第14話 魔術師は、夜に少女と語り合う

 その夜のこと。

 異常な魔力の気配を感じて、ウィルは飛び起きた。


 晴れているから、鎧戸は締めていない。

 そのため、宿屋の一室には月明かりが差し込んでいる。

 だが、異常を確認するために周囲を観察するには少し暗すぎた。


 目が見えない場面では、通常は魔力感知を頼りにするのだが、いまはその魔力に異常しかない。

 宿屋を含めた広い範囲に、大規模な術式を使おうとしている者がいる——


 ウィルは意識だけで<暗視ナイトビジョン>の魔術を発動する。

 と、ほぼ同時に。

 周囲に溢れていた異常な魔力が消える。何者かが、魔術行使を取りやめたのか。


 考えながら、ウィルは室内を確認した。

 そして、その惨状に気づいた。


「これは……ひどい」


 緊急事態にそぐわない、テンションの下がった声でウィルは呟いた。

 視界に入っているベッド二つ。

 その片側が、あまりにあんまりだった。


「うぅ〜ん。なんなのよ、林檎じゃない。私が欲しいのは、その酸っぱい葡萄なのに……」


 意味の分からない寝言をもごもご呟くミラがいた。

 その上半身は完全に床にずり落ちて、片足だけがかろうじてベッドに引っかかっている。


 この街まで旅するために、荷物を最低限にしていた彼女は、寝間着は着ていない。

 最低限の肌着と下着だけを身に着けて、シーツにくるまって寝入っているのだ。


 だが、あられもなくはだけたシーツは、素肌を隠す役に立っていない。

 上のシャツなんか、胸元までたくしあげられている。

 おへそどころか下乳まで覗いていることに気付いて、ウィルは思わずため息を吐いた。


 消えた魔力の源については心当たりが出来た。

 あとは外に出て確認するだけだ……。

 その前に、シーツぐらいはかけ直してやることにして、ミラの寝ている寝台に近づく。


 ウィルが、くしゃくしゃになったシーツに手を伸ばしたとき。

 ミラはまた何事か呟こうとしていた。

 聞き耳を立てるつもりはなくても、その一言は耳に入って来た。


「ステラさん……大好きですぅ……」 

「……正気か?」


 勇者パーティーの魔法剣士の姿を思い出して、ウィルは顔を引きつらせた。


 まあ、人の好みはそれぞれだからな……。

 触らぬ神に祟りなしの心境になって、雑にシーツを掛けると、ウィルはさっさと部屋から退散した。

 室内から姿を消していたもう一人の少女——リッタを探すために。


 ウィルは、先ほど魔術行使の一歩手前まで高まった魔力の痕跡を追って、階下に降りる。

 僅かな、それでいて自己主張するような魔力が、今もなお脈打っている。

 その源を辿るように、ウィルは宿の中庭に出た。


 そこは厩と井戸がある、ちょっとしたスペースだ。

 馬を連れた旅人にとって厩は必須だし、旅の間で汚れた衣服を洗いたい逗留者もいるだろうから、こういう設備は大抵の宿屋にある。


 その庭の中央で、蒼い月明かりを受けて、一人の少女が佇んでいた。

 服装は日中と同じローブで、魔術師にとっての武器である杖も携帯している。

 その少女——リッタは、大きな杖を抱くかのように両手で持ち、杖の先端を地面に付けている。


 ……風が吹いた。

 月光の下、白銀の髪が銀糸のように揺れる。


「……待っていた……」


 瞑想でもしているかのように、瞑目していた目蓋が開いた。

 澄んだ蒼の瞳が、これまた蒼く輝く月明かりを受けて、深い海の色のようだった。


「さっきの魔術は……リッタ、お前だったのか?」


 半ば確信しながらも、ウィルは確認した。


「そう……用があった」

「普通に起こしてくれればよかったんだが……」


 攻撃魔術の発動一歩まで術式を展開されて、それで起こされるなんて体験は、勘弁してほしかった。

 ウィルの苦情に、リッタは一瞬視線を下げたが、すぐに元へと戻した。


「あれで、気づかれないようなら……意味がなかった」

「どういうことだ?」

「今日の試験で……ウィルは変なことをしていた」

「……。変なことと言われても、心当たりがないのだが……」


 探りを入れられたウィルはとぼけながら、シルフィが不在であることに気づいた。

 さっき、宿の部屋にいた気配はあったのだが、声をかけるという発想にならなかったのだ。

 自分と同じように、目を覚ましているものだと思い込んでいたが、よく考えればその保証はない。


 ということはつまり。

 ……寝てるのか、あいつ……。

 サポート役のくせに……このタイミングで……。


「……それに……」


 ぽつりと呟くリッタの顔には、ためらいの色はない。


「さっきのに、気づいた」

「む……」


 ウィルは反論できなかった。

 今日の試験に出ていた学生レベルでは、睡眠中に魔術行使の気配を察知して、その大本を探査するなどという離れ業は難しいだろう。


「ウィルは優れた魔術師。……だから、お願いがある」

「お願い?」

「……後で話をしたいと言っていたこと。ご飯のときは、その機会チャンスがなかった」

「そんなことも言っていたな……。分かった。聞こうか」


 ウィルは頷く。

 まだ自分の正体が勇者パーティーの一員だとばれたわけではない。

 実力がある魔術師だと知れ渡るのは、手加減の修行の上では都合がよくないが、ちょっと強い程度のポジションだということにすれば、まだセーフだろう。


 それに、リッタのこれまでの振る舞いからして、頼みを聞くことで、他人に言わないように口止めすることができるかもしれない……。


「……私と魔術比べをして欲しい」

「? 魔術で戦いたい、ということか?」


 どんなことを言い出すかと思っていたら、過激な一言が飛び出してきたものだ。

 そう思ったウィルだったが、すぐにそれが思い違いだと知らされた。


「……実戦じゃない。周囲の魔力を支配する競争……師匠が、それを魔術比べと言ってた」

「なるほど。周囲の魔力の奪い合いか」


 短い説明だったが、ウィルには言わんとすることが理解できた。

 魔術を使う際、魔術師は自身の体内の魔力だけではなく、周囲の環境にある魔力を利用する。自身の魔力だけではすぐに枯渇してしまうからだ。

 魔術師にとっての魔力切れとは、周りから取り出せる魔力の限界も含んでの概念だ。

 大気や大地といった自然物、建造物や道具といった人工物にも魔力は蓄積される。そこから魔力を取り出して使用しても、時間の経過で自然と元通りになる。


 だが、魔術師が二人いて、同一のものから同時に魔力を引き出そうとすると——


「魔力の支配力に優れた使い手がどちらか分かる、というわけだな」


 ウィルが言うと、リッタはこくんと頷いた。

 リッタの提案する勝負で、修めた魔術の業のすべてを比較することはできないが、魔力の引き出しとコントロールはどのような魔術を使うにしても基本になる。

 才能と熟練度を測るには悪くない。


 ウィルは少し考えて、口を開いた。


「勝負してもいいが……その前に、理由を聞こう」

「……理由……?」


 リッタは首を傾げた。


「リッタは俺を強い魔術師と思っている……それはいい。だがどうして、強い魔術師と勝負をしたがるのか、その理由が知りたい」

「……強く、なりたい」

「それだけか?」

「…………私は、強くならないと、いけない」


 リッタの瞳に光が灯る。

 澄んだ蒼い瞳の奥で燃えているのは、意志の炎だ。

 ウィルは言葉からではなく、目の輝きからそれを感じ取った。


「……リッタの姉さんは勇者パーティーの一員だったな? それと関係があるのか?」


 思えば、ウィルはステラのことをよく知らない。

 魔法剣士であること。国に嘱望された優秀な魔術師であること。勇者リオのことに関して過保護というか、ウィルを遠ざけようとしているきらいがあること……その他、細々と知っていることはあるが。


 リッタの意志の源は、もしかすると彼女と関係があるのかと思った。

 試験の時も、姉に対するコンプレックスがあるようなことを口にしていたしな……。

 そんなウィルの思考をリッタが遮る。


「私は……私の家は、初代の勇者と共に旅した魔術師の一族」

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