第16話 有栖川フェリスは、本能の赴くままに美少女を描き出す(4)

 夕食後、妹のあとに風呂に入ってさっぱりしたあと、部屋に戻ってくると倉嶋さんからメールが届いていた。そこには『開発用サイトの件』とあり、URLとID、パスワードが記載されている。PCを立ち上げてアクセスしてみると、『新作ゲーム(仮)開発室』とタイトルの書かれたサイトが開いた。

「……マジか。どれだけできる人なんだ」

 部員たちのスケジュールを把握したり、それぞれのアップしたデータについてコメントを返信したりすることができる。サーバーの容量は五百ギガとのことで、足りなくなりそうなら拡張するとのことだった。

(これほどのサイト、事前に相当勉強しないと用意できないはず……倉嶋さんはノベルゲームが好きだと言ってたけど、開発についてもこんなに知識があるなんて)

 考えているうちに、タスクバーに通知がポップアップする。それは、倉嶋さんからのメッセージが来たという知らせだった。

 メッセンジャーで使用しているメールアドレスも伝えてあったので、今日解散するときに、部員全員が登録することに決めていた。早速、ということらしい。

『C_KURASHIMA:こんばんは』

(名前が表示されるとドキッとするな……ハンドルネームを使った方が良さそうだけど)

 挨拶が表示されてからも、「入力中」の表示が出ていた。今まさに、倉嶋さんが画面に向かってメッセージを打ち込んでいる――そう思うと、自分でもどうかと思うのだが、素直に嬉しくなってしまう。

(……しかし、打ち込んでは消してを繰り返してるみたいなんだが。何をそんなに迷ってるんだ?)

 しばらく待っていると、メッセージが表示される。どうやら、倉嶋さんは表示される名前を変えたかったようだ。俺のハンドルも適当なので、そのうち何か別のものに変えたいところではある。

『くらしま:サイトはもう見てくれた? 一般的にゲーム開発で使われているというサービスを、少し私なりにカスタマイズしたのだけど』

『YUK2:いや、驚いた。明日から開発が始められそうなくらい完璧だと思う』

『くらしま:良かった。的はずれなことをしていたら、あなたの補佐をしているとは言えなくなってしまうもの』

 そしてまた「入力中」が表示される――たっぷり十秒くらい。彼女はメッセンジャーの発言に対しても、誤解のないようにと推敲をするタイプなのだろう。

『YUK2:フェリスと遥も使えるようになったら、必要があれば音声通話でやり取りしようか。メッセージを打つより速いからな』

 ぴた、と「入力中」の表示が止まる。返事が遅いと言っているように取られてしまっただろうか、ならば誤解を解かなければと思っていると。

『くらしま:顔を見せられるときならいいけど、今はカメラに写れない状態なの』

 その文字列を見て、まず思ったのは、なんだこの照れくささはということだった。ここで俺が悪ふざけをして『お風呂上がりとか?』と言おうものなら、信頼関係も何もあったものではない。

『YUK2:それじゃ、カメラは切っても構わないってことで。ミーティングとかは、音声通話でやることにしようか』

『くらしま:それがいいわね』

 短い返事のあと、また「入力中」の表示がずっと出続けている――そろそろ話を切り上げようか、ということで、挨拶を考えているのだろうか。

 その予想が全く外れていると気づいたのは、次のメッセージを見た後のことだった。

『くらしま:結城くんのゲームの感想なんだけど、今日は新入部員の子たちが来たから伝えられなくて。一点ずつ、相談させてもらってもいい?』

『YUK2:ちょっと怖いけど、倉嶋さんは現時点で唯一のプレイヤーだからな。忌憚のない意見をもらえるとありがたい』

『くらしま:ええ、それじゃ遠慮なく』

 挨拶は挨拶でも、それは始まりの挨拶だった――ノベルゲーマー・倉嶋千愛による、俺のゲームの至らぬ点、引っ掛かりについての容赦ない指摘の嵐。

『くらしま:まず、ここのやりとりについて。タカフミはどうして、出てきたばかりのサブキャラの女の子の胸を気にしているの? 制服を押し上げる豊かな膨らみ、それは確かに気になるところでしょうけど、絵が入ればユーザーには言うまでもなく伝わると思うわ。タカフミを基本的には気が多い描写にしないほうがいいと思うの。その分、サービスシーンで思い切り意識するようにすると、ご褒美感も強まると思うわ』

 俺は倉嶋さんが、タイピング速度がそこまで速くないのではないかと思っていた――だが、そんなわけがなかった。

 倉嶋さんは俺が思う以上の完璧超人であり、そしてゲームの中での些細な緩みを見落とさず、改善点を論理的に指摘してくるクレーマー――いや、ユーザー視点を備えた超高レベルのテストプレイヤーだった。

『くらしま:ねえ、聞いてる?』

「は、はい!」

「お兄ちゃん、誰に返事してるの? 電話してる?」

 思わずメッセージに対して声を出して返事をしてしまった。氷菜には何でもないと返事をしつつ、すかさず返信を始める。『なるほど、でもそこは俺にも譲れない思いがあって、男のしょうがない部分を書くことも序盤の感情移入には必須だと』『そんなに初対面でおっぱいのことばかり気にするのなら、このキャラクターのおっぱいは相応に大きくデザインしてもらわないとね』『そんな解決法が……!』『男子ってしょうがないわね、という感じを出してもそれは面白いでしょうし』

 俺のゲームのプレイヤーに男性が多いことまで理解を示してくれて、前向きな意見を提示してくれる。この子はもしかして女神なのだろうか。

『くらしま:それとこのお嬢様キャラだけれど、「ですわ」を語尾につけるのはさすがにテンプレートすぎると思うわ。改善を要求します』

『YUK2:し、しかし、お嬢様キャラの様式美と言うものもあってですね』

『くらしま:あなたのゲームの良さは、プレイヤー視点で見ている私の方が理解しているの。もっとリアルに、そこにいそうなお嬢様を登場させた方がいいわ。フェリスの描く縦ロールのお嬢様も見てみたいけれどね』

 俺にとって、リアルなお嬢様といえば――倉嶋さん自身なのだが。

『くらしま:それと、急に敬語になるのは禁止するわ。まるで私が問い詰めてるみたいじゃない』

『YUK2:実際、問い詰められている感は否めないが……』

『くらしま:じゃあ表現を柔らかくするわ。テンプレートのお嬢様では、プレイヤーの心を震わせることはできませんわよ。おわかりかしら?』

 あまり変わってないどころか、倉嶋さん自身がテンプレートお嬢様になってしまった。それでも似合うあたり、彼女にはゲームの中に出てくるお嬢様クラスの気品が備わっていると言えるだろう。

 ――と、二次元と三次元を一緒にしてはいけない。決して超えられない壁があるからこそ、二次元は素晴らしいのだ。

 だが、俺はもう思ってしまった。

 元ネタさえプレイヤーが知らなければ、倉嶋さんを参考にすれば、相当魅力的なお嬢様キャラクターが誕生するだろうということに。

『YUK2:お嬢様キャラは倉嶋さんをベースに調整するとして、次の指摘は? 俺はもう腹を括ったから、忌憚のない感想をぶつけてくれ』

『くらしま:ええ……と流しそうになったけれど、誰がそんなことをしろと言ったの? 二次元と三次元を一緒にするなんて、クリエイターの風上にもおけない行為ね。絶対駄目、私のことなんて参考にしたらゲームの質が落ちてしまうわ』

『YUK2:俺の信条は、自分の感覚に従って行動することだからな』

 また、ピタリと入力が止まる。さすがに怒らせてしまっただろうか――俺も彼女の反応があまりに感情豊かだからと、調子に乗りすぎてしまった。

 しかし、今のは冗談だと打ち込む前に、返事が戻ってくる。動揺したのか、彼女にしては貴重な誤字が含まれていた。

『くらしま:そこまで言うなら勝手にしなさい。でもあまりに私に似ていたらゆる早苗から』

 俺は動揺するとメールで誤字をするキャラというのはどうだろうと考えていた。よくある特徴かもしれないが、そういった設定の積み重ねによって、一人のキャラクターの人格が形成されていくのである。

『くらしま:許さないから』

 遅れて訂正されてきたメッセージの後も、「入力中」と表示されている。俺はだんだん、倉嶋さんが次に何を言うかを楽しみにするようになってきていた。

『くらしま:結城くんは、そんなに大きい胸が好きなの?』

『YUK2:胸に関する描写は、今後は控えめにしようと思う。どうしても譲れないときは相談させてください』

『くらしま:敬語になるほど譲れないことなの? しょうがない人ね』

 罵られてありがとうございますと言いたくなったことは、俺の胸にしまっておくことにした。これ以上、俺という人間の品性を疑われてはいけない。

 同時に、どうしても譲れないところは譲らないと決意してもいた。各方面に配慮しすぎたゲームが、人の心を揺さぶることなどできない。

『YUK2:実を言うとですね、今回はキャラが動くたびにおっぱいが揺れるシステムを導入しようかと……』

『くらしま:それは客観的に見れば面白いけど、揺れないヒロインは耐震性が高いなんてふうに煽られるわよ』

『YUK2:た、確かに……』

 至極まっとうな指摘だった。俺から見ると倉嶋さんは震度3くらいから揺れ始め、フェリスは震度2くらいでも揺れそうだ――と、部員のバストについて評価している場合ではない。

『くらしま:私の耐震性については、あまり想像しないでくれると助かるのだけど』

『YUK2:面と向かって話してたら、俺はたぶん言葉に詰まっていただろうな』

『くらしま:正直なのはいいことね。でも揺れるシステムは少し考えさせて。あなたの欲望のためでなく、ゲームの質に寄与するかどうかで導入の是非を評価しないと』

 ディレクターは、スケジュールや工数という名の現実を、夢見がちなプロデューサーに教えることも仕事のうちだ。

 そういう意味では、倉嶋さんはとても優秀だ――そして、とても手強い。俺は今後もキャラクターのポーズ変化に合わせておっぱいを揺らすかどうかで、彼女と抜き差しならない折衝をすることになりそうだった。

 しかし、こんなふうに長文で細部に渡ってゲームの内容を指摘してくれるとは。そんなファンが今まで一人いたといえばいたが、その人のことを少し思い出してしまった。

 今は新作の開発が止まっていて、俺がゲームを公開していたサイトに設置してある掲示板が荒れてしまい、返信ができていない。開発の目処が立ったら、遅れてしまったことをあの人に一言詫びたい――そして、待っていてくれたのなら、期待して欲しいと言いたい。

『くらしま:駄目と言っているわけじゃないのよ。大事なのは、ゲームをできるだけ早く形にすることだから』

 こんなに前向きな気持ちになれたのは、倉嶋さんのおかげだ。しかし礼を言うには早い――まずは体験版を公開できるように、ひたすら開発に取り組まなくては。

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