第18話 有栖川フェリスは、本能の赴くままに美少女を描き出す(6)

 そして、放課後――『開かずの部屋』と言われている、旧校舎の一階一番奥にある、周囲から微妙に隔離された教室にやってきた俺たちは、あまりの埃っぽさに一度撤退し、タオルなどで顔を覆って再び侵入を果たしたのだった。

「みんな、瘴気を吸いすぎるなよ。肺をやられるぞ」

「はいです、隊長! ちょっと息苦しいですけど、まだ大丈夫なのです!」

「結城先輩、もしボクが力尽きたら、姉さんには遥が頑張って掃除をしていたと伝えてください……」

「腐海というほどじゃないと思うのだけど……電源がある部屋ならどこでもいいとはいえ、体よく清掃を押し付けられてしまったみたいね」

 掃除機などの清掃用具は使っていいと言われたが、今日の部活は丸々清掃に当てることになりそうだ。

 遥は少し潔癖症の気があるようだったが、いざ掃除を始めると腹をくくって、使われていない黒板を濡れ雑巾で拭き始める。他のところで使わないものをこの部屋に押し込んであるのか、ホワイトボードも置いてあるので、こちらをメインに使うことになりそうだ。白墨は指が汚れやすいという難点がある。

「ふぅ……購買で必要なものが売っていてよかったわ」

 倉嶋さんとフェリスは、花粉対策のゴーグルとマスクをつけている。この時期にゴーグルの在庫はほとんど残っておらず、最後の二つだったというわけだ。

 それにしても――上下に学校規定のジャージを着て、三角巾とマスクをし、メガネをつけている倉嶋さんというのも、いつもとギャップがあって新鮮に見える。フェリスはジャージの前が閉じられないらしく、ブレザーと同じく前を開いていた。

 『有栖川』と描かれた体操服のゼッケンが、胸の大きさのあまりにパンパンになっている――連邦のモビルスーツは化け物かと言わざるをえない。

「ふぃ~、窓を開けたら少しずつ換気できて、空気が綺麗になってきたのです……あふっ、ユッキー先輩の頭が白くなってるのです。よほど怖い思いをしたですか?」

「白髪になったわけじゃない、棚の上を軽く拭いてみたら、ホコリが一気にな……この部屋、どれくらい放置されてたんだ?」

「使わなくなってから三年くらいだそうだけど。人が使わなくなると、建物はすぐダメになるっていうものね」

「この手作り感のある本は、文芸部の文集みたいですね。こんな大事なもの、どうしてここに置いてあるんでしょう」

 俺が拭いていた棚の中は空というわけではなく、放置された本の類が入っていた。それを一つずつチェックしていた遥が声を上げる。

「この中途半端な冊数は……文化祭の売れ残りとかを、ここに放り込んであったっぽいな。開かずの部屋っていうか、開いてるけど中を見てはならぬみたいな感じか」

「ここには漫画の描いてある薄い本もあるのです! コミック研究会の、十年前の薄い本なのです!」

「薄い本と連呼するな、別の意味に聞こえるだろ。十年前って……ほんと、空き教室だからってゴミ置き場扱いはどうかと思うがな」

「旧校舎のすべての部活というわけじゃないけれど、本を発行しているところはだいたいここに置きに来ていたみたいね……これは吹奏楽部の楽器かしら。放置していたら、錆びついてしまうのに」

 教室の後ろにあるロッカーにも、まだまだ謎の荷物が入っている。その全てを掃除したあとには、俺達は本気でホコリまみれになってしまいそうだ――何か貧乏くじを引かされた気がするが、今の時期に部活を作れて部費も出る、電気代も無料ということならば、開発拠点づくりのために掃除をするくらいはいいだろう。


「これで一段落かしらね。今日はこれで引き上げにしましょうか」

「ああ。うわ……倉嶋さん、ジャージの肩にホコリが……」

 心配していたことではあったが、ジャージから着替えてもホコリっぽさが取れないほどの状態だ。俺たち全員が、まさに腐海から生還した人々のようになっている。

「このままだと制服に着替えられないので、家までジャージで帰るのですよ」

「それしかないですね、ちょっと恥ずかしいですけど……」

「それだけの大掃除をしていたのだから、仕方がないわね。結城くんなんて、もう洞窟の中で何年も閉じ込められて、出てきた人みたいになっているし」

「巌窟王と比べれば、俺の人生は過酷でもなんでもないと思うが……うわっ、フェリス、はたきをかけるな! 俺を掃除するつもりか!」

「その白い髪は悪魔に魅入られた証なのです! 悪霊退散なのです! なのです!」

「フェリスさん、先輩にそんなこと……っ、けほっ、けほっ。ごめんなさい、腐海の毒はボクの身体をこんなにも蝕んで……」

「人の顔をはたくのはだめよ、フェリス。あなたの悪魔祓いの力を、そんなことに使ってはいけないわ」

「はぅっ、クララ先輩がシスターみたいなのです! 修道服を着てほしいのです!」

 掃除が終わったことで、妙にハイになっているのだろうか。フェリスのテンションの高さに圧倒されていると、からりと教室の扉が開いた。

「ん……けほっ、けほっ。すまない、掃除が必要とは聞いていたが、これほどとは……しかしよくここまで綺麗にしてくれた。私は君たちを誇りに思うぞ」

「ホコリだけに、ってことですね……いや、それはいいんですが。何とか掃除できたんで、明日から活動を始めようと思います」

「うむ、自分で言っていて恥ずかしくなるギャグでもしっかりと言う君のスタンスは嫌いではない。ぜひそうしてくれたまえ。ところで……君たち、そのままでは帰れそうにないな。シャワー室を使って帰ったらどうだ?」

「え……いいんですか? 体育館脇にある、更衣室のところのやつですよね」

「旧校舎には宿直室があるので、そこにもシャワー室はある。しかしそこでは一人ずつしか使えないから、君の言うとおり、更衣室のシャワーを使ったほうがいいな。鍵がかかっているから一般の生徒は使えないが、私はバレー部の顧問なので鍵を持っている。どうだ」

 先生はシャワー室の鍵を俺たちに見せて得意そうにする。そのイタズラっぽい笑顔を見て、俺たちもつられて笑ってしまった。

「先生、すごいのです! シャワー室には夢いっぱいなのです、私のやる気がさらに膨らみそうなのです!」

「そ、そうなのか? シャワー室で、イラスト担当の君がやる気を出す……結城くん、ゲーム製作のために必要だからと、後輩にあらぬ絵を強要していたりはしないか?」

「い、いや……この子は俺よりも自由というか、俺以上に縛られない生き方をしているんじゃないかと、個人的には思ってまして」

「し、縛られていたら問題があるだろう。学校だからといって、縄跳びをそんな用途に使うことは許さんぞ!」

「先生、大丈夫です。私の目が黒いうちは、結城くんに、エッチないたずら……いえ、いたずらにエッチなゲームを作らせたりはしません。もし作ろうとしたら、それがクリエイターとして本当に必要なことなのか、問い詰めてから検討します。エッチだからというだけで彼の才能を封じ込めてはいけないと思いますし」

「エッチじゃなくて微エロだ。そうじゃないと規制に引っかかってしまうでしょう。全く何を言っているんですか、遥だって引いてますよ」

「えっ……ボ、ボクは、結城先輩のゲームにどうしても必要だったら……今は下手かもしれないけど、頑張ってえっちなシナリオを書きます……っ!」

「それ見たことか、やはりエッチなゲームを……結城くん、君の煩悩を冷水シャワーで洗い流してこい。それでも足りなければ、私が直々に滝行に連れていってやる!」

「俺は悪くない、冤罪だ! やめろォ、死にたくない!」

 元バレー選手の腕力に、ひ弱な帰宅部だった俺がかなうわけもなく、ずるずると引きずられていく。先生を妙なノリに乗せてはいけないと反省しつつ、俺は部員たちに付き添われながら、夕焼けの廊下を連行されていった。

「本当にほぼ冤罪なのに、ここまで見苦しくなれるなんて……結城くん、本当は、微エロどころではすまないものを作ろうとしているんじゃない?」

「そうだったら、私はえっちな絵を描くのはじめてですけど、クララ先輩を参考にしながら描くのです」

「っ……や、やめて。空中にペンをなぞらせる動きをしないで、ぞくぞくするから」

 倉嶋さんは自分の身体を抱くようにして、フェリスの視線を遮る。ジャージ越しにも分かる、双子の大きな山――フェリスは言うまでもないが、やはり倉嶋さんも、アニメに出てきてもおかしくないレベルのボディの持ち主だ。

 フェリスがデザインの参考にしても無理はない――と考えていると。遥がやたらとそわそわして、先生に引きずられる俺の方をうかがっていた。

「どうした?」

「あ、あの……結城先輩、その、何ていうか……」

「そろそろ引っ張るのも疲れたから、自分で歩きたまえ。引きずられたままで会話するなど、器用すぎるだろう」

「自分で引きずっておいて……遥、どうした?」

「あ、い、いえ。何でもありません……結城先輩なら、大丈夫ですよね」

 何が大丈夫なのかを教えてほしいのだが、遥は微笑むばかりでそれ以上は何も言ってはくれなかった。

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