第312話 苦戦
〈スローター〉氏がそのエネミーに斬りかかった。
いつの間にか、両手に剣を持っている。
熾烈な剣撃だったが、エネミーの方はかなり余裕のある態度でそれを避け続けている。
〈スローター〉氏は智香子たちよりもよほど強い探索者だったが、その〈スローター〉氏の動きでも、エネミーは難なく避けることができるようだった。
反射神経や敏捷性、それに動体視力などが種族的な特性として、人間よりもよほど優れているのだろう。
さらにこのエネミーに関していえば、累積効果による補正も加わっている。
エネミーの体格は、他の直立ネコ型よりも気持ち大きいくらいで、〈スローター〉氏はもとより智香子たちよりも小さいくらいなのだが、その代わり、動き、とりわけ反応速度が凄かった。
エネミーはしばらく値踏みでもするかのように、〈スローター〉氏の攻撃を躱しながら目を細めて観察していた。
が、すぐに目を見開いて、〈スローター〉氏の両剣をかいくぐって、その懐に大きく踏み込む。
次の瞬間、〈スローター〉氏の体が、五メートル以上も後方に吹き飛ばされていた。
え?
と、智香子は目を見開く。
今、なにが起きた?
「来るよ!」
円型の〈盾〉を構えた佐治さんが叫び、次の瞬間、大きな濁音が鳴り響く。
いつの間にか距離を詰めていたエネミーが、佐治さんが構えた〈盾〉に打撃を加えていた。
立て続けに何度も、〈盾〉を打ちつける濁音が周囲に響く。
エネミーは、素手だった。
「格闘家タイプか」
どこからか、柳瀬さんの声が聞こえた。
智香子は慌てて〈ライトニング・ショット〉をそのエネミーに連射した。
智香子よりも先に我に返り、槍を〈投擲〉していた世良月の攻撃が、そのエネミーに迫る。
しかしエネミーは、飛来する槍を手で掴み、そのまま世良月に投げ返した。
智香子の〈ライトニング・ショット〉も、あっさりと躱す。
そうした遠距離攻撃についても、軌道を見切るほどの動体視力、それに、余裕を持って対処できるほどの迅速さを持っている、ようだ。
たった一体、なのに。
と、智香子は危機感をおぼえた。
その一体を、倒しきる。
その具体的な方法を、智香子は想像することができなかった。
智香子がそんな思いを巡らせている間にも、前衛の四人はエネミーを包囲して果敢に攻撃を加えている。
四対一、だったが、それでもエネミーは余裕のある態度を崩さなかった。
それどころか、四人が突き出した攻撃をかいくぐった上で槍や剣、盾などを手で弾いて姿勢を崩させ、翻弄している。
たった一体のエネミーに、四人全員が遊ばれているような感さえあった。
格が、違う。
智香子は、そう感じる。
多人数の味方がただ一体のエネミーを取り囲んでいる状況では、智香子や世良月の遠距離攻撃の出番はない。
下手に攻撃をしても、味方に当たる可能性の方が大きい状況だった。
「師匠!」
世良月が、エネミーに吹き飛ばされた〈スローター〉氏に駆け寄り、助け起こしていた。
ふと確認すると、〈スローター〉氏の胸元、強靱なはずの保護服がざっくりと斜めに切られ、その下の肉体も斬られて真っ赤に染まっている。
世良月が自分の〈フクロ〉から救急用の止血スプレーを取り出し、患部に噴射した。
そのスプレーは空気に当たると固形化し、傷口を保護した上で消毒までしてくれる。
急場しのぎの手当でしかなかったが、それでも、それ以上に出血することは防止できるはずだ。
世良月に助け起こされた〈スローター〉氏は、低いうめき声をあげながら首を振っている。
「大丈夫ですか?」
世良月が訊ねた。
「意識は、しっかりしていますか?」
「もう、大丈夫」
〈スローター〉氏は、掠れた声で応じた。
「ちょっと、意識を飛ばされてたみたいだけど」
やはり。
と、智香子は改めて判断をする。
油断していた、ということはなかったと思う。
それでも、〈スローター〉氏がこれほどの苦戦を強いられるエネミーなのだ。
今の智香子たちの実力では、まともに対抗できるわけがない。
「みんな、さがって」
〈スローター〉氏は、エネミーを囲んでいる四人の方に進みながら、そう告げた。
「そいつは、危険だ。
おれが相手をする」
意外に、しっかりとした口調だった。
そのためか、あるいはエネミーを攻めあぐねていたためか、四人は即座に飛び退き、エネミーから距離を取った。
近づいて来る〈スローター〉氏の姿に気づいたエネミーは、そちらの方に向き直り、両腕を大きく広げて、
「しゃー!」
と、鋭く息を吐いた。
どうやら、威嚇をしているらしい。
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