第51話 八代さんの回答
その日の引率役は八代さんという中年女性で、なんでも何年か前の卒業生の保護者だった人、なのだそうだ。
松濤女子の学生だった娘さんに感化される形で迷宮に出入りをするようになり、それが現在まで継続している、という形であり、この八代さんのようなパターンは割と多く、継続的に引率役を引き受けてくださるので松濤女子の探索部としてはかなりありがたい存在だといえる。
その年齢もあって温厚そうな印象を受けるこの八代さんに、智香子は自分と黎が抱えている違和感、
「松濤女子とエネミーとの関係とは、あまりにも一方的でアンバランスなのではないか?」
という問いをぶつけてみた。
「ああ、そうねえ」
八代さんはいきなりそんな問いをぶつけてきた智香子を邪険に扱うわけでもなく、そういってなにか考え込む顔つきになる。
「智香子ちゃんは、エネミーと探索者とは、対等であるべきだと思っているわけね?」
しばらく間をおいて、逆にそう質問をしてきた。
「対等というか」
智香子は、頭の中で言葉を探しつつ、ゆっくりと答えた。
「極力無駄に殺すべきではない、と、そう思ってはいます」
なんだろう。
と、智香子は思う。
漠然ともやもやしている内容を言語化して他人に説明しようとすることはとても難しく、なんだかすごくもどかしい。
「無駄、か」
八代さんは、また考え込む顔つきになった。
「なんでエネミーを殺すのがいけないのか、その理由を説明して貰える?
エネミーを殺すのがいけなかったら、そもそも探索者の活動全般を否定するべきだと思うのだけど。
一部の過激な自然保護団体は、そういう主張を掲げて行動していますけどね」
「それです」
智香子は身を乗り出す。
「そこが、自分でも矛盾しているなと、そう思うところなんです。
探索者の活動全般にはまるで抵抗を感じないんですが、先輩のやり方を同じパーティの一員として実際に体験してみると、なんかすごく嫌な気分になる。
この差は、どこから来るんでしょうか?」
「うん。
矛盾、ね」
八代さんは智香子のいいようをじっと聞いた後、そういって頷いた。
「智香子ちゃんは多分、エネミーを娑婆の動物と同一視しているんじゃないかしら」
「動物と、同一視……ですか?」
八代さんにいわれた内容、その意味を汲み取りかねて、智香子は首を傾げる。
「娑婆の、っていうか、エネミーって動物ですよね?」
探索者が「娑婆」という時、その対義語は「迷宮」ないしは「迷宮内」になる。
つまりは、「迷宮に属する世界」の違いを強調して「その外部の世界」について言及する時、「娑婆」という語彙を使う傾向にあった。
「動物の一種では、あるのでしょうね」
八代さんは、ゆっくりとした口調で説明をしてくれる。
「ただし、わたしたちとは別の世界の。
DNAがあり、繁殖する要件も備えているけど、娑婆では長く育たない。
第一、迷宮内に生態系が存在しているわけではなく、あのエネミーたちはどうももともと存在していた世界からある日突然、迷宮の中に連れてこられているようだと、学者の先生方は、今の時点では、そう結論しています」
エネミーにはあのスイギュウ型など、草食動物に属する物も存在するのだが、その食糧となる植物はほとんど存在していない。
しかし、これまでに研究用に採取された個体の内臓からは、こちらの世界、つまり娑婆には存在しない植物が頻繁に見つかっていた。
こうした根拠から、
「エネミーは動物である。
しかし、この世界ではない、どこか未知の世界で独自に進化をしてきた動物である」
という見解が、今の時点では支配的になっている。
「わたしたちが無闇に動物を殺してはいけないと、そういう時、その前提には生態系の保全とか、外部の環境の一要素としてその動物を認識しているわけです。
一部の動物を絶滅してしまうと、もう後戻りはできない。
そのことについて、人類はこれまでの経験から学んでいるわけですから」
八代さんは、淡々とした口調で続ける。
「でもそれは、あくまで娑婆の論理ですね。
迷宮の中では……そもそもあのエネミーたちは、探索者に狩られるために存在し、いくら狩ってもすぐに補充をされる。
生態系への影響はなく、その場でその場で独立した存在でしかなく、しかも、仮に探索者が狩らなくとも、その場で餓死するしかない。
あの迷宮内で出現をした時点で、その命運がほぼ決している存在です」
そんなエネミーを、智香子は娑婆の動物と同一視しているのではないか。
穏やかな口調で、八代さんはそんなことをいう。
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