第294話 祈るように
「戦っている時は意識する余裕がないけど」
智香子たちとは少し離れた場所で、佐治さんがそういった。
「少し落ち着くと、あちこち怪我しているんだよね」
「エネミーの相手をしている時は、気にしている隙もないんだけどね」
香椎さんも、そんな風に応じる。
「防具や保護服があるから、そんなに深刻なことにはならないんだけど。
打ち身や打撲はあちこちにできているね、これは」
探索者用の保護服はかなり強靱な素材で構成されている。
鋭利な刃物であっても、そうした保護服を突き破ることはできなかった。
少なくとも、この階層に出没する直立ネコ型エネミーの力程度では、ということだが。
それでも、そうと気づかないうちにエネミーの攻撃は受けていることが多い。
打撃などの直接攻撃の他に、弓矢などの飛び道具もあり、そのすべてを躱したり受け止めたりすることは不可能だった。
なにしろエネミーの方が人数も手数も多い。
防具や保護服のおかげで、一撃で深刻なダメージを受けるわけではい。
しかし、細かい打撃は気づかないうちに受けていることが多く、こうした休憩時間にまとめて〈ヒール〉で治しておく必要があった。
保護服越しに攻撃を受け止めてもせいぜい打撲や内出血になる程度だったが、それでも塵も積もれば山となる。
放置しておけば、深刻な結果にならないとも限らない。
早めに処置しておいた方が、治るのも早かった。
「長期戦だからなあ」
佐治さんは、そう続ける。
「それも、今回の場合、終わりが見えない。
慎重すぎるくらいで、ちょうどいいくらいだ」
「〈ヒール〉は、戦闘中でもずっと唱えているくらいでちょうどいいと、師匠がいっていたのですよ」
少し離れた場所で、世良月が柳瀬さんに説明していた。
「負傷していない時に使っても、実害はないし。
そうする余裕があるのなら、ずっと使い続ける習慣をつけておいた方がいいと」
「ずっとねえ」
柳瀬さんは、その言葉に頷いた。
「保険というか、お守りみたいなもんか」
この柳瀬さんは、〈ヒール〉のスキルを生やしたばかりだった。
一足早く〈ヒール〉を習得していた世良月から、使うコツなどを聞いているところになる。
「念仏というか、お祈りでもするようにと」
世良月は、そう続けた。
「心の中で唱え続けろと、師匠がいっていました」
「お祈りかあ」
柳瀬さんは感心したような口調で続けた。
「傷痕が残るのもいやだしね。
それくらい慎重なくらいで、ちょうどいいのかな」
〈ヒール〉をはじめとする各種のスキルは、使用回数の制限などがあるわけではなかった。
使い減りしないのであれば、ずっと使い続けても問題はない。
特に外傷などの不具合は、小さなものであっても放置しておけばダメージが蓄積する。
〈ヒール〉を使用すればすぐに治るような傷でも、放置しておけば不快感は受け続けるわけで。
そう考えると、〈ヒール〉をずっと使い続ける習慣を身につけるという行為は、割と有用なのかも知れなかった。
というか、生やしてしまった以上、そうして使わないと損、みたいな気がする。
教えられ、外から指摘されないと気づきづらいコツだよな、こういうの。
と、柳瀬さんは思う。
そう考えるとこの世良月は、探索者として初期の段階で、いい師匠と知り合ったといえる。
生やしただけで、使わなければ意味がない。
同じ使うのでも、使い方によって効果が違ってくる。
特に、今回のような終わりが見えない探索では、そうした細かいコツを知ってるかどうかで結果も大きく違ってくる気がした。
たとえ小さな負傷でも、放置しておいていいことはない。
そして〈ヒール〉のスキルは、手軽に手当を行える実効的な手段だった。
とにかく、実行するのに負担が少ない。
慣れれば、戦闘中にずっと〈ヒール〉を使い続けるのも、決して難しいことではないはずだった。
祈るように、か。
と、柳瀬さんは思う。
あくまで実際的な必要性から出て来たコツ、ではあるんだろうが、なかなか含蓄があるなあ、と。
そういえば、松濤女子の六人の中で、黎だけが〈ヒール〉のスキルを生やしていない。
柳瀬さんは面識がなかったが、黎の親類で探索者をしている人も、戦闘用の数種類のスキルしか生やしていないそうだ。
黎自身も同じように、直接的な戦闘用のスキルばかりで、補助用のスキルが生えていない状態だった。
珍しいといえば珍しいのだが、そういう傾向の人がまるでいないわけでもない。
〈ヒール〉をはじめとする各種のスキルは、その習得条件がよくわかっていないものがほとんどであった。
そうした習得条件の中には、生来の、つまり生まれついての体質とか遺伝子的な要素も、少なからず含んでいるのではないか。
黎とその親類のような例を見ると、そう思わずにはいられなかった。
たとえ黎個人が〈ヒール〉を使えないとしても、同じパーティの仲間がフォローすればいいだけなので、実害はないのだが。
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