第345話 仮定

 よく考えてみると、奇妙なことだな。

 と、そう思わないでもない。

 東京近辺に迷宮が出現してから、まだ数十年しか経過していない。

 わずか数十年。

 あるいは、たかが数十年。

 そうした評価は、物の見方によって変わってくる。

 しかし、百年、わずか一世紀に満たない年月で、その迷宮という存在が普通に存在することが自明視されている。

 少なくともこの国の、首都圏の住人にとっては。

 一世紀にも満たない、とはいっても、実際には世代をまたぐ年月であり、迷宮が存在する土地、その周辺の住人が認識を塗り替えられるのには、十分な年月になるのかも知れない。

 いずれにせよ、迷宮が存在することが、この国の経済や社会構造を変えてしまっていることは、確かなのだ。

 いや、この国のみならず、諸外国にも、相応に影響を与えているはずだ。

 迷宮からもたらされた素材は、分野によっては数十年単位の進歩をもたらしている、という。

 強度や柔軟性、通電性、その他。

 普通に入手できる素材ではなしえない、優れた特性を持つ素材が、迷宮から産出するためだ。

 一度や二度ならともかく、定量的に同じような性質を持つ素材が入手できれば、それを材料に加工する工業が成立するし、そうした性質がなぜ実現するのかを調べる研究事業も発生する。

 ヒヒイロカネをはじめとする良性の常温超伝導素材が迷宮から定期的に入手できるようになったことで、人類の電子工学は下手すると百年以上は加速した、ともいわれている。

 智香子たち探索者のヘルメットに組み込まれているビデオカメラも、そうした進歩した技術によって小型化、軽量化がなされた代物だった。

 両手の指で摘まめる程度の、マッチ箱のように小さなユニットだったが、その小さな筐体の中にバッテリーとメモリ、光学処理に必要な回路、データ送受信装置など、雑多な機能が凝縮されている。

 そのことを、智香子たちはおかしいと思ったことはない。

 なぜならば、その程度に緻密な機械ならば、それこそ智香子たちが生まれる前から存在しているからだった。

 今、この世界を生きている智香子たちは、そうした機械が存在することをおかしいとは思ったことがない。

 だが、これについても、よくよく考えてみると。

 不自然では、あるんだよな。

 と、智香子は思う。

 つまり、客観的に考えてみると。

 智香子の祖母や祖父は、父方も母方も健在だった。

 田舎に帰ると、古いアルバムやビデオを見せられる機会がある。

 そうした祖父や祖母の世代では、まだ電子化されていない、フィルムを使った写真も一般的だったようだ。

 智香子の父や母の世代は、すでにスマホが一般化していて、なにか映像を記録するにしても、クラウドの中のデータとして保存されている。

 父や母が若い頃には、というよりも、幼い、物心がつくかつかない頃には、すでにネットは普及していたようだ。

 ええと、三十年から四十年前、くらいになるのかな。

 と、智香子はざっと計算する。

 スマホは、かなり前から今とそう変わらないデザインだったようだった。

 機能と、それに人間が使うことを前提にすると、同じような形状、大きさに落ち着くのだろう。

 中身の性能などは、その時代によって、かなり変わっていたそうだが。

 ともかく、智香子の父や母の世代には、スマホもすでに見慣れた道具だったそうだ。

 一度電子の網に覆われた地球は、それ以降、各分野の技術革新を繰り返しながら、その網の目を細かくしていった。

 迷宮からドロップした素材が、そうした動きを加速する材料になったことは、否定できない。

 より便利に、より安価に。

 そうしてネットという情報インフラと、スマホをはじめとする携帯末端が当たり前に存在するようになってから、そろそろ半世紀になろうとする計算になる。

 もしも迷宮からドロップする素材がなかったら、こうした動きは、どれほど遅れたのだろうか?

 必要な知識も想像力も持たない智香子には、なんとも判断ができなかった。


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