第239話 実感

 智香子としては、月さんの家庭的な事情に深入りをするつもりはなかった。

 詳細を耳にしたとしても、智香子にはなんの助けもできないからだ。

 それに、身内や身近な人の中に探索者がいて、複雑な背景を持っているということなら、香椎さんや黎だって似たような境遇であるともいえる。

 松濤女子の中では、そうした子たちは割合多いのではないか、と、智香子は推測した。

 別に統計を取って確かめたわけでもないのだが、学校の敷地内に迷宮があって探索部が存在するような学校である。

 そういう子も、集まりやすい。

 そう見なすのが自然であり、特段に驚くべきことでもない。

 そう考えるべきなのだと、智香子は思った。

 とはいえ、智香子としても下級生とつき合うのは、これが実質はじめてのことでもあり、月さんの扱いに困っている部分もあった。

 特別に身構える必要も、ないとは思うのだが。

 というか、上級生が下級生に身構えていたら駄目だろう。

 などということを考えつつ、智香子は保護服を積んだ台車を押す。

 廊下を移動、などといっても荷物が多いだけであり、移動距離自体はさして長いわけでもない。

 せいぜい五十メートルほどか。

 新入生たちが集まっている教室は、委員会が普段使用している教室の隣になる。

 ゴロゴロと二人で台車を押してその教室の前に到着すると、智香子は、

「失礼します」

 と声をかけてから入口の引き戸を開けた。

「服、持って来ました」

 そのまま中にいた委員の子たちと協力して台車に乗せていた保護服を教室の中に搬入する。

 保護服を受け取った委員の子たちは、そのまま保護服を新入生たちに配って試着をするように指示している。

「月さんは、もうこれは済んでいる?」

 智香子は月さんに向かって、そう確認をする。

「まだです」

 月さんはそう即答するので、智香子は月さんも教室に入って保護服を試着するよう勧めた。

 この初心者用の保護服は、新入生ならば一律に受け取ることになっていて、それは委員会の子も例外ではない。

 どうせいつかはやることならば、手早く済ませてしまう方が都合がよかった。

 今回、智香子たちが運んできたのは平均的なサイズの保護服人数分に相当する。

 ここで試着をしてサイズが合わない場合は、また別の保護服を持ってくる段取りになっていた。

 が、実際は新入生の体格もそんなに極端に違うケースは少なく、八割方は最初に持ち込んだ保護服で間に合う。

 次にこの教室に持ってくる保護服は、智香子が持ってきた保護服より大きかったり小さかったりするサイズのもので、しかも運ぶ数はかなり目減りするはずであった。

 つまり次からは、一人でも十分に台車で運ぶことができるはずなのである。

 去年の今頃は、自分がこの教室の中で試着をしていたんだな。

 今度は込んでくる保護服のサイズと数量が判明するのを廊下で待ちながら、智香子はそんな風に思う。

 改めて、あれからもう一年も経っていることを実感できた。

 これからこの子たちは、筋肉痛とか〈バッタの間〉でのレベリングを経験していくはずである。

 智香子や、歴代の探索部員たちが、毎年この時期に経験してしていたように。

 上級生になるとは、つまりはこういう感情を味わうことなのか。

 智香子は、そんな風にも思った。


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