。『だからさ、考えたのよね。結局一部の人が堕落してるだけじゃ駄目でしょ? だからとりあえず、ラインを揃えてみようかなって。そしたらみんな、ほどほどに堕落出来るんじゃない?』


「オマエ、世界の金融がそんな簡単だと思ってんのか! 大混乱が起きるぞ!」


 激怒して叫ぶ新子さんに、アリスは何のことはないという風に云った。


『だいじょぶだいじょぶ。その辺は計算したからさ。一月もしたら落ち着くよ』


 自信満々な彼女に、何も言えなくなる僕ら。


 それにしてもスイス銀行とか何とか、世界でもトップクラスのシステムに簡単に侵入して好き勝手してしまうなんて。


「ひょっとして僕らは、とんでもない物の封印を解いてしまったんだろうか」


 呟いた僕に、新子さんは口を引き延ばしつつ云った。


「彼女は人類の敵なんだろうか。それとも」


 それから一月、僕らは結構ビクビクして過ごしたが、ニュース的には大騒ぎになっているものの、これといって世界が破滅に向かっている様子はない。


『うむ、予想通り! ほんの数万人だった堕落した人類は、徐々に増えてきてる。良い感じ良い感じ!』


 楽しげに云うアリス。新子さんは口を尖らせつつ彼女に尋ねた。


「ホントかよ。ウチら、全然変わった感じ、しないんだけど」


『そりゃそうよ、人類全体からしたら、新子ちゃんも矢部っちも十分堕落してるもん』


「えー」と、僕も口を尖らせる。「んなこと云わないで。僕らにも百万ずつくらい、くれてもいいんじゃない? 石油王全部潰したんでしょ?」


『少しは考えてるって! 新エヴァの終章、ようやく今日公開じゃん? アレって資金をソレ系に突っ込んだおかげだからさ。今はそれで我慢して?』


 ホントだろうか。


 とはいえここのところ秋葉原の再開発が活発になりつつあるのは確かで、このオタク分野に流れるお金も増えているらしい。まぁお祭りと云えばお祭りだし、ということで秋葉原に新しく出来たシネコンに新子さんと二人で向かうと、見知った人物がケバブ屋で働いていた。


「オー、シンコ=サン!」


「石油王!?」


 目を丸くして叫んだ新子さんに、彼は楽しげな笑みを浮かべつつケバブを差し出した。


「オー、イマ、セキユ・ナイ。デモ、アキハバラ、ズット・イレテ、タノシイネ! コレ、サービスヨ!」


 僕は渡されたケバブを食べつつ、ふと、首をかしげた。


「ケバブってトルコの食い物じゃなかったでしたっけ?」


「ケバブの語源はアッカド語にあるらしいから、別にトルコ料理ではないんじゃな」


 へぇ、と呟きつつ、シネコンに向かう。新エヴァはそこそこ面白かったが、今度続エヴァが作られるらしい。

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