第307話 区切りの前

 タブレットの画面に表示される通路もほぼ埋め尽くされ、どうやらこの階層の探索も終わりに近づいたようだ。

 よく歩き続けたものだなあ。

 タブレットに目を落としながら、智香子はそんな風に思う。

 これによると、智香子たちは五桁キロ以上の道のりを自分の足で移動してきたことになる。

 その合間にエネミーとの戦闘も挟んでいるわけで、心身への負担もかなり大きいはずだった。

 だが、その苦労ももう少しで一段落になる。

 ひょっとすると、スキルのロック状態を解除するなんらかの条件をクリアして、そのまますぐに出られる可能性もあるそうだが、今の時点ではそこまでは期待しない。

 その期待が裏切られた時、落胆も大きくなるからだ。


「少なくとも、別の階層へ移動するための階段くらいは出て来るはずなんでしょ?」

 香椎さんが、確認してきた。

「多分ね」

 智香子は答える。

「そうでないと、この階層から出る手段さえ見つからないわけだし」

「そんなこと、あるの?」

 佐治さんが、驚きの声をあげる。

「あるのかないのか、わからない」

 黎が、冷静な声で教えた。

「なんでかっていうと、これまでにロストした人たちは、なにが原因でロストしたのか教えてくれないから。

 そういう例が過去にあったかも知れないけど、わたしたちはその事実を確かめる術がない。

 どっちにしろ、今のうちからあまり深刻に考えてもどうしようもないよ」

「確かに、考えても仕方がないことですね」

 柳瀬さんも、そういう。

「実際にそうなってみないとどう転ぶのか、結果がわからないことですし」

「迷宮のことだからねえ」

「迷宮だしねえ」

 全員で、そんな風にいい合う。

 迷宮だから。

 このフレーズで理不尽な状況も、とりあえずは受け入れる。

 そんな行為も、もう何度繰り返したことか。

 なんの慰めにもならないのだが、智香子たちがどうにかして改善できることでもない。

 重く捕らえ、考え過ぎるよりは、出た結果をすべてのみ込んで最善を尽くす。

 その方が、精神的には楽だった。

 ネガティブなのかポジティブなのかよくわからないが、長く迷宮内に閉じ込められていると、そういう思考を受け止めやすくなる。

「もうわかっていると思うけど」

 少し離れたところから、〈スローター〉氏が声をかけてくる。

「これから出て来るエネミーは、これまでに遭遇したエネミーよりも段違いに強くなっているはずだから。

 そのつもりで、切り抜けて」

 静かな口調だったが、その言葉はずしりと智香子たちの胸に迫ってくる。

 エネミーが強くなっている。

 その傾向は、智香子たちもこれまでに嫌というほど実感していた。

「段違いに、っすか」

 柳瀬さんが、呟く。

「困るなあ。

 勝てるか、いや、生き残れるかどうか、自信がなくなってくる」

「その代わりに、数は減っているから」

 智香子がいった。

「まだ踏破していない場所にいるエネミーは、せいぜい五十体程度。

 これまでに相手をしてきた数を考えると、そんなにたいしたことでもない」

「と、考えたいんだけどねえ」

 香椎さんが、いう。

「でも、くれぐれも油断はしないでいきましょう」

 あえて楽観論を口にした智香子も、気を引き締めるように促した香椎さんも、ここにいる全員、迷宮から生還することを最終的な目的としている。

 しかし、直接的にそのことを口にすると、なんだかかえって縁起が悪いことになりそうで、あえて遠回しないい方をするようになっていた。

 ここまで来ると、下手なことをぐだぐだ考えるよりは手足を動かす。

 やるだけのことをやって、それでも駄目だったら次の行動を起こす。

 それくらいタフに振る舞わないと、身も心も持たない。

「まあ、いきましょうか」

 佐治さんが、そういった。

「一応、全員健在なわけだし」

 これまで、智香子たちは〈ヒール〉で回復可能な程度の負傷しか負っていない。

 幸運もあったが、全員でそうなるように注意し、努力して来た結果だ。

 さらにいえば、小まめに休憩や仮眠を取って、疲労が蓄積しないように注意も払っている。

 これまでの積み重ねがあったから、お世辞にも元気溌剌とはいえない。

 しかし、最初の区切り、あるいは最後の試練を前にして、全員のモチベーションはあがっていた。

「じゃあ、おれが最初につっこんで、引っかき回すから」

〈スローター〉氏がいった。

「みんなは、その後を追って、適当にできることをして」

 そういった後、〈スローター〉氏は例の〈槍〉を構えて駆け出す。

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