第49話 ネロ それは健気な少女の奮闘
目の前の少女の足取りが重くなっている。
昼だ。
頭上を覆う樹々が、太陽の光を緑色に染めている。
朝靄はとっくにはれているが、空気中の水気は多く、べたつく肌の原因が汗なのか湿気なのか分からなかった。
足元は土から露出した木の根のおかげで歩きにくく、しかも気が付かないくらいの上り坂になっているために、体力も気がつかないうちに削られてゆく。
「マーガレット、少し休もう」
「いえ、大丈夫です」
勇者の元へと急ぎたいのだろう。
ネロも早く衛星の情報について知りたい。だから焦燥感は理解できる。そして頑張ろうとする姿勢も、評価できる。
けれど、先ほどからマーガレットは木の根につまずいてばかりだ。
「おっさんはもう疲れた。そろそろ腰を休めたいんだよ。……それに地図で場所も確認したい。いったん足を止めろ」
「……はい……」
ようやっとマーガレットは振り向いた。
木の棒を提げ、利き腕の付け根をさすっている。
「ずっと振り回していて、きついだろ。ちょっと座れ」
ネロは荷物をからさっと布を一枚取り出した。
何に使うわけでもない大きめの布だ。薄いが、折りたためば尻に敷くには十分な厚みになる。
それを適当な大きさにたたんで、手ごろな岩の上に置いた。
「ここに座るといい」
「ありがとうございます」
それから水を用意すると、マーガレットは喉を鳴らして一気に飲み干した。
「ぷは」
よほど喉が渇いているのか、二杯目もすぐに飲んだ。
三杯目、魔道具である水差しを手にし、水の残りの量を見て手を止める。
「言いから飲め。数分待てばまたたまるから」
「けど……」
「リテリアは水気が多いから、普通より早いはずだし」
ネロは強情に水をすすめた。
汗をそうとうかいているはずだ。飲めるときに飲まないと倒れてしまう。
「ごちそうさまでした」
三杯目を飲み干すと、マーガレットの声にわずかに余裕が出てきた。
「あ、水がたまりました。ネロさん、どうぞ」
水気が大いにもほどがある。
それくらいの勢いで水差しに水がたまり、マーガレットはすかさずそれを手にするとネロのグラスへ注いでくれた。
「おお、ありがと」
「あの、すぐにお昼ご飯作りますね」
「いい、いい、少し休んでろ。今度は俺がスープ作るから。干し肉で済まそう」
ネロさ遮り、手早く魔道具を取り出した。
乾燥させておいた根菜やスパイスを放り込み、魔法薬に使う材料と混ぜて、火にかけ、軽く油で炒りながら岩塩をまぶす。そのままでも美味そうだったが、水を入れてスープにした。
じっくりと火を通し、徐々にしみ出してきた成分が混ざり合って効能が変化してゆく。
疲労回復、主に筋肉の緊張をほぐす効果。
そして、関節の痛みを和らげる効果。
「……一人一杯分にしかならないが……、どうぞ」
器にできたスープをよそったが、思った以上に具が少なかった。
乾燥させた根菜たちは、水分を含み倍に膨れていたが、それでも寂しい。もう少し入れるべきだったかもしれない。なるべくマーガレットには具を多くした。少しでも回復してもらいたい。
「ネロさんのは……具が少ないですけど……」
「俺は良いんだ。……、むしろスープのほうには関節痛を和らげる成分が少し多いからな」
「……そう、なんですね」
一応、マーガレットの分のほうが僅かにスープの量も多い。
ついその様に言いたくなるくらい、マーガレットは気まずそうな顔をした。
関節痛に悩んでいると思われている。
若干屈辱ではあった。
「……さて、じゃあ干し肉でもかじりながらこの先の道順を決めよう」
話題を変え、ネロは地図を広げた。
途中、道を間違えていなければ、ネロとマーガレットは最初の関門である吊り橋の傍まで来ていた。
目印や観測点などの標識を確認し、間違いなく正しい道を歩いていると確信が持てた。
「ここまで魔物や動物に出会っていないのが嘘みたいですね」
マーガレットのつぶやきはもっともだ。
「ほんとだな、夜行性の魔物が多いとしても、鹿の類は会いそうなものだな。あと鳥とか」
「鳥の鳴き声はしますけれどね。けど……遠い。もしかしてこれも精霊の加護ってやつですか?」
「そうかもしれないな。この森の精霊に最初にあっていてよかった」
素直に幸運だと思う反面、昨夜の魔人の存在が頭をかすめる。
そして自分の足首に巻き付いている蛇。
この森に侵入しているであろう他の国の魔人によって、森の生態系が狂わされているのではないか。
見た目や体感では感じ取れないほどの、けれど分析すれば明らかに違う物体になっいるという変化。
頭から否定できない。
急がなければ。
けれど焦ってはいけない。
ネロははやる気持ちをおさえた。
「……、それで、勇者がいるかもしれないという建物だが、……このまま邪魔が入らずに進めれば夕方くらいには到着できそうだ」
「よかった! 急ぎましょう!」
「……でだな、一つ提案なんだが」
「な、なんですか?」
なぜだかマーガレットはビクリとした。
「お前、また《ファーメ》の練習、するのか?」
「はい、もちろんです。だって腕も軽いですし」
「それさ、……別に練習をするなとは言わないけれど……、《ファーメ》はやめたらどうだ?」
「え、……じゃあ」
ネロは一つ提案をした。
「《マキュー》」
「マキューって……《マキュー》ですか」
「そう」
「……あの、私……火竜のマーガレットと言いまして……その、ですから」
火の魔法の基本が《ファーメ》なら《マキュー》は水魔法の基本である。
「……苦手なんです」
消えるような声だった。
「《マキュー》《ゾッカ》《セピュ》《ファーメ》これは魔法使いなら誰でもできる魔法だ。しかもお前、学校でてるんじゃないか。できないわけないだろ」
「そりゃあできますよ。けど……、《ファーメ》すら出ないのに、《マキュー》がでるとは思えないです……」
しゅんと小さくなってしまった。
ネロもなんだかため息を吐きたくなったが、なんとかこらえた。
少しマーガレットの様子が変わった気がする。
もうちょっと自信を持っていたはずだ。
木の棒で火の魔法を使えないのは、どうやら他の冒険者たちも同じのようであるし、気に病むことではないだろうし、最初は負けん気を発揮していた。
「マーガレット、ここはリテリアの森だ」
ネロは水差しを手に取った。
そこにはたっぷりの水が溜まっている。
「見ろ、大量の水気があふれている。水の力が強い場所だ。こんな所では、火の魔法はむしろ難しい。コツをつかむまでは、この水気と水の力を利用して《マキュー》で試したほうがいいと思うんだ」
「……そうですね。……確かに、そうかもしれません……」
肯定しているが、まだ納得はしていないようだった。
「それにな、お前のあのロッドは水と風の属性だ。水の魔法の制度を上げておいて損はないだろう? いい機会だ。火の魔法以外も得意になればいい」
そういうと、やっとマーガレットは納得したようだった。
「はい、……そうですよね! やってみます!」
元気いっぱいの声で返事が来たので、ネロはほっと肩から力を抜いた。
予定よりも少し長めに休憩を取ってしまったが、ネロとマーガレットは再び森を歩き始めた。
昼を過ぎ、けれどまだ太陽は高く、温かくなってくる。
今日は天気が良いようだ。
目指しているハルリア村は、晴天であれば活気づく。着いたら搾りたてのフルーツジュースを飲みたいものだ。
道の傾斜が高くなってゆく。
《マキュー》
マーガレットは歩きながら呪文を唱えているが、ここからは歩くことに集中したほうがよさそうだ。
「マーガレット、その木の棒を森に預けよう。坂がきつくなる。いざとなったら木を掴めるように、両手を空けておいたほうがいい」
「けど、もう少しでできそうなんです」
手ごたえを感じ始めているようだ。馴染んできたのかもしれない。それならば取り上げてしまうのはかわいそうであるが、危険だ。
「新しく作ってやるからさ」
「けど……」
「危ないから」
「分かりました」
しぶしぶとだったがマーガレットは辺りを見回し、巨大な樹の根元にそれを立てかけた。
「帰りにまだここにあったら、回収していきます」
「なんだ、その愛着」
「だってぇ」
するとネロの足元からスルリと蛇が出てきた。
しゅるしゅると木の棒に近づいてゆく。
「なんだ、お前もここに残るのか」
ネロの言葉が通じたのか、蛇は止まり、くるっと頭を向ける。
けれどすぐにしゅるしゅると木の棒の傍に行き、絡み合う巨木の根の隙間へと姿を消した。
「……、行っちゃいましたね」
「だな。森に受け入れられたってことかな……」
「かわいいペットだったのに、……寂しいですね」
そのマーガレットの声が聞こえたのだろうか。ひょっこりと蛇が顔を出す。
そしてスルスルと戻ってきて、ネロの足首にくるんと巻き付いた。
「……、戻ってきましたね」
「……だな」
こいつは何がしたかったのだろう。
もしかしたら単なる食事だったのかもしれない。巨木の傍で美味しそうな妖精でも見つけたのだろうか。
「……」
気を取り直して、ネロとマーガレットは歩き出す。
上りは先にマーガレットは登り、下りになるとネロが先に降りる。
しかしながら、本当にこの足元の悪い道を勇者一行が歩いたのだろうか。
問題はやはり荷馬車だ。
上っては下がり、また上るを繰り返し、やっと開けた場所にきたと思ったら、そこは崖であった。崖下の方から水が流れる音がかすかに聞こえてくる。
崖と言っても、急すぎる坂ともとれる。動物であれば悠々と闊歩できるだろう。崖肌にも木々が生い茂っている。
けれども、これ以降はずいぶん楽な行程になるはずだ。崖に沿って平坦な道があり、その先には目的の吊り橋が見えてくる。
「ここまで来れば、もう目的地はすぐそこですね!」
マーガレットのは汗をぬぐいながら、晴れ晴れした声で言った。
距離だけならばだいぶ長いのだけれども、今まで苦労を考えればすぐそこだという気分も分かる。
「そうだな! じゃあ行くか!」
「はい!」
地図を確認しながらどんどん進んだ。マーガレットの歩く速度が上がってゆく。先ほどまでの覚束なさは嘘のように消えている。
そんなに勇者に会いたいのだろうか。いや、会いたいのは当然だとしても、まるで好きな人に会いたいかのようだ。
そうか。
ネロはひらめいた。
マーガレットはピクスリアという勇者のことを好きなのかもしれない。
「だからか」
「ないにがです?」
「いや、なんでもない」
他国の王から勇者の称号を貰っているくらいだ、若い冒険者にとってはあこがれの存在だろう。
「早く勇者に会えるといいな!」
「え? はい! ほんとに早く会いたいです」
そうして、夕刻。
ネロとマーガレットは吊り橋にたどり着いた。
これまで緑色しかなかった世界が、茜色に染まる。赤と、そこにくっきりと黒い影が刻まれていた。
吊り橋は長いが、道幅は広い。太いワイヤで補強されているし、目視では壊れた部分は確認できない。
対岸の木々の間に、建築物が見え隠れしている。
水門を管理する小屋の一部だろう。渡ってしまえばすぐだ。
「んじゃ、俺が先に行くから」
そう言ってネロは吊り橋を渡り始めた。
結構強い風が吹いていた。橋もわずかに揺れている。風の通り道なのかもしれない。
橋の中腹で立ち止まり、舌を覗き込む。
崖の上からでは見えにくかったが、下には流れの速い川があり、その濁流を見ることができた。この勢いであれば水門は開け放たれている状態だろう。
にしても、大雨が降ったわけでもないのにずいぶんと水が暴れている。
少々風にあおられたものの、無事に対岸に着くことができた。
マーガレットも問題なく吊り橋を渡り切った。
小屋はもう目の前だ。
そして空は茜色から藍色へと変化し始めていた。
「小屋で一泊できるでしょうか」
「カルジュが連絡を入れてくれていればな。そもそも人がいるかどうか」
もしかしたら外へ避難しているかもしれない。
「……、勇者、いるでしょうか」
「お前、あれだけ自信満々に言い放ったくせに」
「そうですけど!」
「はいはい。ともかく、玄関に行こうか」
道は整えられていた。門もあったが、扉は閉じられておらず、玄関には問題なくたどり着いた。
けれども明かりがどこにも灯っていない。
「……人の気配が……しないな」
「……ですね」
これはハズレだったかもしれない。
「ま、物は試しだ」
ネロはチャイムを押した。
案の定、反応はない。
もう一度押してみたが、同じだった。
「……」
試しにドアノブを握ってみた。
カシャ。
ウウィン。
微かな振動と音がした。
もしかして鍵が開いたのだろうか。
訝しんだが、ネロはドアを押したり引いたりして見ると、引いたときにドアが動く感覚がした。
「……」
ゆっくりと引く。
ドアが開いた。
「おいおい……」
ドアの向こうは真っ暗闇だ。中から誰かが解錠した様子もない。
招かれたのだろうか。
空からの光も急速になくなってゆき、前も後ろも闇に包まれてゆく。
「ネロさん……」
傍らでマーガレットが不安そうに声を出した。
「大丈夫だ、」
と言おうとしたとき、建物の奥のほうにパッ白い灯りがともった。
ビクッとしてマーガレットがしがみついてくる。まるで、部屋からの明かりが漏れ出ている、そのような光だった。無音だった世界に、機械が動くような音もし始めた。
「誰かいるのか……?」
ネロはマーガレットを落ち着かせるように頭に手を乗せてから、小屋の中に足を踏み入れた。
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