第55話 松濤女子のドクトリン
六月からしばらく、松濤女子の一年生はひたすら先輩方のパーティに入れて貰い、迷宮の中に入る。
とはいってもやはり先輩方と一年生ではそもそも力量差がありすぎるので、対エネミー戦ではほとんどの場合、一年生が手を出す前に方がついてしまう。
結局、一年生の仕事はといえば対エネミー戦前後の先輩方へのフォローや、それにドロップ・アイテム拾いなどの雑用にほぼ限定されてしまう。
それでも同じパーティの一員として迷宮内に入れば経験値的な分け前は得られるわけであり、智香子たち一年生は「たいした仕事もしていないのに」と少し引け目を感じていた。
「気にしない、気にしない」
先輩方は声を揃えて、そんな風にいってくれる。
「毎年順番にやっていることだし、一年生のこの時期は少しでも多くの累積効果を貰うのは当然だしね。
それに、累積効果のあるのとないのとでは、探索者としての安全性と能力の安定性が段違いになる」
一年生を育てるのはその一年生のためではなく、松濤女子という集団全体の能力を向上させるためでもある。
累積効果とは「経験累積効果」の略で、この言葉が出た当時はRPG的なゲームもこの世に存在しなかったので「経験値」という呼称にはなっていない。
とにかく、迷宮に入ってエネミーを倒すと、そのエネミーの数や強さに応じて探索者の能力も強化されることはかなり早い時期から気づかれており、そうした現象を指す言葉として現在に至るまで使用されている。
この累積効果は同じパーティ内にいればそれだけでいくらかは分配されるシステムになっているらしく、直接エネミーを攻撃していない場合でもその恩恵に預かることが可能だった。
この迷宮の効用を利用した形で、この時期の松濤女子はパーティ一つにつき数名の一年生を組み入れて、一年生の強化を図っている。
一年生の能力が全般的に強化をされることは、先輩方の反応を見れば瞭然であるように、おおむね歓迎されていた。
先輩方にしても一年生の、迷宮に入りはじめた当時はこうして下駄を履かせて貰っていたわけで、今年の一年に対しても順送りに同じ事をしているだけ、という意識もある。
なにより、基本的な能力はともかくとして、探索者一人一人が生やす〈スキル〉の種類や性質を事前に予測することは不可能であると、そういう事情もあった。
迷宮に集まる探索者の社会とは、ある時点まで能力的な成長、伸びが遅く、仲間から見放されてかけていた人間がある日突然、使える〈スキル〉を生やし、そのスキルを目当てにパーティを組みたがる者が続出する、ということが普通に起こりえる場所なのである。
松濤女子でもその例外ではなく、後輩を育てることに関しては非協力的な態度を取る者は皆無であるともいえた。
ただこの〈スキル〉についていえば、同じパーティに同行をして累積効果のおこぼれを貰うだけの場合よりも、自分から能動的に動き、直接エネミーと戦った場合の方がずっと生えやすいという事実も広く知らされている。
どうやらどの〈スキル〉が生えるのか、という選択は、その人物の人格や来歴などを反映する場合と、それに、迷宮内でその人物がどのような行動を選択したのかという要素が複雑に絡み合って決定されるらしい。
探索者たちは、これまでの経験則によってそうした傾向を把握していた。
いずれにせよ、一学期半ばのこの時点では、一年生たちは多少のことではへこたれないだけのタフさを身につけることを優先して貰っている。
体力や反射神経などの身体能力が底上げされれば、自然と多少の危地に際しても余裕を持って対処ができると、そう思われているからだった。
松濤女子は、これまたこれまでの経験により、余分に累積効果を取得しておいた方がなにが会った時の安定性がぐっと増すと、そう考えている。
能力が全般に底上げされていれば、いざエネミーと対峙したときでも、より安全に対応が可能だからである。
また、そうした思惑が、エネミーに対する好戦的な態度として表れている、という傾向も否定はできなかった。
「やられる前にやれ」
「安全マージンはかなり余裕を持って」
「エネミーが反撃する暇を与えずに殲滅せよ」
など、完全に攻勢に偏った戦闘方針を打ち出し実戦しているのは、
「そうすれば味方の危険性が減少する」
という身も蓋もない経験則があるからであった。
毎年一年生の育成に力を入れるのも、味方の戦力を増強する方策の一環という側面が、間違いなく、存在する。
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