第120話 食事をしながら

「それは、公社を創設した当時はまだまだ戦後の混乱期で、探索者として身を立てていた年少者が数多くいたからだといわれていますね」

 迷宮が入っているビルにテンナントとして入っているレストランに場所を移してから、葵御前が智香子の疑問に答えてくれた。

「身寄りがない、いわゆる戦災孤児と呼ばれていた子たちになるわけですが、そうした子が公社ができ、法律が整備する前から迷宮に出入りをしていたようです。

 当局としても誰にも頼らずに自活をしている子どもたちを排除するわけにもいかず、事後承認的な形で探索者の資格を得る年齢を引き下げるしかなかったとか」

 そう説明されても、智香子はピンと来ない。

 戦後の混乱期とか戦災孤児とか、智香子からは遠い物語でしかなかった。

 ドラマや映画などでそうした時代や存在についての知識は持っていたのだが、実感が極めて薄いというか。

「公社も、今でこそしっかりとしていますが、少し前まではかなりいい加減な迷宮管理をしていたということですし」

 葵御前は、そう続ける。

「探索者の安全に留意をしはじめたのがようやく六十年代に入ってから。

 でも、その当時は紙の書類で探索者を管理していたのでとうてい処理能力が足りず、法的な整備を何度か繰り返し、公社にコンピュータなどが導入されはじめた八十年代あたりから、ようやく実際に探索者のロスト率が減り始めたとか。

 それまでは、探索者資格の制度こそありましたが、あまり厳密には適用されていなかったようにも聞いています」

 このレストランはどうやらイタリア料理がメインであるらしいが、メニューにボルシチやちらし寿司が入っていたりして、なかなかカオスなお店だった。

 お昼のこの時間帯は定額食べ放題サービスをやっているらしく、ふかけんの人たちもよく利用をしているとか。

 食べ放題といっても作り置きの食べ物がいっぱい用意されてる形式ではなく、一品ずつ注文して作って貰う形式で、そのため常に暖かい料理をゆっくりと味わうことができる。

 あまり広いお店ではないがあまり知られていないのか、智香子たちが来た時には他にお客さんがいない。

 おいしいだけではなくその気になれば何品でも注文することが可能で、量が確保できるという意味でもありがたいお店だった。

 食事の量に関していえば、特に部活に出た日はとてもお腹が減る。

 智香子だけではなく、松濤女子全員がそんな状態であり、つまりは迷宮に入ることによってそれだけ運動をし、体がカロリーを求めているわけだった。

 だからこのお店のように食べ放題のお店は、ただひたすらありがたかった。

〈松濤迷宮〉の方にも、こんなお店ができてくれないかなあ。

 などと、智香子はそんな風に思う。

 そんな素敵なお店で蟹のクリームパスタを前菜としていただきながら、生活のために迷宮に入らなければならなかった戦災孤児の話題を聞く。

 なかなかに皮肉な状況だな、とも、智香子は思う。

 いやそれだけ、豊かな時代になったからでもあるのだろうけど。

「迷宮関連の法律は何度か改訂されているはずですけど」

 香椎さんが訊ねた。

「その際に、資格を取ることができる年齢を引き上げることは協議されなかったのでしょうか?」

「何度も問題視はされていたようですけど」

 葵御前はそういった。

「そのたび、改定案が流されているようですね。

 ここ最近は実際に戦災孤児が迷宮に入っていた時代よりも装備などの安全性が格段に高まっているので、強いて禁止をする必要もないという結論に落ち着いているようです」

 探索者の身を守る装備類の開発環境が整い、安全性が格段に向上したことによって、智香子たちのような年少者も安心して迷宮に入ることが可能になった、というわけだった。

 実際、智香子たちにしてみても、これまでに入ってきた浅い階層であれば、防御面で不安を感じたことがない。

 それどころか、今出入りをしている階層では、今の智香子たちの装備はオーバースペック気味ですらあった。

 もっと高級な、深い階層を出入りする探索者用の装備を開発するノウハウが、そのままもっと低価格な、初心者用の装備の製造にも流入している形になる。

 そうした探索者向けの装備を製造しているメーカーも、これまで何十年という単位で製造技術を蓄積しているわけで、後になるほど高性能な製品が廉価にでまわるようになっているわけだった。

 そこまで考えて智香子は、少し目眩がするような気がした。

 迷宮に挑んでいたの探索者たちだけではなく、その探索者を支えている迷宮外の大勢の人々も含めて、何十年という時間をかけて攻略をしてきたわけで。

 智香子たち松濤女子も、そうした大きな流れを構成する一要素に過ぎない。

 智香子が産まれるずっと前から存在していた迷宮は、出現当時から継続して攻略が試みられて、しかしいまだにその「果て」にまでたどり着いた人はいない。

 おそらく、智香子が死ぬ間際にとっても、その点は変わらないだろう。

 そこまで安易に攻略できる存在ならば、これまでに迷宮に挑んできた探索者たちによって、とうの昔に制覇されているはずなのだ。

 これはなかなか、凄いことではないのか。

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