第350話 視野

「現実味、かあ」

 智香子は小さい声で呟いた。

「そうだね。

 迷宮関連も事項は、そういうのに関係のない、普通に暮らしている人たちにとってはとても、リアリティがないんだよ。

 この間のロストの時も、うちの両親に探索者としての活動について説明してみたけど、ほとんどまともに理解できていないようだった。

 わたしがいっていることを理解できても、それが本当のことだとは思えないみたい」

「累積効果ひとつとっても、リアリティはないよねえ」

 佐治さんも、そういって大きく頷く。

「探索者として活動したことがない人にとっては。

 実感できなくても、無理がないっていうか」

「リアリティかあ」

 黎は、真剣な表情になって、いった。

「ないよねえ。

 迷宮の効果範囲内なら、今のわたしたちでも百メートルを十歩以内もかからずに渡りきれるし」

「足腰の動きが強化されているから、その気になれば一歩で十メートル以上とか、普通に跳べるしね」

 香椎さんも、そういって頷く。

「それも、単純に筋力が何倍になった、とか、直線的な増強の仕方ではないから、もっと小刻みに歩幅を調整できるし。

 足回りだけではなく、腕とかその他の、体全体の動きがそんな風に増強されているわけだから、うん。

 なにも知らない人に説明しても、すぐにはまともに受け取って貰えないと思う」

「そして、世の中の大半は、その、迷宮とか探索者について、ほとんどなにも知らない人たちで構成されているってわけで」

 柳瀬さんは、そう続ける。

「チカちゃん先輩をはじめとして、ここに入学してから探索者をはじめた人たちも、ほとんどはそのなにも知らないところから徐々にたんさくしゃになっていっているわけで。

 そういう過程がある以上、感覚の落差というのはあって、それについていろいろ考えるのは当然なんじゃないっすかね。

 月ちゃんは、あれ。

 こういってはなんだけど、探索者の人たちにとっての当然と思える感覚を、デフォルトだと思い過ぎている傾向があるんじゃないっすか?」

「うーん」

 世良月は、なにか考え込む表情になる。

「わたしが探索者の感覚に染まりすぎているっていう点。

 それと、その探索者が世間一般ではマイノリティな存在に過ぎないっていう点には同意しますけど。

 それでも、考えてもどうしようもない、解決のしようがない問題というのは、厳然とあるのではないでしょうか?」

「それは、あるよ」

 佐治さんはいった。

「世の中、矛盾だらけだし。

 むしろ、そういう問題ばかりが多いくらいで。

 でも、そこで誰もが考えることを投げ出したら、そうした問題を解決する糸口もそのままなくなっちゃうんじゃないかな?

 それに、就学中の生徒とか学生とかは、別に実績を求められているわけでもないんだから、時間と余裕があれば、なんに関してでも、考えてみるのは悪いことではないと思うけど。

 学校に通っている間っていうのは、そういうことができる期間でもあるわけで」

「月ちゃんは、あれよ」

 香椎さんがいった。

「なんにせよ、性急に成果ばかりを求めすぎ。

 週末とか、放課後の時間にも、迷宮に入っているんでしょ?

 そういうのが悪いとはいわないけど、気持ちに余裕がなさ過ぎるっていうか、もう少し寄り道をしてもいいと思う」

「余裕と、寄り道、ですか」

 世良月は、その言葉に納得をしていないようだった。

「そういうの、よくわからないです」

「まだ中学に入ったばかりなわけだし、かたくなに探索者にばかりなろうとしなくてもいいんじゃないかな」

 柳瀬さんが、そういった。

「専業の探索者になるのがいけない、っていいたいわけではなくて、他の選択肢も視野に入れた上で、改めて探索者を選び直すくらいの余裕があってもいいと思う。

 今の月ちゃんは、ちょっとこう、視野が狭くなっていると思う」

 そういった後、柳瀬さんは自分の顔の両脇を自分の掌で遮るジェスチャーをした。


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