第2話 ネロ それは魔法師団コーカル支部の忙殺
カンバリア共和国魔法師団。
魔術と法術のスペシャリストが、国家公務員として働く国家機関である。
国家資格をもった魔法使いがいる場所、そう国民は思っている。
また、頭ばかりよくて実践では役に立たない、とも陰口をたたかれている。
勇者や冒険者は正義の味方だが、魔法師団は根暗の国家の犬。そうも思われていた。
冒険小説の悪役にされる。
勇者を妨害する闇の幹部のようなキャラクターは、だいたい国家魔法師という設定だ。
勇者の仲間の生き別れの兄だとか腹違いの姉なんかが魔法師で登場し、そいつらは魔王の部下だったりする。
日々、国家と国民のために身を粉にして働いているのに、世間からのイメージが悲しくなるくらい悪い。
そんな魔法師団は、未曽有の大混乱に陥っていた。
一時間前に襲った衝撃波に含まれていた、異様な魔力のためだ。
一瞬で駆け抜けた魔力。しかし多くの魔法具が変質、結界や魔法陣も変質、そして体調不良を訴えたり、失神する魔法師が続出していた。
大半の人間がパニックに陥っている中、それとはまったく違う理由でパニックに陥っている部署があった。
結界課魔法陣修繕係である。
「はい、はい、申し訳ございません。至急調整に向かいますので」
「はい、故障ですか? え? 火事? 結界の中が?」
「はい、まほうしだ、あああ、はい、すみませんでした、ただいま向かいます。それでどのような異常が、ああ、はい、はい、はい、申しわけございません、はい、すみません」
「はい、魔法師団結界課。これはこれは教会の、……ええ、はい、……、聖結界の、はい、はい、書き換えられている。いたずらかもしれないと、はい、しかし見たことのない文字だと、……あー、なるほど。悪魔の仕業ではないかと、はい。かしこまりましたー。すぐに、詳しいものを派遣しますね。はいー。しつれいしますー。はいー。……、……。……、おめえ聖職者じゃねーのかよ、自分でわかんねえのかよ! 馬鹿か! 無知か! なんちゃってか! おいネロ! 行け」
「え。課長、俺がですか?」
ネロ・リンミーは、金と緑で彩られた瞳をぱちくりさせて振り向いた。
悪魔がいるかもしれない教会。
そこに一人で行けと言われたのは気のせいだろうか。
「じゃあフェリシア連れていけ! フェリシア! もう一つ仕事追加!」
「ええええ? 待ってください、私これから小学校の校門の結界を調べにいかなきゃいけなくて、そのあとは水道局で、そのあと」
泣きそうになっている。黒いローブの袖をまくり上げて、小型の杖と工具箱と、様々な古文書を抱えていた。
「ネロと二人でやれ!」
「あ、はい! ならなんとか!」
「ロゼ! ロゼ! どこ行った!」
課長はヒステリックに叫んだ。
机では電話が鳴っている。
ネロは頭を掻きながら言った。
「さっき、工具抱えてそこの魔法陣でワープしていきましたよ。結界の中が火事だそうで、その電話を受けていました。多分そこ」
「ネロ! 追いかけろ! 一人で行かせるな! あ、水晶持って行けよ、次の依頼を送り続けるからな!」
「……りょうかいしました……」
「待ってください! ネロ先輩がそっちに行ったら、私が一人ですか? ネロ先輩と一緒ってさっき言ったじゃないですか!」
「テレーズも一人で行ってる!」
「あっちは魔獣課のヘルプじゃないですか! あの子の専門! 私は結界課に来てまだ半年なんですよう! 一人じゃ無理です!」
完全に泣きに入っている。
「緊急事態なんだよ! お前よりもっと心配なロゼが火にまかれた魔法陣見にいっちまったんだ、ともかくそっちはお前で何とかしろ! ネロ! さっさと追いかけろ!」
「はいはいはいはい。ったく、人使い荒いんだよな」
ネロは先ほど国境の風化した魔法石を修理して戻って来たばかりだった。その前は神獣の保護所の護符が割れたとかで作り直しに行っていたし、その前は川の氾濫をおさえる魔法陣を書きに行っていた。
もともと依頼の入っていた仕事に加え、一時間ほど前の奇妙な衝撃波にて、魔法師団は大混乱。そして、いつもの何倍もの修理依頼の電話が鳴り響いているのだ。
依頼が来ても、コーカル支部の魔法具のほとんどが使いものにならなくなり、魔法師の半数が動けない状態である。
コーカル支部こそどこかに泣きつきたい。
「フェリシアがんばれよー」
「ネロ先輩! 行かないで! 私と一緒に来て!」
そんな声を聞きつつ、ネロはワープ魔法用の結界に入り、腰に差していた細い杖を抜いた。
次の瞬間、目の前には火柱。
巨大だ。幸いにも結界の中での火事なので、火の粉などは結界の外には漏れだしていなかった。
しかし凄い迫力である。なかなか見られるものではない。
場所はコーカル市郊外の田園地帯。収穫した穀物を保存する倉庫である。
そこには防御結界や防火結界、防水結界などが重ね掛けされていたはずだ。
防火結界に異常が起こり、発火したのかもしれない。防水のために、中が異常乾燥していたか。
「こんなの、どうしろっていうのよーーー!」
そしてパニック中の女の声。
「ロゼ」
「うわああああん! ネロ先輩! 神! 助けてください!」
「まあ落ち着け。水魔法でまず周りに柵を作って。高さ六十メートルくらい。厚さ三十センチで。五重にして、気象魔法で結界上空に小さな魔法雲を作って、」
「この状況でそんな器用な真似をしろと? 建物が現在絶賛全焼中ですよ!」
「落ち着けよ。できるさ。それが終わったら結界を壊すぞ。同じタイミングで水の柵を小さくして鎮火させる。水蒸気爆発の可能性があるから、魔法雲に水蒸気を吸わせて成長させる。雲が大きくなったら雨を降らせるぞ。ま、やってみようぜ。失敗したら別の策を考えよう」
「……はい、ネロ先輩」
てきぱきと水の柵を作り、その周りにさらに結界を書き、火柱の結界を一部破壊した。
同時に水での強制鎮火と、気象魔法発動で水蒸気爆発を防ぎ、できた雨雲で雨を降らせて埋火対策。
「じゃあ、ロゼ。あとはよろしくな」
「はいぃぃ、がんばりますぅ」
後処理をロゼに任せて教会へワープし、泣き顔のフェリシアと合流をした。
「ネロ先輩! 待ってましたぁ! これどうしましょう!」
教会の書き換えられた文字は太古文字であった。
幸いにも書き換えによる悪魔召喚などの事態はなさそうだった。しかし今の時代には珍しい文字列である。
新しく結界を貼り直し、古い結界は調査のために回収した。
「じゃフェリシア、俺は次の場所に行くから、あとは頼んだ」
次々と水晶に送られてくる仕事先にワープを繰り返し、合間を見てフェリシアの様子を見に寄った。
そして、五時。
国家公務員のお仕事終了時間がやってきて、ネロは満身創痍で職場に帰ってきた。
そこには、机にうつ伏せてい動かない屍たちがいた。ロゼの姿もあった。
鳴りやまなかった電話をすべて不在に切り替えて、みな、力尽きていたのだ。
この緊急事態である、おそらく残業が命じられることとなるだろう。
さっさと帰ってしまうか、それとも屍のように寝るか。
後者を選んだ。
帰宅してから再度呼び出されるほうが嫌だ。椅子を引こうとして、動きを止めた。
机に備え付けられている小さなダイヤ型の水晶が、点滅している。
「……」
ネロは息をのんだ。そして身構えた。
なにか連絡が届いている
ネロの脳裏には紫色の目が浮かんでいた。
『ネロ・リンミー魔法師』
己の名を呼ぶ声も耳の奥に響いた。
決して断れない相手の声と目。
断ってはいけない相手からの無理難題。
至急開封しなければならない。
「……う、」
けれど。
「………………、お仕事は終わりましたんで……、じゃ、お先失礼しまーす」
と、水晶に向かって言い、そっと帰ろうとした。
「…………。……。……。くそっ」
だが、非常に嫌なのだが、ネロは思いとどまって、水晶をピッと押した。
『ネロ、話がある』
てっきり無理難題な仕事の命令だと思っていたが、違った。人から言わせれば、自分とよく似た声が吹き込まれていた。
『俺は仕事で帰れないから、仕事終了後に市庁舎に来てくれ。あ、その前に家に一度帰り、執事に頼んである荷物を持ってきてくれないか』
ロキ。
双子の兄である。
兄であるロキ・リンミーはコーカル市の市長をつとめていた。
ちなみにロキにとって、ネロも『兄』である。
兄であるほうが家を継いでコーカル市の市長をやれと言われていたので、小さい頃から『兄』を押し付けあっていて、ネロが『弟』を勝ち取ったのだ。
ロキはそれを認めず、未だに『弟』を自称しネロを『兄』だと主張しているが。
しかし話とはなんだろうか。これはこれで非常に嫌な予感がしてならない。
魔法師団も忙しいが、どうやら市庁舎も忙しいらしい。
その理由を考えようとして、ネロは無理やり思考をシャットダウンした。
考えてはならない。
自分は人を使う側の人間ではない、使われる側の人間である。であるので、変に智謀をめぐらすことはしなくていい。
ただ、帰りたくなくなった。それだけだ。
「ネロ先輩、今日はありがとうございました。お菓子食べましょう? 甘いの食べて、一休みしましょう?」
ロゼが机からお菓子の袋を取り出して誘ってくれた。
くたくたの声だった。
「お、いいのか? ありがと」
そこに、ヘルプで古巣に戻っていたテレーズがやってきて、
「あああ! 地獄! 私はもう結界課だからって言って逃げてきた! お菓子私も食べるううう!」
と膝から崩れ落ちるように、自分の机に倒れこむ。結んでいる髪がだいぶ飛び出しているけれど、そんなこと気にしているどころではなかったらしい。
「やっと終わったああ! もう一人でこんなのやってらんないよおお! ネロ先輩、分かんない文字がたくさんありましたあ! もうわかんない! 全然分からなかったんですよおお!」
ワープから出てきたフェリシアは半分怒り半分泣いて、ネロにしがみついてきた。
結界課修繕係のかしまし娘三人組は、ネロが教育係を任されている新人部下だ。
他の課では優秀な魔法師だったが、専門外の結界課に異動させられて毎日悲鳴を上げていた。
正式な独り立ちの前に、今回の件でロゼやフェリシアは強制的に独り立ちさせられたに等しい。
専門分野のヘルプに行っていたテレーズも、疲弊ぶりを見る限り、あちらもそう変わらない地獄だったようだ。
「あー、はいはい、よくやったよくやった。お前らみんな頑張ったよ」
「この騒動が終わったらネロ先輩のお家に招待してください」
「午後のお茶会とか」
「コテージとか!」
「はいはい。わかったわかった」
そう言いつつも、ネロはこの騒動が終わる予感がまるでしないことに苦笑いを浮かべた。
今回の件は、絶対に大事件だ。
魔法師なら誰だって分かる。こんな異常事態、あっていいわけがない。
「お前ら、あの衝撃波の影響は大丈夫か? 具合悪くなったりしてないか?」
「大丈夫です。私そんなにやわじゃないんで」
満身創痍の顔つきでロゼが親指を立てた。
「私も。あんなの跳ね返してやりましたよ」
フェリシアも不適に笑って髪をふぁっさあと流した。
「あれしきの魔力で気を失うなんて、低能の証拠よ」
テレーズも強気に煽り発言を吐き捨てた。
そして三人は同時に机に突っ伏した。
「でもこの仕事量は地獄」
「死ぬ」
「もうやだ帰りたい」
「明日来たくない」
「有給! 有休を申請する!」
「実家に帰らせていただきます!」
ひとしきり文句を叫んで、疲れとストレスを発散している。
ネロもそれに乗りたかったが、それをする気力がもったいなく、黙々と菓子の袋へ手おをのばすだけにとどめた。
かしまし娘が静かになった。
「……、テレーズ、神獣たちの様子はどうだったんだ?」
「はい、……暴れまわってたり、ずっと遠吠えをしていたり、体の弱っていた個体は死んでました。その解剖もしたんですけど、もともとの病気や怪我以外の異常は見えませんでした」
テレーズは菓子をつまみながら、なかばどこか遠くを見つめるような目つきで言った。
「動物園へも行ったんですけど、あっちも同じような状況でした。神獣や魔獣や動物、それらの違いはなさそうですね」
「太古文字への書き換えとの共通点はなんなんでしょうねぇ、……」
フェリシアは古代文字辞典をめくりっている。今日回収した書き換えられた結界を解読しようとしているようだ。
「っていうかぁ、なんで結界という結界が書き換えられてるの? 結界課への嫌がらせ?」
そう叫んだのはロゼである。その言葉は室内全体に響き渡り、ほんとそれな、全くだよ、とほかの席からも同意の嘆きが上がった。
その時、結界課の入り口に、場にそぐわない人物が姿を現した。
所長の秘書官である。
結界課魔法師たちのくたびれ埃まみれの黒いローブ姿とはまるで違う。いかにも室内で指示を飛ばす側とわかる非機能的な重厚なマントを羽織っている。
足元がすっぽり隠れ、その内側からコツコツと音がした。
歩いているわけではないので、マントの中で杖を床に打ち付けたのだろう。
その音に皆口を閉ざし、秘書官を見た。
「ネロ・リンミー魔法師はいるか?」
今度は視線がネロへ集まった。
「……」
「サヴァラン所長がおよびだ。所長室まで来るように」
無理難題が、歩いてやってきた。
仕事は五時で終わったんですけれどね。
所長秘書官に向かって、心の中でそう答えた。
その声がまるで聞こえていたかのように秘書官は不快そうな顔をした。
「返事は? ネロ・リンミー魔法師」
「……かしこまりました」
秘書官は無言で立ち去った。足音はしなかった。
「……」
ため息をつくのも億劫だ。
ネロ・リンミー。
三十二歳。赤銅の艶が光る胡桃色の髪と、金と緑の混じる瞳を持つ。性別は男。
職業、国家魔法師。
実家のリンミー家は貴族、子爵家。領地はないが、父は個人的に男爵位も賜った有力者。
双子の兄はコーカル市長、ロキ・リンミー。
市長と所長か。
「帰って寝たい」
そう呟いて、ネロはお菓子の袋に手を突っ込んだ。
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