第10話 魔術師は、工夫してみる

「なっ——納得いかないぞ! 詠唱ありの魔術よりは無詠唱魔術のほうが高度なはずだ!」


 無詠唱魔術が減点の対象になると言われたジギーが抗議する。

 が、試験監督の一人である、銀縁眼鏡の女魔術師はそんなジギーに冷たかった。


「詠唱が評価対象であることは先ほど説明しています。にもかかわらず、詠唱を省こうとするのは、詠唱技術に対する自信のなさの表れと見るのが自然でしょう。詠唱魔術を無詠唱にしたところで、魔術そのものの効果が上がるわけではないのですから。どうですか——異論はありますか?」


 女魔術師が人差し指で眼鏡を押し上げると、レンズが日差しを反射してキラリと輝いた。


「ぐっ……ぐぬぬ……」


 ジギーは唸るばかりで、反論の言葉を口にできない。

 とはいえ、仮にウィルが同じ立場であったとしても、反論するのは難しかった。


 無詠唱は、術式が効果を発揮するまでのスピードを格段に上げる。

 その反面、威力や精度はかなり下がってしまう。


 魔術師同士の戦闘や、魔術師対戦士のような異種格闘においてなら、敵より先に魔術を放つことで優勢になるシーンも多いが、パーティでの戦いでは、詠唱の間は盾役に守ってもらって、その分、威力と効果に重点を置いたほうがいい。


 さらに、戦闘ではなく、農業や工業などに用いるのであれば、これは断然、詠唱ありのほうがいい。この場合、急ぐ必要があるシーンがほぼ存在しないからだ。


「……仕方あるまい。了承した。以降は詠唱ありの魔術を使おう」


 そういう理屈は理解できているのだろう。

 肩を落としていたジギーだが、結局、そう言って頭を振って髪を靡かせると、自分の試験の番が回ってくるのを待っている一同へと、流し目を投げた。

 それを見て、ミラが鼻を鳴らした。


「まったく、格好だけは付けるのね」

「……ん」


 ミラによる、再びの辛辣な発言。それにリッタが頷いた。

 二人がなんとなくジギーを嫌っていそうな理由が、ウィルには分からない。


 ——帝国人と、他国の民には確執でもあるのだろうか?


 そんなことを考えて、勇者パーティーとの冒険の旅をしていた頃の記憶を探るが、どうにも思い当たる節がなかった。 

 あとで二人に聞いてみるかとウィルは考えて、そこで思考を止める。

 今は自分のことを考えないといけないのだ。


『無詠唱も駄目か……』

「困りましたねー。あ、でも、減点されるぐらいでちょうど良いんじゃないですか? 手加減としては」

『いや、門番が言っていただろう。合格率は五割程度だと』

「あ、言ってましたねー。それで?」

『これまでの様子をざっと見たところ、受験者の半数程度が、標的を三つとも破壊することに成功している。とすると、詠唱ありで三つ破壊するのは、合格を狙うなら必須の条件だろう』

「今回の受験者のレベルが高いだけ、ということも考えられますよー?」


 シルフィが言うが、ウィルは首を振りかけて……周囲に変な行動と思われないよう、動作は最小限にとどめた。


『その可能性はあるが、念のためだ。今回のレベルが低い可能性だってあるのだからな』

「むむ。そうですねー。ユセラリオン王立魔術学院の合格ラインがどの程度かなんて、女神様からも聞かせて貰っていませんし……」


 たしかに私も分かりません。と続けるシルフィに、ウィルは重々しく頷く。

 全力は出してはいけない。目立ってもいけない。が、合格ラインに達する必要がある。

 そのためには、かなりの工夫が必要だ——


 ウィルがそう決断していると。


「よし、最後の一個も破壊したぞ! これでいいだろう!」


 ジギーの試験は終わっていた。

 結局、参考にすると発言したにも関わらず、二個目と三個目の標的を破壊するところはあまりよく見ていなかったウィルである。


 まあ、別にいいか。


 頭を切り換えて、ウィルは前に進み出た。

 ジギーが戻ってきて、流し目をくれてきたので、意味はよく分からないが頷いておいた。


「さて……」


 目印として地面に引かれている白線の円の内側に入って、ウィルは杖を持ち上げた。


「頑張ってください、ウィル様」

『なんとかしてみせるさ』


 念話用の術式は維持したまま、体内の魔力を高めていく。

 人体には魔素マナがある。それだけで使える魔術は大したものではないので、高度な魔術を使うには、大気や大地などから魔素を引き出す必要がある。

 場合によっては、魔素を貯め込んだ宝石や水薬ポーションを使うこともあるが、今回はそのつもりはない。


 まず、ウィルは地中に魔力を通した。魔素は大地のものをそのまま使う。


「ぬんっ」


 地下数百メートルの水準まで、細い細い魔術的な糸を素早く伸ばしていく。試験監督に感知されないために、深く深く。

 そして、深層まで届いたことを感じ取った次の瞬間、一気に術式を展開した。


 ——氷雪魔術の第六階梯をアレンジした、<氷結絶界・空間式コキュートス・エリア>を、無詠唱で地中に生成することに成功。


 続けて、同じ地点に爆炎魔術の第五階梯、<炎熱地獄インフェルノ>の構成を仕込んでいく。こちらは無詠唱でも余裕だ。即、発動する。

 氷雪魔術のほうが階梯が上になるので、普通に行うとお互いの術式が反応して弱い爆炎魔術が飲み込まれて消えるのだが、先に展開した<氷結絶界・空間式>は、地中を絶対零度まで下げる過程でその効果の大半を失っている。


 温度とは、つまりは分子運動の速度。

 事前の<氷結絶界・空間式>で分子運動を停止させた状態にある地中に、分子運動を促す<炎熱地獄>を放り込むことで、ほどよい熱量だけを取り出すことができるはず、という発想だった。


 いきなり地中に<炎熱地獄>を叩き込むと、爆発して大地が振動してしまう。

 ウィルは、その違和感にも配慮したのだった。


 ——これで、火力を程よく抑えた。

 ——あとは取り出して投げつけるだけだが。


 しかし、生み出した魔術の火炎は地中に存在する状態。地上に持ってくるのには、もう一手が必要だった。しかも、誰にも気づかれないような手段が。


 適しているのは片方向の転移だ。

 地中でもう一つ術式を起動して、そこから地上の手元に転移させればよい。

 ついでに火炎の熱量が余っているようなら削減することもできる。


 転移魔術の良いところは、使い方によっては敵の魔術感知での反応を封じることが出来る点にある。時空の状態を観測されていると気づかれるのだが、転移魔術自体がレアというのであれば、試験監督も意識していないだろう。


 とはいえ、二つの魔術の残滓が混じり合う空間から、一部の熱量だけを適切に取得するには、流石に詠唱がないと精度が心許ない。ただでさえ、転移魔術はワープ先を間違えると大惨事になりかねないのだから。


 試験監督の評価の対象になる詠唱もこれからしなければならないので、転移魔術のために口を使って詠唱することはできない。

 ならば——


『彼方より銀嶺を越え、我が掌中へ落ちよ……』


 


 第六から第八階梯に分類される時空魔術の中では、基礎的な<物理転送フィジカルアポーツ>の魔術を発動するウィル。

 そして、最後の仕上げに——。


「燃える炎よ、矢となり、飛翔せよ——<火矢ファイアアロー>」


 ミラの真似をした詠唱を使うが、一節目をわざと不成立にして火球は生成させない。代わりに、転移させた火球を使う。標的へ飛ばすところだけ詠唱によるものだ。


 ——命中。


 きゅぼっ。


「……ちょっと火力が強すぎたか」


 弾丸のように飛来した火球が、木板を溶融させてしまったが、そこはもう仕方が無い。

 次の一発の時にはもう少し調整しよう、と反省するだけだった。


「……? 貴方、いま何か変なことをしませんでした?」


 めざとい試験監督の女魔術師が言う。

 若干の違和感は覚えたのだろうが——


「……いえ、余計な一言でした。次の目標を狙ってください」


 肩をすくめたウィルを、しばらく見ていた眼鏡の女魔術師は、結局、咳払いしてそう告げた。

 すべてがウィルの思惑通りだった。


 ウィルが行った偽装は、目で見て、地上の魔力の流れを感じ取る程度のチェックでは見抜けない。

 火矢が火球になっているとか、威力がちょっと強すぎるとか、その程度は術式構築力と扱える魔力の差で生じる程度のこと。

 もし、何か疑いを持ったのだとしても、まさか第五階梯以上の魔術をあの一瞬で三つ展開しただなどと思うはずもない。

 現代魔術師のスキルでは、それは不可能な行為のはずなのだ。


「では、次だな……」

「やりましたね、ウィル様!」


 そう思っていたから。

 うまく行ったと思ったウィルが呟き、シルフィが喜びの声で応じたとき。


「……いまのは……」


 試験の様子を見守っていた三人のうちの一人が、そんな一言を呟いていたことに、ウィルは気づかなかったのだった。

 


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