第349話  「あちら」と「こちら」

 環境が人を作る。

 そんなフレーズが智香子の脳裏をよぎった。

 こうして間近な実例を目の当たりにすると、このフレーズも、ある程度は妥当なのではないか。

 などと、思ってしまう。

「いいとか悪いとか、そういうことではないと思うんだよね」

 考えつつ、智香子は口に出す。

「月ちゃんのような考え方も、ある意味では妥当だと思うし。

 だって、わたし自身、そんなことをくだくだ考えてもなんの役にも立たないだろうな、ってことは、重々自覚しているし。

 ただ、目の前で繰り広げられているあれこれを実際に見るとね。

 無駄かも知れないけど、考えないわけにいかないんだよね」

 考える材料の方が、智香子の視界に飛び込んでくる。

 入学して以来の智香子の状況とは、そういう感じだった。

 それらは、入学以前の智香子がほとんど知らないことか、知っていたとしてもごく表層的な、浅い部分に留まっていたことだった。

 だから、細々としたことについても、これまで意識して考える必要がなかった、ともいえる。

「迷宮とか探索者、ってさ」

 智香子は、考えながら、言葉を口にした。

「香椎さんや月ちゃんにしてみれば、すぐそばにあって当然の現実だったかも知れない。

 でも、わたしたち、それまでそういう世界と接したことがない人たちにとってみれば、どこか遠くでなにかやっている人たちがいるな、程度にしか思えない、日常とはどこかかけ離れた世界での出来事だったんだよね。

 うん、そう。

 地続きで、本当は同じ世界のことなんだっていうのは、知識としては知っている。

 けれども、実感はできない。

 そんな、非日常的な世界だったんだ。

 それこそ、どこか遠くの、外国のことみたいに。

 でも、部活で探索者として活動することによって、そんなわたしにも、ようやくそこは非日常的な場所ではなく、そこを日常として生活している人もたくさんいる。

 そんな、ごく普通の場所なんだって、実感できるようになって来たところでさ。

 だから、その。

 それまで、真剣に考えてこなかったことなんかも、いろいろと考えるようになって来ているんだよ。

 多分、そうなるのが遅すぎたってことなんだろうけど」

 それがいいとか悪いとか、そういう問題ではない。

 それまでの智香子は、迷宮を取り巻く諸々について、まったく視界に入っていなかった。

 それでも、普通に生活することはできたし、おそらく、今、世界にいる、ほとんどの人は迷宮とか探索者のことをまるっきり意識しないで生活している。

 直接、自分に関わりがないことには、そこまで強い興味を示さない。

 ほとんどの人たちは、自分の生活を取り巻くあれこれとか、もっと差し迫った問題に意識を使っていて、どこか遠くの人々のことまで、真剣に思い悩む余裕を持っていないからだ。

 また、それでいい。

 と、智香子は思う。

「それまで考える必要がなかったことを考えるようになったのは、おそらく、迷宮とか探索者という存在が、今のわたしにとってそれだけ身近になったって。

 だけそれだけだと思うよ」

 智香子は、そう続けた。

「そんなに深い意味もなく」

 おそらくは、そういうことなのだ。

 心の中で、智香子はそう頷く。

「つまり、先輩にとって」

 世良月は、智香子の顔をまともに見据えながらそういった。

「迷宮とか探索者とかが、現実味を帯びてきた。

 そういう、ことなのですね?」

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