第2話 魔術師は、酒に溺れる

 勇者パーティーから脱退した魔術師ウィルナー・トレイル。

 通称ウィルが、出立する勇者一行と別れた翌日、何をしたかというと。


 宿屋の一階にある食堂兼酒場で、酒に溺れていた。


「うぇーい」

「ウィルさん、いくら何でも飲み過ぎですよぅ……」


 宿屋の看板娘のコレットが、ウィルの手元から酒瓶を遠ざける。

 ぐでんぐでんに酔っ払っている彼の肘が、飲みかけの酒瓶を今にも倒しそうだからだ。


「朝っぱらからこんなに飲んで……大丈夫ですか」

「飲まずにやってられるか。ちくしょう、もう一杯」


 おぼつかない手つきで、空いたグラスを差し出す。

 が、いつもは愛想のいいコレットは、泥酔しているウィルに批判的な目つきを投げかけるだけで、お代わりを注ごうとはしなかった。

 幸いなことに、彼女の冷たい目はテーブルに半ば突っ伏しているウィルの視界には入っていなかったが。


「もう……今朝、勇者さんたちと別れるまでは平気そうだったじゃないですか」

「じゃないとリオが悲しむだろ。あいつはまだ子供だからな」

「勇者さんのこと、そういう風に言うの、ウィルさんぐらいですよ……いやまあ、本当のことでしょうけどねー」


 コレットにはリオのためと言ったが、正直になれば。

 最後だから、格好を付けておこうと思ったのもあるのだった。


 しかし、その必要ももはやない。

 勇者リオは旅立った。


 ここに残っているのは、勇者パーティーを解雇された魔術師が一人だけだ。


「クソ神、マジムカつくぜ……何が神託じゃボケ」

「ちょっ、ちょっと、ウィルさん。言って良いことと悪いことがありますよ」

「うるへー、文句ぐらい言わせろ」


 慌てた様子のコレットも、呂律が回らなくなっているウィルに苦笑する。


「事情は聞きましたから、気持ちは分かりますけど……。それにしても、こんなに酔ったウィルさんを見るのも初めてですね……もっとこう、真面目? お堅い? 魔法使いさんだと思っていましたよ」


 ウィルが勇者パーティーと別れるようになった理由をコレットは知っていた。

 彼らの出立時のやりとりだけでも、だいたいのことは分かったのだが、当のウィル本人が酔っ払って何度も同じことを繰り返すのである。


 ——たぶん今の私は、勇者様の情報に世界一詳しい、宿屋の娘だ。


 そんなことをコレットが思っているとはつゆ知らず、ウィルは彼女の言葉に反応した。


「あー、アルコールの分解は、肝臓に魔力を充填して活性化させることで効率的に行えるんだ……。だから、魔術師は酔いたくないときは酔わない。そういうもんなんよ」

「そうなんですか? 私が知っている魔法使いの皆さんは普通に酔ってましたけど……ところでアルコールってなんですか?」

「アルコールは……酒精のことだ。古代魔法王国ではそう呼んでた。まあ現代の魔術師の知識は……いや、なんでもない」


 いかんいかん。酔いすぎたか。

 ウィルは頭の中でそう呟いた。


 口が軽くなって、今の魔術師を軽んじる発言をしかけたことを反省する。

 少し、酔いを覚ましておこう。


 ——体内を巡る魔力を肝臓に集中。


 遅めの朝食、あるいは早めの昼食を食べている客と揉め事をおこしたい気分ではないのだ。


「そろそろ………………寝るかな」

「ええー?」


 コレットの非難がましい声。

 そう言いたくなる気持ちは分かる。昼から寝るなんて、ダメ人間もいいところだ。


 だが、今のウィルにやるべきことは何もないのだから、しようがない。


 アルコールの効率的な分解を進めるためにも、宿の一室に戻って横になるのが一番いい。

 と、やる気が出ないことの言い訳を考えて、ウィルは椅子から立ち上がろうとした。


 そうしたら、宿屋の来客のベルがカランコロンと鳴った。


「あ、はーい」


 コレットが入り口に向けて声を張り上げる。

 これで彼女からの非難も途切れる。この隙に二階の部屋に戻ってしまおう。


 そう、一度は思ったのだが……。

 ウィルはテーブルに立てかけていた杖を油断なく手にした。


 魔術を使う上で、発動体があるとないのでは、緻密な制御の難易度が大きく変わってしまう。

 サブの発動体として指輪も常時装備しているが、臨戦態勢を取る上では杖が欠かせない。


 そう——臨戦態勢だ。そうする必要があった。


「なんだこの奇怪な魔力は……」


 現れた何者かが垂れ流している魔力は、元勇者パーティーの一員、ウィルをしても端倪すべからずと感じさせるだけのものがあった。


 一言で言うならば、異様。

 自然に放出している魔力が多いとか、魔力の底がしれないとか、そういう「こいつ、なかなかやるな」的な話で済ませられない感覚。


 勇者リオとのこれまでの冒険で出会った魔族ですら、こんな奇妙な魔力は纏ってなかった。

 人外なのは間違いない。


 じゃあ、なんなのか。


 魔王クラスの高位魔族。秘境に棲むという神獣。あるいは幻獣などと呼ばれる実体のない高位存在。東方のほうでは精霊たちを使役する術士がいるらしいが、その類だとか……でなければ古代魔法王国時代の魔導実験体。いや、勇者リオと同じ異世界からの召喚体って線もあるか……?


 この魔力の持ち主の正体。

 その候補が、ウィルの頭の中を次から次へと通り過ぎていく。


「くっ……」


 とにかく、ここから離脱するほうが先だ!

 今の状態では戦えない!


 そう思って、まだ分解しきれていないアルコールのせいで、脳からの動作命令に対しておぼつかない反応をする身体をよじると。


「——あっ、こんにちわー、貴方がウィルナーさんですね! いまちょっといいですかー!」


 なんだかとても朗らかな呼びかけとともに。

 一見してふわふわした印象の女性が、コレットの後ろから姿を現した。

 

 ——アレ?

 ——イマチョットイイデスカって、禁呪か何かだっけ?


 ……違う、よな。


 先ほどまでの奇っ怪な魔力は、まだ消えていない。

 明らかに、ウィルの目の前の女性——二十歳かそこらの女性から発せられている。のだが……。


 整った造りの顔に、ほわほわした和やかな表情を浮かべている彼女が、なんら警戒を要さない挙動でこちらに近づいてくる。

 季節に合った薄手の衣装を押し上げる、大きく膨らんだ胸がふよふよと揺れるのが分かる。

 視線が合うと、ふわふわの銀髪を片手ですっと後ろに流して、にっこりと好意的な笑みをしてくる。


 姿形、態度、雰囲気、全てが危険性を否定する。

 けれど、漂う魔力はなにかがおかしい。


 疑念で眉を寄せるウィルに、その謎の女性は——そう、彼女はウィルの名前を知っているが、ウィルは彼女の名前を知らないのだった——ぱぺち、と両の手の平を、胸の前で柔らかく打ち合わせた。


「あっ、お気づきなんですねー? そうなんです、これ、神力なんです」

「——神力」

「はい、神力」

「ということは、つまり……?」

「はい、そうですねー」


 ウィルは肝臓に魔力を集める。

 ——飲み過ぎたんだ、そうに違いない。


 そんな風に考えて、逃避しようとする。

 しかし、現実は残酷で。


 その日、ウィルの前に何気なく訪れたのは、正真正銘の女神だったのだ。

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