第15話 魔術師は、少女の決意を知る
「初代の勇者、か。たしか、三〇〇年前に魔王を倒したという……」
「そう、その勇者」
リッタの言葉にウィルは記憶を辿った。
入学試験の打ち上げのときにも思い出した内容だから、記憶が蘇るのはあっという間だった。
「勇者と行動を共にしていた魔術師の末裔、か。そんなやつがいたんだな」
「……勇者パーティーの子孫が、いないと考えるのも不自然……」
「それもそうだ。ああ、そういえば……」
ステラのやつも、そんなことを言ってたような気がするな。
「……?」
「いや、なんでもない。こっちの話だ」
まばたきするリッタに、ウィルは咳払いして答えた。
そして話を続ける。
「……それで? それが、リッタの強くなりたいって気持ちにどう影響してるんだ?」
「初代勇者は、魔王フェルメノクを滅ぼして世界を救った……でも、その決戦に私の祖先の魔術師は参加できなかった……」
リッタがとつとつと語ることによれば、魔王城の攻略の過程で、初代勇者の仲間だった魔術師は途中で脱落してしまったらしい。
言い伝えによると、魔力切れが原因だとか。
戦いから生還することには成功した魔術師だが、そのことを生涯に渡って後悔していたという。
「それで、家訓ができた」
「ほう」
「ハーウェル家……うちの魔術師は、次代の勇者が現れたとき、その力にならなければならない……そして、今度は、途中で脱落しないだけの強さを身につける」
「それが理由か……」
ウィルが口を挟むと、リッタは頷いた。
「だが。今代の勇者——勇者リオのパーティーにはすでにリッタの姉が参加しているのだろう? リッタが力をつける必要はないんじゃないか?」
「……それは、違う」
「どう違う?」
「もし……もし、ステラ姉さんが怪我でもしたときは……私が代わりに頑張らないといけない」
ウィルは言葉につまった。
見上げた覚悟とも言えるが、同時に悲壮感のようなものを感じたのだ。
自分の精神年齢のことは棚に上げて言うなら、この年齢の少女が決意することにしては重すぎる、と思えた。
「本気、なのか」
「……ん……」
こくり、と頷くリッタ。
「分かった。勝負しよう」
少女の決意が固いと見たウィルは、その思いを否定するのをやめた。
自分が適切な手加減を身につければ、彼女の意志がどうであろうと関係ない。
パーティーに復帰するのを急ぐ理由がひとつ増えたというわけだ。
「じゃあ……始める……」
リッタは一瞬目を伏せる。
彼女が周囲の魔力へ見えない手を伸ばし始めたのが、ウィルには手に取るように分かる。
魔術師として優秀なほど、自然に存在する状態の魔力を素早く自身の支配下に置くことができる。
ウィルの見たところ、リッタの技術は将来の一流魔術師の片鱗を覗かせるものだった。瞬く間に中庭を支配下において、さらに支配範囲を外へと広げようとしていた。
「……ウィル?」
ウィルがまだ行動してないことに気づいたリッタは、集中を切らさずに問いかけた。
「ああ」
頷きを返したウィルは、食指を空間にそっと這わせた。
本気ではない。
リッタのためにも、自分に今できる最高の手加減をするつもりだった。
「っ?」
リッタが息を飲んだ。
それもそのはずで、彼女が支配していたはずの中庭の魔力が、急速にウィルの支配下に置かれようとしている。
同程度の技術なら、広い範囲を支配するのと狭い範囲を支配するのでは、当然、後者のほうが影響力が強くなる。
すでに宿屋全体を支配下に置こうとしていたリッタより、中庭だけに対象を絞ったウィルの支配力が強いのは当然といえば当然だ。
だが——
「——させない」
ウィルの支配力はその理屈以上に強烈だった。
反撃を宣言して、支配力を高めにかかったリッタだが、その額には汗が滲み始めている。
「やるな……」
ウィルは呟く。
感心してみせたのは、彼女が支配力を強めてウィルの制御力に挑戦してきたからではない。リッタの目論見を理解したからだ。
彼女はウィルと正面から争いながらも、その反対側で支配領域を拡大しようとしていた。単純な支配力で上回れないのなら、ウィルの支配力が及ばないところで魔力をかき集めればいい、というわけだ。
「……支配力で負けるのは初めて……」
「ステラにも負けたことはないのか?」
その気になれば、彼女の思惑を潰すことができる。
正面から強引に支配してもいいし、リッタの意識が向いていない地中を通して、同じように裏側から食い荒らすこともできるだろう。
しかし、ウィルはそうしない。
「姉さんとは……比べたことがない」
「なるほどな」
正面で若干の優勢を保つ程度に、手加減をしているのだ。
今日の入学試験でリッタに続く二位だった学生としては、この程度がちょうどいいはずだから。
「……それが、ウィルの本気?」
「もちろんだ。単純な支配力は俺のほうが強いみたいだな」
リッタの問いかけに、自信満々で返す。
彼女が裏で支配領域を拡大している今、全体としては拮抗どころか明らかに負けているのだが、それには気づかないふりをしている。
——これが、俺の本気の手加減だ。
と、ウィルが内心で呟いたとき。
「……汗一つ、かいてない……」
リッタから指摘されて、気づいた。
彼女の額に浮いた汗は、顎まで伝い、地面に水滴の跡を二つ三つ作っている。
にも関わらず、彼女と拮抗しているはずのウィルは、顔色ひとつ変えていなかった。
……しまった……。
「さ、寒いからな……」
思いつきで、適当な言い逃れをする。
言ってしまってから、それが言い訳にもなっていないことに気づいた。
半裸で寝ていたミラだって、寒そうにはしていなかった。今はそんな季節なのだった。
「……終わり」
リッタは支配下に置いた魔力を、その一言と同時に手放した。
ウィルは内心で冷や汗をだらだら流す。
完全な手加減ができていたと思っていたのだが、それは幻想だった。
侮りがたし、手加減。
「……いつか……」
立ち去り際にリッタがぽつりと切り出した。
ウィルは視線を動かして、リッタの表情を確認する。
しかし、心境が顔に出にくい彼女が何を考えているのか、ウィルには分からなかった。
「本気で相手をしてくれる日を、待っている」
ウィルにできたのは、言葉なく佇むことだけだった——
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