第104話  〈ニンジャ〉

〈鈍牛〉の人は、なんだかよくわからない人だった。

 智香子は直接会話を交わしたわけではなく、あくまで先輩方とその人とのやり取りを少し距離を置いた場所から眺めていただけなのだが、とにかくなにかにつけ歯切れが悪いいい方をする。

 あれだけ大きな体をしている癖に根本的に臆病、というよりは、自分に自信がないのかな?

 と、そうした態度を見て、智香子は思った。

 先輩方もそうした、どこかおどおどしている様子を面白がって、かなりからかい気味の対応をしていた。

 年上の男性、それも体が大きい人をいじるのが楽しいのかも知れない。

 だが、その人は臆病なりに、そうしたいじりに対してもいちいち真面目な態度で対応していく。

「であります」

 という、どこか時代がかった語尾も、その人の真面目さ、いやそれを通り越した愚直さを現しているように思えた。

「ああいう真面目なタイプって、実は一番怖いんだよね」

 黎が、そんな様子を見ながらぽつりと呟く。

「どんなに煩雑なこともおろそかにせず、疑うこともなく、他人の評価も気にせず、これと決めたことは何度でも繰り返して体にしみこませる。

 そういう努力を惜しまない人っていうのは、長い目で見ると一番、物になる」

 妙に達観したような口調だった。

「それ、ブラバンとかでの経験?」

「うん。

 そんなもん」

 智香子が訊き返すと、黎はそう応じる。

「わたしはあそこまで、疑問を抱かずに練習し続けることができなかったんだよね」

 とにかく、それまで智香子の身の周りにはいなかったタイプの大人であったことは間違いがない。

〈鈍牛〉の人はまだ大学に入学をしたばかりの十八歳ということであったが、十二歳の智香子にしてみれば、十分な大人に思えた。

 そして智香子は、大人という人たちはもっと自分がなにをやるべきなのか、しっかりと自信を持っている人たちばかりであると思い込んでいた。

 そんな勘違いも、すぐに自分自身で訂正をするはめになるのだが。


「おい、野間!」

 途中、抜き身の日本刀を片手にぶら下げ、険しい顔をした男の人が駆け寄ってくるなり〈鈍牛〉の人に声をかけた。

「白泉のやつどこにいったか知らないか!」

「さて、わかりませんが」

〈鈍牛〉の人は、首を傾げながら返答をする。

「ぼくはずっとここにおりましたもので」

「っち!

 使えないやつだ!」

 日本刀の人は吐き捨てるようにそういって、すぐに駆けだして姿を消した。

「今の人は?」

 青島先輩が訊ねた。

「城南の先輩であります」

「あんな人もいるんだ」

「日本刀の魅力に取りつかれて収入のほとんどをそちらにつぎ込み、学業の方がおろそかになりがちであるという噂がある人であります」

 おい。

 少し離れた場所で聞いていた智香子は、心の中で突っ込みを入れた。

 その情報、今、わざわざ解説をする必要があるのだろうか?

 それでいて、そういった〈鈍牛〉の人の口調と態度は、極めて真面目なのだ。

 多分、自分の言動が日本刀の人の名誉を著しく損なう可能性があるということに、単純に思い至っていないのだろう。

「……城南って、いろいろな人がいるんだね」

 青島先輩も、半ば呆れたような様子でそう応じていた。

「それはもう」

〈鈍牛〉の人が大きく頷く。

「〈テイマー〉とか〈ニンジャ〉とか〈狙撃手〉とか。

 変わった人にはことかかないのであります」

「〈テイマー〉は、噂でちらっと聞いたことがあるかな」

 青島先輩はそういって頷いた。

「四人目だか五人目だかの〈テイマー〉スキルの持ち主が、ごく最近現れたって。

〈ニンジャ〉とか〈狙撃手〉っていうのは、知らない。

 ってか、そんなスキルあったっけ?」

「スキルではないのです」

 そういって〈鈍牛〉の人は、少し離れた場所の海岸近くを指さした。

「ほれ。

 ちょうどそこにいるのが〈ニンジャ〉のおーいですな」

「あ、あぶなっ!」

 そちらでは、さっき〈鈍牛〉に声をかけてきた日本刀の人が、白い保護服を身にまとった小柄な人影に向けて抜き身の刀を振り回しているところだった。

 白い保護服の人は両手になにも持たず、つまり素手で日本刀の人の攻撃を躱している。

 不思議なことに、日本刀の人の斬撃を躱しながらも、その人の近くにすり寄っていた。

 あれ?

 と、智香子は、その様子を見て不思議に思う。

 普通、ああいう人からは逃げるか距離を取るはずなのだが、その白い保護服の人はその逆に、近寄っているのである。

 それでいて、その動きや挙動に切迫した様子はなく、妙にゆっくりとしているように見えた。

 あんなにゆっくり動いていたら、あっという間にやられちゃいそうなものなのに。

 白い保護服の人は何度か日本刀の人の斬撃を躱した後、無造作に近寄って振りかぶったところを見計らい、日本刀の柄頭を、ぽん、と手のひらで叩いた。

「え!」

 同じようにその光景を見ていた黎が、小さな声をあげる。

「嘘!」

 嘘、といいたくなったのは、智香子も同じである。

 意図的にやったのだとしたら、白い保護服の人のあれは、人間業ではない。

 日本刀のような長い武器を振り回している相手の攻撃をかいくぐってあんな真似が可能なのは、それこそ眉唾物の、武芸関係の名人伝くらいなものだった。

 智香子たちが見守る中、白い保護服の人はまた日本刀の人から距離をあけて去って行く。

「確かに〈ニンジャ〉だわ、あれは」

 青島先輩は呟いた。

「わたし、この先いくら累積効果を溜め込んだとしても、あんな真似ができるようになるとは思えない」

 智香子も、まったく同じ感想を抱いていた。

 割と、大人って、大人ではないかも知れない。

 とも、智香子は思った。

 智香子が知る大人は、日本刀を振り回して他人を追いかけたりしないし、その斬撃を軽くいなしたりもしない。

 いや。

 大人にも、いろいろな人がいる。

 そう、解釈をするべきなのだろうか。


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