第84話 イレギュラー

 一年生が迷宮に入ることに、慣れてきた時期でもある。

 それに、まだ一階から二階の浅い階層をうろうろしている段階であり、出没するエネミーにも余裕で対処ができる、という慢心もあった。

「おやまあ、シカ型だ」

 しかしその一年生たちの気楽な気分は、引率役の先輩の気軽な一言で霧散する。

「本来なら、もっと浅い階層にしか出てこないエネミーなんだけどな。

 ちょうどいい。

 腕試しに、一年生だけであれの相手をしてみる?」

 その先輩がいった通り、かなり先、おそらくは三百メートルは離れている場所に一頭のシカ型がぽつんと立っている。

 一年生は一斉に身を固くした。

 あれほど大きな、自分自身よりも背が高いエネミーを目の当たりにしたのは、これが最初なのだ。

 もちろん、一年生たちはあれほど大きなエネミーを自分たちの手にかけた経験も、ない。

「人数も居るし、あれくらいの相手なら余裕で倒せるはずだから」

 引率役の先輩は、有無もいわせぬ調子でそう断言した。

「自分たちの手でやってみな」

 つまりは、自分自身は手を出さないと、一年生たちに断りを入れた形である。

 そんなことをいう間にも、シカ型は距離を詰めてくる。

 人間と見れば例外なくすぐにでも敵対行動に移行する。

 そうした性質があるからこそ、迷宮内に出没する生物は「エネミー」と称されているのだ。

 まず智香子と、それに弓道部との兼部組が反応した。

 すでにエネミーがこちらの存在を認識している以上、なにも行動をしないでいるのはかえって危険なのである。

 智香子の〈ライトニング・ショット〉とそれに弓道部兼部組の〈梓弓〉とが、シカ型を襲う。

 まず〈梓弓〉がシカ型の体に命中し、鮮血が弾けた。

 弓道部との兼部組はこのパーティには五人ほどいて、それはパーティ全体から見ると三分の一弱の人数に相当する。

 つまり、五カ所ほど皮膚が避けてそこから流血している状態であったが、シカ型がこちらに突進してくる勢いは減じない。

 少し遅れて智香子が放った〈ライトニング・ショット〉が命中すると、シカ型は一瞬身を竦めて立ち止まったが、ただそれだけだった。

 すぐに首を振ってからこちらを睨み、直前までと同じように突進してくる。

「盾で止める!」

 そういい残して前に進んだのは、佐治さんだ。

「その間に、攻撃を!」

 シカ型の突進を佐治さんが阻んでいる隙に攻撃をしろ、ということなのだろう。

 が、それは智香子には、かなり無謀な構想に思えた。

 確かに佐治さんは一年生の中では大柄な方であったが、それでもあくまで「同年代の女子の中では」ということであり、実際には百六十センチを少し超えるほど身長しかない。

 いくらがっしりとした体格をしているからといっても、自分よりも目線の位置が高いあのシカ型を、正面から止めることが出来るとは思えなかった。

 なにしろ、あのシカ型の方が体重も力もありそうなのだ。

 盾でエネミーの突進を止めようとしても、その逆に佐治さんの方が吹き飛ばされるのがオチだろう。

 しかし、予想に反して、佐治さんはシカ型を盾で受け止めて見せた。

「よし!」

 と叫んで、立派な角を振りかざしながら突進してきたシカ型の前進を、透明な硬化樹脂の盾で止めて見せたのだ。

 その左右にとりつくように、パーティの前衛役がそれぞれの得物を振りかざしてとっりつく。

 剣であり槍でありメイスであり。

 そうした得物で遮二無二に、シカ型の体を滅多打ちにし出したのだ。

 シカ型の皮膚はあちこちで裂け、すぐに満身創痍になった。

 しかし、見た目ほどにはダメージがないのか、すぐに身震いをして左右の一年生に角を当てようとしてくる。

 それを避けながら、シカ型の注意が逸れた隙をついて、さらに攻撃が加えられる。

 一年生たちも累積効果によって俊敏になっており、落ち着いていさえすれば、シカ型程度の動きならばどうにか対処をすることができた。

 シカ型の注意を左右で引き合いながら、注意が逸れた側にいた一年生が積極的攻撃するという、自分たち自身を囮にする戦法を使い、かなり長い時間をかけて、シカ型を倒しきる。

 早い段階から動脈を切り裂き、何度も繰り返し頭部に強い衝撃を与えていたのだが、野生動物の生命力は智香子たち一年生が想定するよりも、ずっと強かった。

 ようやく事切れた時、シカ型のほぼ全身が真っ赤に染まり、体表の所々が場合によってはミンチも同然の状態になっていた。


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