第87話 幸運のお守り

 智香子は黎に付き添いをする形で付与術工房の来るままでついていった。

 智香子が普段使っている得物のうち、棒は完全な消耗品であったし、ドロップ・アイテムの〈杖〉は品質が劣化するような使い方をする物ではない。

 しかし例が使用している二振りの短剣は、刃物であるからには継続して使用し続ければ切れ味が鈍ってくる。

 完全に手遅れになってから慌てるよりは、早めに専門家に手入れをして貰おうと、黎はそう思ったのだった。

 智香子自身はその付与術工房に用事があるわけではなく、完全に興味本位のおまけである。

 松濤女子探索部が公認しているその業者に、興味があった。

 聞けばその付与術士、〈エンチャンター〉のスキルを使って営業をしている人は、まだ若い女性だという。

 スキルを持っている以上、迷宮に入った経験があることは間違いがないのだが、探索者としてのスキルを迷宮の外で使って仕事をする、ということがどういうことなのか、自分の目で確かめてみたいという気持ちもあった。

 智香子は割と、好奇心が旺盛なのである。


〈松濤迷宮〉が入っているビルの地下駐車場、その片隅に一台のワゴン車が止まっていた。

 横に太いゴシック体の書体で、「岩浪付与術工房」とプリントしてある。

 そのワゴン車の横に「営業中」と書かれた立て看板が置いてあったが周囲に人気はなく、ひっそりとしている。

 近づいてよく見てみると、運転席に人が座っていて、しかし女性向け週刊誌を顔の上に乗せてどうやら昼寝をしているようだった。

 黎が車の窓を遠慮がちに叩いてみると、運転席の人は慌てて飛び起きて車の外に出て来た。

「ああ、こりゃどうも」

 眼鏡をかけた女の人が、黎と智香子にそういう。

「ええと、お客さん、なのかな?

 その制服、松濤の子みたいだけど」

 若いといえば若いのか、と、智香子は思う。

 そもそも智香子たちの年頃では、ある程度以上年を取った人の年齢を類推することがなかなか出来なかった。

 普段からして、「学生」と「それ以上」の二区分でしか見分ける必要がないのである。

「おじいさん」と「おじさん」の区別くらいはつくが、「若いおじさん」と「そうではないおじさん」、「そこそこ年がいった人」と「おじいさん」の境界線は曖昧であり、そうした事情は性別が変わってもあまり変わらない。

 この女性、多分、付与術工房を経営している岩波という名前の女性は、智香子たちの母親ほどの年齢には見えなかったが、学生にも見えなかった。

 三十歳前後になるのかな、と、智香子は推測する。

 それでも、自立している経営者としては若い部類なのかも知れなかったが。

「松濤の中等部一年生の、三嗣といいます」

 黎は、はきはきとした口調で名乗ってから、頭を下げて一礼をした。

「武器の手入れをお願いしたくてやってきました」

 そういって黎は持参したバッグの中から布に包んだ短剣二振りを取り出し、その場で包みを開けて付与術士に見せる。

「ちょっと見せてね」

 付与術士はそういって短剣を手に取って鞘から出し、その場で刃の部分をしげしげと観察しはじめた。

「うん。

 アイテムか。

 まだそんなに傷んではないようだけど?」

「あまり大きな傷ができたり、刃が欠けたりする前に見て貰おうと思いまして」

 黎は、しっかりとした口調で答える。

「なるほどね」

 付与術士はそれまで見ていた剣を鞘の中に戻し、もう一振りの剣を抜いて同じように観察をしはじめた。

「慎重なんだ。

 これ、どれくらい使っている?」

「二ヶ月と少し」

 黎は即答する。

「もう少し経つと、三ヶ月になります」

「一年生っていったっけ?

 てことは、入学してはじめて渡された武器がこれってことかあ」

 付与術士はそういった後、しみじみとした口調で、

「もうそんな時期なんだなあ」

 とつけ加える。

「かなり使い込んでいる割には、あまり傷んではないね」

 もう一振りの短剣も鞘に収めてから、付与術士はそういった。

「これならうちやる手入れで間に合いそうだ。

 あ、必要な場合は、ちゃんと専門の研ぎ師さんところに持っていく場合もあるから」

「別に、持ち物の劣化を遅らせるアイテムを身につけていまして」

「ああ、それでか」

 付与術士は大きく頷いた。

「いずれにせよ、これならなんにも問題ないよ。

 手入れと、それからエネミーへのダメージを増やす付与術もかけておく?」

「そんなことができるんですか?」

 黎は、目を丸くした。

「できるできる」

 付与術士は、なんでもないことのようにそういって、何度も頷く。

「そのための、〈エンチャント〉のスキルだもん。

 実は多少値が張るんだけど、どうで学校が払うんでしょ?」

「あ、はい」

 黎は小さく頷いた。

「でも……大丈夫なんですか?

 その、値が張るって……」

「大丈夫、大丈夫」

 付与術士は即座に断言した。

「君たちの先輩も、遠慮なくうちを使っているから。

 それに、松濤女子ってかなり儲けているからさ。

 こういうところでお金を流していかないと、税金で没収されるだけなんだよ」

 そんなものかもな、と、智香子は思う。

 納税関係のシビアさは、何度か母親から愚痴として聞かされていた。

「じゃあ、お願いします」

「そんじゃ、ちょっと待ってね?」

 二振りの短剣を一度黎の手の中に戻してから、付与術士は運転席のドアを開け、なにかを持参してすぐに戻った。

「それ、そのまま持っていて。

 写真撮るから」

 鞘に収まった短剣がはっきりと映るように黎に持たせ、付与術士はタブレットのカメラでその短剣の写真を撮る。

「ま、預かり書の代わりっていうかさ」

 付与術士はそんなことをいいながらタブレットの画面を慣れた動作で操作し、それから画面を示して、黎にいう。

「はい。

 よく読んで、内容に間違いがないようだったら、ここんところにクラスと名前を書いて」

 いいながら、タブレット用のペンを黎に渡した。

 タブレットの画面を見ると、どうやら契約書らしかった。

 画面にはずらずらと並ぶ文章と、それに短剣を構えた黎の写真が映っている。

 おそらく、こうした場合の専用のアプリを用意しているのだろう。

「次に巡回でこの松濤に来るまで預かる形になるけど、それで問題ないよね?」

 真剣な顔で契約書の文面を確認していた黎に、付与術がそう告げた。

「ええ」

 黎はタブレットの画面から目を離さずに、頷く。

「予備の武器はありますので」

「確認が終わったらいってね。

 そのデータ、ままそちらの委員会にも送付するから。

 ええと、それから……」

 付与術士はそういって、今度は自分の上着のポケットに手を入れて、出す。

「これ、よかったら持っていって。

 うちで作っている、幸運のお守り。

 今ならおまけで、無料でいいよ」

 付与術士が黎と智香子に渡したのは、ふわふわの白い毛に包まれた、ストラップらしかった。

 智香子が試しにそのストラップを〈鑑定〉スキルで見てみると、

〈幸運補正(極小)〉

 と表示された。

「まあ、ただで貰えるおまけだしな」

 と、智香子はそんな風に思う。


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