第三章 暗転 5-3
5-3
「甘いのよ、アンタ」
「どういう意味だ」
「言葉のとおりよ。人のことを利用しておきながら、最後の最後に謝るとか、悪党の風上にもおけないわ。ただの格好つけじゃない、あんなの」
「……」
「人をけなす言葉を吐くのは大いに結構。冷淡な態度を取るのもアンタの勝手よ。でも、それで一番傷ついているのは……アンタ自身でしょうが」
何のことはない。結局のところ、彼は他人と心を通わせることから、過度に逃避していたのだろう。人を傷つけたくない。悲しませたくない。だからこそ、きつい言動で遠ざける。そのような態度を取っている自分自身を、心底嫌悪し続けながら。
きっかけなどわからない。いつからかも知ったことではない。でも、その事実に気がついてしまったから。だから、見捨てることができなくなった。できなくなってしまったのだ。
「人のことを、言葉で定義するな。不愉快だ」
ぽつりと、御影が呟くように言った。
エボニーは答えない。ただ黙って、彼の前に立ち続ける。
やがて彼は、何かを諦めたかのようにがっくりと肩を落とし、ため息交じりに言った。
「……そう、お前以外の相手になら、返せたんだけどな」
エボニーはクスリと笑ってその場にしゃがむと、御影の顔を下から覗き込んだ。
「この、バカナタめ。やっと素直になったわね」
「参ったな。まるで俺が、いい人みたいじゃねえか。これだから言葉ってのは嫌いなんだ」
御影は心底困惑したようにそう言って、エボニーの視線から逃げようとするかのようにその場に立ち上がった。
ここでまた一歩踏み込もうとしても、逃げてしまうことはわかりきっている。こうしてみるとただのシャイな人間のように御影が思えてくるが、彼が言ったように、人間というのはレッテルを貼りつけて理解できるような存在ではない。
ここで重要なことは、一つだけ。御影奏多が御影奏多であり、エボニー・アレインがエボニー・アレインであることだけだ。
「そして私は、外面がいいだけの悪い子よ。アンタとは違ってね」
「よく言うよ。悪人も見捨てられねえ善人が」
「アンタだけには言われたくないわね。隊長から聞いたわよ。ったく。ブレインハッカーがいようがいまいが、世界を敵に回すのは同じでしょうに」
「……あの野郎。俺にばれる前から、べらべら喋ってやがったのか」
御影はエボニーから顔を背けて、舌打ちを一つした。
彼女はそんな御影の様子に、御影以上に大きな舌打ちをすると再び立ち上がり、彼の頭を掴んで無理やり顔を自分の方へと向けさせた。
「いい加減、一人でいようとするのはやめなさい。アンタが拒もうとしても、この国には億を超える人間がいるの。孤独になんか、させてやんないんだから」
「そいつは……反吐が出るぐらい、ありがたい話だな」
「だから、まずは私に、アンタを助けさせなさい」
御影はぴくりと眉を動かすと、エボニーの両目を見上げてくる。いつか追い抜かされるものと思っていたが、自分も同じだけ背が伸びて、互いの目線の角度は変わらないままだった。
「駄目だ。危険すぎる」
「舐めないでよね。こう見えても、学生警備副隊長として、数々の事件に出向いている。実戦経験は、アンタよりも上よ」
「そういう問題じゃねえだろうが」
「いいから」
エボニーは御影の頭を尽きはなし、額に右人差し指を突きつけた。
「少しは、自分に甘くなりなさい。この馬鹿」
「あんまり馬鹿って言うなよな。ホント、ガキの頃から何一つ……」
御影はそこで口を噤むと、自分が言おうとしたことを否定しようとするかのように、ゆるゆると首を振った。普段の彼の態度からは信じがたいほどに、穏やかな微笑を浮かべている。しかしなぜだかそれが、日に煌くひとかけらの雪のように儚く見えた。
エボニーの前で彼は一度目を強く瞑り、そして開く。反射的にエボニーが瞬きをしたその刹那に、御影奏多は絶対なる自信を感じされる、あの不敵な顔に戻っていた。
「いいのか、エリート。今まであくせく昇ってきた出世階段から、一気に転げ落ちんぞ。なまじそこそこ高いところまで行けてたから、骨折じゃすまないぜ」
「そういうアンタこそ、頭の上まで泥沼に埋まった状態から、まだ沈むつもりなわけ? 出てくるころには化石になっているわよ」
「ハッ。もしそうなったら、博物館に展示されてから夜中に館内徘徊するわ。ナイトでミュージアムな生活を楽しむわ」
「……元ネタがわかんないボケやめてくれない?」
おそらくは、四百年前の古典的作品を持ち出したものだ。この男、紙の本を好んだり、ホログラムではなく物理的なスクリーンで映画を見たり、何かと前時代的なものを好む傾向にある。となると必然、触れる作品も昔のものが多くなるわけだが、こちらとしては話題にされてもわけがわからないため正直やめてほしい。
全てが終わった暁には、歌手のライブ観賞にでも巻き込んで、徹底的に趣味を現在風に是正してやろうなどと我ながら大胆なことを考えつつ、エボニーはパンと手を打ち合わせた。
「そうと決まれば、行動開始よ。私とアンタの能力、割と相性がいいと思うのよね」
「同意したくないが、まあ確かにそうだろうな」
「ああでも、私、物事をそこまで深く考えられるわけじゃないから。作戦立案の方は、アンタがやってくれる? 何も考えずにここまで来ちゃったから」
「わかったよ。全て俺に、任せておけ」
御影はやれやれといった顔で首を振りながらエボニーの肩に手を置き……そして、一気に彼女の体を引き寄せた。
「……え?」
思わずその場に踏みとどまろうとして、逆にバランスを崩し、御影の方へと倒れる形になったエボニーの腹部に、御影奏多の膝が恐ろしい勢いで吸い込まれた。
肉と肉がぶつかる、重く、鈍い音が響き渡る。
一瞬で意識が持っていかれそうになるのを気力だけで耐え、エボニーは笛の音のように甲高い呼吸を繰り返しながら、御影のパーカーを強く掴んでなんとか体を支えた。
「……ア……アンタ……!」
「すまない、エボ」
明滅を繰り返しながらだんだんと暗闇が迫ってくる視界のどこかから、彼の声が降ってくる。バイクでの追跡劇の最後に聞いたあの声と、そっくり同じ愁いを帯びた謝罪の言葉が。
違う。こんなものをまた聞くために、わざわざここまで来たわけではない。ここで倒れてしまえば、何もかもが無駄になってしまう。
しかし、慈悲によるものであるがゆえに情け容赦のないその一撃は、確実にエボニーの意識を刈りとるためのものだった。
「お前は……お前は、知っちゃだめだ。俺だけで、いい」
白濁していく頭の中で、一体何を知られたくないのかという疑問がわいてくるが、それもすぐに渦巻く意識に巻き込まれて、奈落の底へと吸い込まれて行ってしまう。ここに来る前に立てた決意もむなしく、彼女はこの事件から脱落しようとしていた。
まったく。なんて奴だ。信じがたいほどの大馬鹿だ。この、この……。
「…………この、お人好しめ」
その、怨嗟なのだか、諦めなのだかわからない言葉を置き土産にして。学生警備副隊長、エボニー・アレインは、埃にまみれた倉庫の床へと崩れ落ちた。
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