第70話 香椎さんと黎
智香子もその時の香椎さんの言動に動揺していたが、それは放たれた言葉、その内容に感情を動かされて訳ではなく。
そういった時の香椎さんは、うっすらと微笑んでいたのだ。
「香椎さんは、お母さんのことを憎いでいるの?」
飄々とした、いつもと同じ口調で黎が香椎さんに訊ねる。
言葉を失っていた他の一年生とは違い、この黎だけは香椎さんの言葉に動揺した様子が見られなかった。
「まさか」
香椎さんは笑みを浮かべたまま、いった。
「仮にもこれまで育てたく人なんだし。
ただちょっと頼りないっていうか、弱い人だとは思うけど。
そう、早く大人になって養ってあげなくちゃな、と思わせるくらいには」
「なるほどね」
黎は香椎さんの言葉に頷いた。
「探索者を目指すのは手っ取り早く自立するための手段ってわけか」
「松濤女子に入れば、少なくとも卒業するまでには一人前の探索者になれる」
今度は、香椎さんが黎の言葉に頷いた。
「その先、専業を続けるかどうかは別にして、収入源を確保しておけば選択肢もそれだけ増えるでしょ?
あなた、三嗣さんっていったっけ?
あなただけあまり驚いていないように思うのだけど」
「身の回りに迷宮の関係者が多い環境で育っているもので」
黎は、平静な態度で続ける。
「なんというか、見てきているんだよね。
わざわざ探索者なんてやるような人っていうのは、やはりどこかおかしい。
特に専業でやってる人たちというのは、どこか社会の枠からはみ出した、社会不適合者がほとんど。
いや、全員が全員って訳じゃないけど。
で、そんな専業探索者と家庭を作る人っていうのは、これもまたちょっとどこかおかしな、たがが外れた人が多いんだよね。
香椎さんはさっき依存って言葉を使っていたけど、経済的に、あるいは精神的にべったりとのしかかっちゃう人は、探索者の伴侶として決して珍しくはない」
「事情通の三嗣さんにしてみれば」
香椎さんは黎の目をまっすぐに見据えた。
「こんな境遇も決して珍しくはないってこと?」
「うん、まあ。
正直にいえば」
この問いかけに関しても、黎はあっさりとも頷いた。
「でもまあ、探索者の伴侶がそういう人手ありがちなのはともかく、子どもの方はたいてい、親からのしかかられるとすぐに根を上げて逃げるか他の大人に相談するか、とにかく、そういうパターンの探索者の家庭は、大黒柱である探索者がロストした場合、すぐに崩壊する。
その意味で、香椎さんのお母さんはともかく、香椎さん自身はかなり珍しい方だと思うよ。
その、その年齢で、そこまで決断をできっていうのは……んー、なんていうのかな。
そう、とてもクールだと思う」
「あ」
まさかそんな風に褒められるとは思わなかったのか、香椎さんは虚を突かれた顔をした。
「その、ありがとう」
「ねえねえ」
小声で、黎の隣に座っていた智香子が訊ねる。
「止めないの?」
「止める?
なんで?」
黎は、そういって首を傾げた。
「止めなければならない要素っていうのが、一つもないんだけど。
っていうか、香椎さんの選択っていうのは、実はかなり堅実だと思うよ。
とりあえず松濤に入っておけば、煩そうな親は黙らせることができる。
それに、香椎さん自身もいっていたように、卒業するまでは探索者として十分に独り立ちができるようになる。
経済的に自立しさえすれば、あとは香椎さんが自分の意思で自分の人生を歩んでいけばいいだけのことで。
親とか大人とか、他人に強要されて無理に探索者になれって強要をされているのなら即刻止めるけど、自分で決断して選択していることなら止める理由はないなあ」
「ねえねえ」
他の一年生が、ここぞとばかりに身を乗り出してきた。
「三嗣さん、探索者のことに詳しいの?」
「詳しいっていうか、探索者をやっている大人をいっぱい知っているってだけなんだけど」
黎はそういってゆっくりと首を振った。
「親類にも何人か探索者がいるけど、なんというか、変人が多いんだよね、探索者って」
「そういう人たちって、専業なの?」
「専業の人もいれば、兼業……というより、本業の片手間に、あくまで趣味として迷宮に入っている人もいる。
それに専業っていっても毎日のように迷宮に入る人ってそんなに多くなくって、何日か探索者やってお金稼いだらしばらく、何十日が好きに趣味とかに走って過ごすような人が多いんだけど。
そういう人たちなんかは、世間的に見れば立派な社会不適合者だと思うな。
うちの親も世間と感覚がズレすぎるから、専業の探索者にはなるなっていっているし」
それを機会に、見事に話題が香椎さんのことから逸れて、黎への質疑応答に移った。
その日の集まりの後半は黎による専業探索者の生態暴露大会になだれ込み、そのままお開きとなる。
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