第296話 迷宮問答

「余裕を持って対処する、できる」

 強いていえば、それがコツだと〈スローター〉氏は説明してくれた。

「そんな状態を維持すること」

 無理や背伸びは、絶対にしない。

 自分にできることだけを、確実に実行する。

 それを繰り返す。

「変に高望みするよりは、結果として、そっちの方が長持ちする」

〈スローター〉氏はそういったあと、

「と、思う」

 とつけ加える。

 断言しないあたり、若干優柔不断な印象を受けるが、いっている内容は妥当で首肯できる。

 と、智香子は思う。

 特に、現在智香子たちが置かれているような状況では、そうする方がいいに決まっている。

〈スローター〉氏のソロメソッドは、膨大な時間と手間を費やしてその余裕を獲得する方法だといっても過言ではない。

 ソロだから、経験値は独占できる。

 しかし、ソロだから、特に初期の段階では対処可能なエネミーも限られてしまう。

 そのデメリットを解消するためには、とにかく時間をかけて、大量のエネミーを自分の手で処理する必要が出てくる。

 普通の探索者は、もっと効率を優先する。

 もっと手軽で安全なやり方がいくらでもあるのだから、普通の探索者は、当然のようにそちらを選択する。

 そんな迂遠な方法をあえて実践するのは、この〈スローター〉氏くらいなものだろう。

 だが、そうしてソロで活動してきた〈スローター〉氏だからこそ、リスク管理については細心の注意を払っていた。

 不確定な要素は極力排除する。

 これまで、エネミーのほとんどを〈スローター〉氏自身の手で始末しているのも、結局は智香子たち松濤女子組の実力、いや、持続力にどこまで信頼していいものか、判断できないからだろう。

 そんな智香子たちの負担を大きくするよりは、できる限り自分の手でエネミーの相手をしていた方が、リスクは小さくなる。

 今のところ、智香子たちの状態は安定しているが、それがどこまで保てるのか、智香子自身にも予想ができなかった。

 家や学校など、外の世界から隔離された環境に、これほど長い時間留まり続けた経験は、智香子にはない。

 いや、その条件については、智香子だけではなく、松濤女子組の全員が同じはずだ。

 六人が揃っているか、まだしも心理的な安定を保っていられているのだが、なにかのきっかけで誰かが心理的な平衡を崩す可能性は、常にあった。

 それを避けるために、智香子たちの負担をできるだけ軽減する。

 という〈スローター〉氏の方針はかなり現実的だといえる。

 そうするのが、全員が安全に迷宮から出るための、最善の方法。

 だから、そうする必要があるから、智香子たちを助ける。

〈スローター〉氏から見ると、現在の状況というのは、こういうことになるらしかった。


 幸いなことに、水も食料も、〈フクロ〉のスキルを持っていない黎以外が大量にプールしていた。

 この探索が数ヶ月単位で長引きでもしない限り、称した消耗品を節約する必要すらない。

 よほどのことがなければ、せいぜい数日くらいで出られるだろうと〈スローター〉氏はいった。

「それも経験からですか?」

 柳瀬さんが質問をする。

「経験と、それに、他の探索者たちに、これまで聞いた内容から」

〈スローター〉氏は抑揚のない口調で答えた。

「生還できた探索者は、数日からせいぜい、長くても一月前後で出ている。

 それ以上になると、生還は絶望視される」

 迷宮内での遭難が数十日に渡る場合はかなり珍しく、普通は数日以内に出てくる。

 今までの例からいえば、そういうことになるらしい。

 そういえば、昨年末の秋田さんたちも、せいぜい半月くらいしか迷宮内にいなかったと聞く。

 それでも、生還した探索者の例としては、滞在期間がかなり長い部類だといっていたような気がする。

「少しでも早く、ここから出る方法とか、知らないっすか?」

 今度は佐治さんが、そう訊ねた。

「これは経験ではなく単なる憶測、当て推量程度のことだけど」

〈スローター〉氏は、そう続けた。

「今回の場合、なんらかの結果を出せば、スキルのロックは解除される。

 パターンだと思う。

 迷宮はときおり、そんなことを仕掛けてくるんだ」

 まるでこの迷宮自体が、意思を持って行動しているかのような。

〈スローター〉氏の口調は、智香子の耳にはそんな風に響いた。

「なんらかの結果って、たとえば?」

 黎が、〈スローター〉氏に質問した。

「特定のエネミーを倒すとか、ですか?」

「そうかも知れないし、そうでないかも知れない」

〈スローター〉氏はいった。

「迷宮の振る舞いを人間が予想しようとして、うまくいった例はあまりないからね。

 自分から憶測を口にしておいてなんだけど、妙な先入観は持たないで行動する方がいい。

 多分、そうした方が、結果的にもうまくいくと思う」


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