第85話 その後
思い返してみると、これほど大型のエネミー、いや、動物の死骸をまじまじと観察するのはこれがはじめての経験となる。
地面の上に横たわったシカ型は全身が血塗れになっており、静脈や内臓まで届いた傷があるせいか、ところどころでかなり大量の出血をしていた。
一言でいうと、小型のエネミーと比較して、かなり生々しく感じた。
なんらかのアイテムに変換する様子もなく、死骸は死骸のままでじっと横たわっている。
早くも地面から沸いてきたゼリー状のエネミー、スライムが多数その死骸に取りついて、その身を消化し始めていた。
あ、すでに命のない物体なんだな。
その光景を見た智香子は、そう実感する。
「さて。
予定よりも少し早いけど、一旦娑婆に帰ろうか」
引率役の先輩が、智香子たち一年生に告げる。
「慣れていないから仕方がないけど、みんな酷い格好だ。
一度帰って、しっかりと身を洗って帰るように」
そういわれてから、智香子たち一年生ははじめてお互いの様子を確認し合い、自分たちがエネミーの返り血でかなり汚れていることに気づいた。
これまでエネミーの血を浴びることがあったが、相手にして来たエネミーが小型な物ばかりであったため、これほど大量の返り血が服につくという機会がなかったのだ。
顔を見合わせてお互いの惨状を確認した一年生たちは、誰からともなく頷き合う。
次の瞬間、引率役の先輩が〈フラグ〉のスキルを使用して迷宮内の出口付近に移動し、そのまま外へと出た。
ゲートを出た後にそのまま解散、ということになり、一年生たちは力ない足取りでぞろぞろと歩きながら校舎へと向かう。
奇妙な、脱力感があった。
「とりあえず、この服を脱いでシャワーを浴びよう」
「うん」
などといい合いながら、一年生たちは歩き続ける。
シャワー室に入ると一年生たちは手早く保護服を脱ぎ、それを探索部専用の洗濯物入れに放り込んでから下着まで脱いで早々にシャワーを浴びる。
保護服にはエネミーの血や体の一部が付着するため、生徒たちがそれぞれの家庭に持ち帰って洗濯するということができなかった。
別に禁止をされているわけではないのだが、気分的な問題で普通の汚れ物といっしょに洗濯することが避けられる傾向があったし、それに深い階層に出てくるようなエネミーの中は、特殊な組成の体や体液を持つ物もいる。
結局、まとめて専門のクリーニング業者に任せておく方がなにかと便利であったし、そのための費用も探索部の方で負担をしていた。
特に今日のように大量の血が服にかかっている場合、必要な処置を経るまで保護服から生臭い匂いが抜けないので、そのまま家に持ち帰ることははばかられた。
大多数の生徒たちは智香子のように公共の交通機関を利用してこの学校まで通っているのである。
ちなみに専業の探索者たちは、保護服のクリーニングから装備品のメンテナンスまでを含めて一括で請け負っている探索者向けのコンシュルジュサービス業者と契約を結んでいる者が多いという。
ごく少数、そうした持ち物手入れも自分の手で行う探索者も存在するということであったが、大多数の探索者は面倒な作業ほど、他人任せにする傾向があるようだ。
「エネミーって動物だったんだな」
「まあ、動物だよね」
シャワー室のあちこちから、そんな声が漏れ聞こえてくる。
「あのシカ型、殺しちゃったんだよな」
「殺したんだよね。
みんなで」
改めて、迷宮に入るとはどういうことなのか、智香子たち一年生も実感できた、ということなのだろう。
別に後悔しているわけではないのだが、出現する確率がかなり低いアイテムを目当てにしてエネミーを殺し続ける、そんな行為が意味することが、ようやく腑に落ちて来た感じだった。
「あれが、探索なんだな」
「迷宮に入るとは、そういうことなんだよね」
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