第3話 終わりかけた青春を、結城雪崇は再起動しようと試みる(3)
「実は……俺、一年生のとき、学校で過ごした記憶が残ってないんです」
伊達先生は眼鏡のつるをくい、と押し上げると、美人顔をまったく崩さないまま、いったい何を言っているのかという顔で俺を見てくる。
「続けたまえ」
「は、はい。つまり俺は、学校じゃなくて家でやっている趣味的なことに比重を置いていて、そっちに全精力を傾けていたんです。でも、今になって思うのも何なんですが、それだと後悔するんじゃないかと思いまして」
部活にも入らず、学校行事にも積極的に参加せず、友達も作れず――それで今さら先生を頼るというのはどうなのかと、匙を投げられても仕方がないと思った。
自分で言ってみて気づくのもどうかと思うが、俺は高校生活からドロップアウトした人間にほかならない。
そんな人間が、今からまっとうな高校生活を少しくらい経験しておきたいと言ってみたところで、「とりあえず出席すれば卒業できるから、頑張れ。先生も応援してる」と応援されて終わっても仕方がないわけで――。
「よく言った」
「……え、うわっ!」
小さく先生がつぶやき、聞き返した途端に、いきなり彼女はテーブル越しに身を乗り出し、俺の両肩をつかんできた。先程までは気にならなかった先生のシャツのルーズな襟元が大胆な動きによって開いてしまい、ブラの一部らしき縁取りにおさまった、量感たっぷりな白い谷間が――と、視線を向けるべきはそちらではない。
「いつからでも遅いということはない。始めようとした時から、人はやり直せる」
「い、いや……それだと、俺が学生というより、人間として失格みたいですが」
「学生が学校生活を充実させていないというのは、それほど由々しきことなのだよ。担任である私にとっては、特にだ」
どうやら俺は、伊達先生のスイッチのようなものを入れてしまったようだった。
「私が担任になったのも、何かの運命というものだろう。何でも相談したまえ」
伊達先生は座り直すと、腕を組み、小首をかしげて微笑む――間近で谷間を見せられてしまったせいで、腕に乗った胸の質量ばかりに関心が向かってしまう。
そんな俺の益体もない考えを知る由もなく、先生は思わず目を逸らしたくなってしまうほど真っすぐな目をして、俺をじっと見据えていた。
「君がやり直したいなら、私はいつでも厚生のために力を貸すぞ。そういえば、バレー部に男子マネージャーが欲しいという意見が部員から出ていてな。草食系の男子が良いなどと言うから男探しは他でやれと釘を刺しておいたのだが、君は少し視線を向ける先が怪しいが、草食といえば草食だな。よし、明日の朝練から早速――」
「ま、待ってください。この高校のバレー部といえば、全国大会に時々顔を出す、強豪エリートじゃないですか。そんなアマゾネスのすくつに、俺みたいな生粋の文化系が入っていって一体何ができるんですか」
「なんだ、名案だと思ったのに。君は自分では体力に自信がないようだが、そこそこやれるほうだと先生は知っているぞ。スポーツテストでも突出した種目はなかったが、全てそつなくこなしていただろう」
「……そう、それなんですよ」
「ん? なんだ、気分を悪くしたか。器用貧乏と言ったように聞こえるかもしれないが、それは悪いことではないと思うぞ」
スポーツもそうだが、別の分野でもそうなのだ。苦手が無くても突出はしておらず、一点に特化している人間にはかなわないということでもある。
このままでは、話は核心に近づいていかない。俺が先生に相談すべきは、『家でゲームを作ることに集中しすぎて学園生活に順応できなかった俺が、どうやって今から軌道修正すれば良いか』ということなのだ。
ゲームを作っていると言うと、返ってくる反応は二種類だ。関心が薄ければまだいいが、「一度見せてみてよ」と言われたときが困る――簡単にできるわけがない。
俺が作っているのは、恋愛ノベルゲーム――つまり、ギャルゲーなのだから。
「お、俺……いえ、僕はですね」
「『俺』で構わないぞ。なんだ、緊張しているのか? せっかく淹れたんだからコーヒーを飲んで一息つくといい」
「は、はい……あ、うまい。苦味走った大人の色気がありますね」
「何を口走っているんだと言いたくなるぞ……全く」
それも上手いと思いながら、俺はろくに緊張が抜けないままで、長い間リアルで顔を合わせた相手に伝えてこなかった、自分の活動について明かした。
「俺、中学の頃からゲームを作ってるんです」
「ほう……? あれか、自家製スゴロクとかそういうゲームか?」
全くピンと来ていないが、とりあえず話を合わせてみたという反応。あえて一般人と言うが、これが最も多くの人々が見せる、ごく平均的な反応だろう。
「いえ、PCを使って作るゲームです。プログラムみたいに立ち上げられるんですけど」「なに、君はプログラムが作れるのか? それは凄いな……うちのような普通科の進学校で、そんな技術を持っている生徒はそうはいないぞ」
そして先生は、平均的な一般人としてのハードルを続けてクリアしてくる。パソコンで立ち上げるゲームです、と言うと『プログラミングができる』とスライド思考が派生するのだ。
「それで、どれくらいのものを作ったんだ? 何かのコンテストに出したのか」
「あ、いえ……そういうのは出してないんですが。仲間と一緒に作ったゲームを自分のサイトで無料公開して、大勢の人にプレーしてもらうことができまして。幸い、かなりの反響を得ることができました」
かなり端折っているが、嘘はついていない。俺が『雪之丈』という名前で活動していることを明かすと、先生に俺がどんなゲームを作ってきたか、メディアのインタビューを受けてどんな発言をしたかまで知られてしまう可能性がある。
しかし助力を仰ごうというのに、先生に全て打ち明けないというのもどうなのか――そう思うが、やはりギャルゲーを作っているというのはよほどのことがなければ、先生には知られたくない秘密だ。『萌えとは何か』はまだいいとして、『大切なのはおねショタよりもバブみ』などとも語っていたりするので、恥ずかしいどころでは済まない。
「それくらいしっかりしている活動なら、学園でも仲間と一緒にやってみたらどうだ? ゲーム研究会という部活ならすでにあるぞ。ネットを介してゲーム作りをするより、顔を合わせながらの方がスムーズに行くだろう」
その提案を聞いて、俺は反射的に「無理だ」と考えた。
俺が作りたいものは、自主制作のゲームだからと諦めた品質のものではなく、グラフィック、シナリオ、音楽、ゲームシステム――全てに妥協なく拘ったものだ。
それぞれのパートを担うスタッフは、必然的に学生の中から探すことは難しくなる。ネットで募集をかけてもなかなか見つけられない人材を、学校の中で見つけるというのは、普通に考えれば現実的ではない。
しかし先生はどこまでも前向きに、俺の背中を押そうとする。すぐに答えられないでいる俺は、迷っているように見えたのだろう。
「四月のうちは、新しい部の立ち上げ申請を受けつけている。掲示板に募集要項を貼り出して、部員を集めてみたらどうだ? 部として認められるには八人の部員が必要だが、同好会なら三人で始められるぞ。確実に申請を通すには四人欲しいところだが」
二人なら気の合う友達同士だが、三人からは組織とみなされる――この学校の方針としては、部活の数はいくら多くても良いということらしい。
「学園生活の要は、それが全てとは言わないが、やはり気の合う仲間と過ごす時間をつくることだろう。スポーツテストの時に君のことを少し見ていたが、どんな相手でもそつなく対応することはできるようだな。それで、部長として最低限必要なコミュニケーション能力は持っていると評価できる」
先生は俺のことを最大限に良い方向に見てくれている。そんな彼女の提案は前向きなもので、十分すぎるほどに建設的だった。
思ったより創部の条件が緩く、心が動いてしまったことは確かだ。しかし、一つ避けては通れない問題がある。
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