第108話 成長
シカ型の角を、佐治さんが両手で掴んでいる。
手にしていた武器や盾は見当たらない。
どうやら、素早く自分の〈フクロ〉の中に収納をしたらしかった。
佐治さんはそのまましばらくシカ型を止めていたが、そのまま、
「ふん!」
という気合いとともに、シカ型を横に倒す。
角を持って力尽くでねじ伏せた、かなり強引なやり方だった。
横転したシカ型に、他のパーティメンバーが素早く群がって、無防備になった腹部や首に次々と手にしていた武器を突き立てる。
シカ型は、抵抗をする暇もなくそのまま絶命をした。
「よし!」
あちこちから血を流してシカ型が絶命したのを確認をして、佐治さんがガッツポーズを取る。
「無茶なやり方を」
その日の引率役だった松風先輩が苦笑いをしながらそういった。
「本当、強引な方法だったな。
エネミーと首相撲をしたやつ、はじめてみたよ」
「相撲っていうか、柔道なんすけどね、やっぱ」
佐治さんは、そういう。
「こう、密着しての競り合いは、結構慣れているんで」
力の入れ加減、相手との駆け引き、みたいなものかな。
と、智香子は思う。
確かに柔道という競技ならば、そういう感覚は磨かれるのかも知れない。
佐治さんは、自分の得意な分野で対エネミー戦に応用をしようと試みて、それに成功したことになる。
佐治さんが強引に横倒しにしたシカ型は、三十頭ほどいた群れの中の最後の一頭だった。
他のメンバーはすでに、ドロップしたアイテムの回収をしている。
倒したエネミーがアイテムに変わる確率は決して高くはないのだが、このシカ型はなぜかかなりの高確率で斧を落とした。
片手で扱える大きさと重さで、百頭も倒せば五本前後は落とす。
通常、アイテムをドロップする確率は一パーセント以下といわれていたから、かなりの高確率であるといえた。
問題なのは、この〈手斧〉が無価値に近いアイテムであり、どこかに売ろうとしても引き取り手が存在しないということだった。
その無価値なアイテムを回収するのは、ひとえに松濤女子の中にも数名存在している〈投擲〉スキル持ちのためで、この〈手斧〉は、重量的にもバランス的にも投げつけるのにちょうどよく、その数も多ければ多いほど都合がいいと説明されていた。
この階層をうろついていれば自然と入手が出来る〈手斧〉は、補充するのに容易く惜しみなく使用することができる、そんな消耗品として重宝をされている、という形になる。
夏休みも終盤のこの時期になると、智香子たち一年生たちも明らかに自分たちが力をつけていると実感できるようになっていた。
使用可能なスキルの充実や累積効果など、迷宮に由来する不思議なパワーだけに限定されず、場数を踏むことによって効率的なエネミーの対処法を学習したり、などのいわゆるプレイヤーズ・スキルもそうした自信の根拠となっている。
実戦を繰り返すことによって得られる安心、というのは、確かに存在するのであった。
それは、自分の力量を過信しないこと、という謙虚さと表裏一体となった自信であり安心なのだが。
智香子たち一年生は、少なくとも迷宮の中では、夏休みがはじまる以前よりもずっとリアリストになっている。
何度もエネミーとの交戦を繰り返していれば、いやでもエネミーごとの生態や弱点などについて学ぶし、それに自分たちの能力的な限界についても、過不足なく認識できるようになるのだった。
浅い階層であるといっても、迷宮の中がシビアな環境であることに変わりはなく、自分の力量を過信するのはそれこそ、いざという時に命取りにもなりかねない。
そのことが、頭の中でのみだけではなく、心の底から実感できるようになったのだから、この一夏の体験は決して無駄ではなかった。
と、智香子たち一年生としては、思いたかった。
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