第9話 終わりかけた青春を、結城雪崇は再起動しようと試みる(9)


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 帰宅したあと、妹のリクエストでパスタを作っていると、ダイニングテーブルの椅子に逆向きに座った妹が話しかけてきた。

「お兄ちゃん、なんだか嬉しそう。さっきからずっとニヨニヨしてる。川原でエッチな本でも拾ったの? それとも神社?」

「俺はな、そういう本はちゃんと大人になってから買うと決めてるんだよ。それまでは微エロの範囲内でやっていくつもりだ。言わせんなよ恥ずかしい」

「お兄ちゃんって、女の子がいっぱい出てくるゲームは好きなのに、えっちなゲームは作らないよね」

「いやまあ、俺としては生命の営みだからそれも恋愛の延長上にあると思うし、避けて通るなんて言語道断とは思うんだけどさ。エロスというのは、あまりにも人間の根源に近すぎる情動だから、どちらかといえば過程や環境を大事にしたいという意見も、高度な文脈を読み取れるようになった現代人として当然のことだと思うんだ」

「それってエッチなことに興味はあるけど、見たいってストレートに言うのは恥ずかしいってことだよね。でも過程が大事っていうけど、お兄ちゃんの本棚の、百科事典のケースの中に入ってるやつって――」

「妹でも超えちゃいけないラインがあるでしょうが!」

 菜箸でパスタをかき混ぜつつ、大きくフライパンを振る。高いところからオリーブオイルを垂らしたりするのは、お兄ちゃんには似合わないと言われたからやめた。

「えへへ、妹はお兄ちゃんのことをなんでも知ってるんだよ」

「何がえへへだ。俺のことをムッツリスケベだとか友達に言うなよ? 知らないところで誰かに蔑まれるほど辛いものはないんだからな」

「そんなこと絶対しないよ。私はお兄ちゃんのことが大切だから、他の子にはちゃんと、うちのお兄ちゃんの素晴らしさと、ごはんの美味しさを力説してるよ。あと、トイレットペーパーを三角形に折ってくれることも」

「そりゃ、妹と同居してるんだから多少はフェミニストな方がいいだろ」

「わー、お兄ちゃん気持ちわるい」

「気持ちいいお兄ちゃんだったらもっとダメだろ。飯食ったら風呂に入れよ、あまりぬるくしないようにな」

 俺も氷菜も互いに遠慮がないので、軽い気持ちで冗談を言ったつもりだったのだが――皿にパスタを盛り付け、妹の分を出してやっても、なぜか氷菜は俯いたままでいる。

「どした? まだ熱いから冷ましてから食べるか」

「……かなって」

「え? 今なんて?」

 これまた軽い気持ちで難聴を発動する。二次元ならば難聴はハーレム主人公の専用スキルなのだが、俺がやっても特に害はないだろう――と思ったのだが。

「……き、気持ち悪くないよ。うちのお兄ちゃんは、とっても気持ちいいよ」

「ちょ……おま、待てよ。今のはその、多少軽率かなと思いつつも、妹のノリに合わせたいという兄心で……」

「ち、違っ、そういう意味じゃなくて……もう、お兄ちゃんっ!」

「は、はい!」

 銀色の髪に青い瞳。純日本人という容姿しかしていない俺と並ぶと、世間の人は容姿だけでは『妹』と信じないかもしれない。

 しかし間違いなく、俺にとっては氷菜は妹で――悪戯好きな、最も近しい隣人だ。

「私はね、お兄ちゃんがちょろいから心配だよ。こんなくらいでおろおろしちゃって」

 怒られたかと思って戦々恐々としていた俺は、氷菜の指が伸びてきて鼻を押されるまで、自分が翻弄されたことに気がつかなかった。

「あ、勘違いのついでに、お兄ちゃんの気持ちいいところとか聞いちゃおうかな」

「聞かなくていい……まったく。ちょろいとか兄に向かって言わない」

 俺はエプロンを外し、妹の向かい側に座る。昔は片側に並んで座っていたものだが、両親が仕事で家を空け、二人暮らしになってからはこの席で定着している。

「わ、すっごい良い匂いする。いただきまーす」

「いただきます。おかわりもあるからな、半皿くらいだけど」

「わーい♪」

 うちの妹はやたらとスレンダーで、発育という意味では少し心配になるくらいではあるのだが、食欲は旺盛だ。家でバランスボールなんかをやっているからかもしれない。妹が家でレオタードを着てヨガをしている光景を、わりと頻繁に見ている気がする。両親から妹のことを任された俺としては、彼女が活発に動いている姿を見るだけで、実は結構安心――もとい、嬉しく思っていたりする。

「はぁ~、美味しい。お兄ちゃんのボンゴレは世界一だね!」

「ナポリタンでは世界二位だけどな。口についてるぞ」

 作り置きしたスープをレンジで解凍し、簡単なサラダを出しているだけだが、妹の成長を考えて、何としても品数は三つ以上は維持するようにしている。献立に頭を悩ませることもあるが、美味しそうに食べてもらえれば、それだけで報われていた。

「お兄ちゃん、それで新しく入ってくれた部員の人って女の人?」

「っ……いきなり当てるな、プロファイリングでもしたのか」

「見れば分かるよ、私はお兄ちゃんの妹なんだから。なんでもお見通しだよ?」

 それから食事の時間の間、俺はまだほとんど知らない倉嶋さんのことについて、妹が納得するまで説明する羽目になった。

「お兄ちゃんに、悪い虫さんがつかないようにしないとね。って思ったけど、そんなにすごい人なら逆に大丈夫そうだね」

「現状じゃありえない話だな……まず女子と喋ったのが久しぶりだしな」

 今から思い出すと、相当に挙動不審だったと思う。遠くから見ていただけの生徒会長がいきなり目の前にいたので、芸能人と遭遇したファンみたいな状態になってしまった。

「お兄ちゃんって、家の外だとやっぱりシャイなんだね。じゃあ私だけがお兄ちゃんの良さを知ってるってことになるのかな。ふふり」

 妹はそう言って、パスタに髪がかからないようにおさげを後ろに流しつつ、くるくるとフォークに麺を巻いて口に運んだ。その笑い方の元ネタについて、兄に是非とも開示してほしい。

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