第6話 終わりかけた青春を、結城雪崇は再起動しようと試みる(6)
気がつくと、視聴覚室に終わってから二時間が過ぎようとしていた。
いつ部員が来てもいいようにと脳内シミュレーションを積み重ねる間に、気がつけば閉門まで十五分になり、窓の外は夕日の色に染まっている。
「まあ、一日目だしな……」
募集期間は一週間。まだ焦るには早いし、時間は十分に残されている。
しかし、もしポスターを見て志望者が来てくれたとしても、俺の試作ゲームを見て、これを一緒に完成させたいと思ってくれるかどうかという関門がある。
期待をしてはいけない。これは伊達先生が提案してくれた、一つの方法にすぎない。
学校でゲームを作れば高校生活の記憶を残すことができるというのも、全てが都合良く進んだ場合に限る話だ。
ご都合主義は、現実には存在しない。
陰キャラが一念発起しただけで世界が変わり、一緒に部活を立ち上げる仲間が集まってくれるなんてこともありえない。
前作を一緒に作ってくれた仲間は、俺が提示した期限を守れなかったせいで、みんな離れていった。俺は「
「そんな奴が、部活で誰かと一緒にゲーム作ろうったって……」
上手く行くわけがない。
残りの四日も、消化するだけで終わる。そしてまた、何も変わらない一年間が始まる。
俺は、自分がしたことを忘れていた。
目標としてきた『師匠』に認められたい。ファンの期待に応えたい――それを言い訳にして企画原案の完成を遅らせているうちに、スタッフのみんなも待てる限界を越えて去ってしまった。
そんな俺が、自分の理想を叶えられる部員を募集する資格などない。一人では辛いから、壁を超えられないからと、他人の力を求める資格など――
「あの」
「……え?」
初めは幻聴でも聞こえ始めたのかと思った。
誰もいないはずの部屋で声が聴こえるなんて、どうかしている。
しかしPCの画面を見つめたままでも分かる――液晶ディスプレイの枠越しに、向こう側に誰かが立っている。
わずかに、息を切らしている。俺が気が付かないうちにドアを開けて入ってきた『彼女』は、どういうわけか、ここまで走るか何かして急いで来たようだった。
「新しい……部活を作るっていうポスターを見て、ここに来たんですが。もう、締め切ってしまいましたか?」
これは現実だとようやく理解できてくる。だが、頭が真っ白で返事ができない。
誰だって『彼女』を前にしたら、思考停止するに決まっている。
俺に話しかけているのは――生徒会長。今朝、そのカリスマ性を俺の前に見せつけてくれた、学園で最も有名な人物だったからだ。
揶揄するように、海崎高校のアイドルと言われることもある。生徒会長になる前からその美少女ぶりを知らない者はなく、廊下を歩けば男子生徒が次々に振り返り、その後ろ姿を崇拝するように見とれているというのが、冗談のようだがうちの高校の日常風景となっている。
神は二物どころでは飽き足らなかったのか、学年で三本の指に入る試験成績を維持しており、体育祭ではリレーのアンカーを走り、ついでと言わんばかりにスピーチのコンクールに出て最優秀賞を獲得していたりして、彼女を賞賛する要素を挙げればきりがない。同じ人類であることが少々恥ずかしく思えてくるほどの落差だ。
流れるような癖ひとつない黒髪には、電灯の明かりの下ですら見事なキューティクルができている。どんな場所でも絵になってしまいそうな最高級のフォトジェニックであることも、ひと目見て想像せざるを得ない。
褒め過ぎていると自分でも思うが、事実として完璧なのだから仕方がない。
ここに彼女がいるのは何かの間違いだ。張り紙を見たと言われているのに、それでも疑う俺を見て、彼女は――ふぅ、と小さく息をついて、腕を組んだ。
そして彼女は目を細めると、あまり感心しない生物を視界に入れているということを隠しもせずに、不機嫌そうに口を開いた。
「質問をしているのに、答えずに
――俺がバベルの塔のごとく積み上げた賞賛を、彼女は自分が神だと言わんばかりに、一撃で粉々に粉砕してくれた。
「もうすぐ下校時間だから、校門を出ないと示しがつかないの。ギリギリで間に合ったのだから、受付くらいしてもらえるかしら」
「受付……って、何の……」
「だから、言っているじゃない、さっきから。ポスターを見たって」
彼女はイライラとしているようにも見えたが、それとも微妙に違う気がしてきた。
焦れている――不安を隠せない生徒会役員に対して、女神のような語り口で落ち着かせていた彼女が。
ご都合主義、巡り合わせ、運命のいたずら。どんな言葉を使っても説明がつかない。
あの生徒会長の倉嶋さんが、入部希望でここにやってきたなどと。
「す、すみません、せっかく来てもらって、こんなことを言うのも何なんですが。何かその、勘違いをされていたりは……」
「同級生なのにどうして敬語なの? 普段からそうなら別にいいけれど、特に必要のない場面では畏まる必要はないと思うわ。私が生徒会長だから萎縮しているとか?」
「ま、まあそれもありますが……いや、あるけど。あの掲示板を見て、見学しようって思うのは、自分で言うのもなんだけど、かなり稀有というか……」
萎縮しているというか、彼女の存在に圧倒されている。
非現実的なほどの美少女、もとい現実の限界に挑戦する二次元と三次元の境目に立つ女子が、ここにいること自体がとんでもないことであって、俺はやはり幻覚を見ているのではないかと頬を抓りたくなる。
実際にさりげなく自分の腕を抓ってみても、俺は夢から覚めない。あるのはそれなりの痛みと、倉嶋さんの視線による落ち着かなさだけだ。
「結論から言って、部員の募集はしているのね?」
「あ、ああ。結構本気で募集はしてるんだが、まだ一人も来てくれてなくて、今日はそろそろ帰ろうかと思ってたところなんだ。倉嶋さんも視聴覚室の戸締まりを確認しに来たのなら、俺が責任を持ってやるから大丈夫。任せてくれ」
そうだ、これが最も正しく、中道を行く答えだ。
生徒会長が俺の部に入るなんて、あまりにも都合が良すぎる。どんなうさんくさい部活が部員を募っているのか、彼女は仕方なく、しぶしぶ監査を入れに来ただけなのだ。
その証拠に、倉嶋さんは長い睫毛を伏せて憂い顔をする。こんな顔をして入部希望なんて出すわけがないと、普通なら思うところだ。
そう、普通は。彼女が、普通なのかどうかといえば――否だった。
「どうやら、はっきり言わないと伝わらないみたいね。新しい部を作ろうなんていう人は、むやみに自信に溢れているものだと思っていたけど。謙虚といえば聞こえはいいけれど、あえて遠慮せずに言うなら、世間に対して腰が引けているのね。あなたは」
「……え?」
よくわからない部活ね、というくらいの適当な評価を受けて、撤収の準備をするようにと言われるくらいかと思っていた。
だが、どうも違う。俺はたっぷり十秒は遅れて気がついた。
「そんな半端なことで、新しい部を作るなんて、甘いと言わざるをえないわ」
「っ……な、何だよいきなり。会ったばかりで、俺の何が分かるんだ」
「分かるわ。あなたが、自分が傷つかないようにして、逃げていることくらいはね」
自分の評価をどん底まで落としていた俺の、なけなしの矜持がうずく。
彼女の言う通りだと分かっていても、そのまま黙っていることはできなかった。
「……こ、腰が引けてるとか、半端とか、俺が一番良くわかってるよ。それでも、先生に相談して色々考えて、やってみようって決めたんだ。確かに今から部活を作って仲間と一緒に何かをやろうなんて、今さらだって思われることは分かってるよ。それでも、俺は……」
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