第三章 暗転 6-1



6-1



 理想論を非難する理由が、それが眩しいからだと気がついたのはいつごろか。


 他の人間にとってはわからない。しかし御影奏多には、世の中において当たり前だという意見が、他者を慮るための道徳はすなわち真理だという主張が、わけもわからず怒鳴り散らしたくなるほどに拒絶反応を示してしまう代物だった。


 そんなはずはない。世界がそんなに、優しい物であるわけがない。いくらでも闇がある。そこら中に悪がある。耳障りのいい建前など、現実を前にすれば無力だ。


 そうやって、曲がって、折れて、捻くれて。あたかも、正義を認めないことが正義であるかのように、否定して、否定して。正しさなどないと、声高に叫んで。


 そして気がついたときには、その否定するための根拠すらも、信じられなくなっていた。当然だ。最初から、結論ありきの、証拠をでっちあげる作業でしかなかったのだから。


 こうして、御影は日々追い詰められていった。理想は眩しい。現実は騒がしい。理想を取れば傷だらけになって前へ進むしかなく、それならばと、現実的などという言葉を信じれば、ふいに膝をつかされるほどの後悔が胸を占める。


 そんな、中途半端な状態だったのが、いけなかったかもしれない。何かを否定するほど簡単なことはなく、後ろ向きに考えるほど気が楽なものはない。そうであるはずなのに、ルークが告げたその『常識の否定』は、容易に御影奏多の胸を引き裂き、鮮血を迸らせた。


 目を瞑り、思い出す。二度と考えたくないほどの衝撃を受けたからこそ、こうして自ら傷口を抉るかのように回想をし続ける。何回も。幾度となく。



  ※  ※  ※  ※  ※



『――超能力研究において、精神粒子の観測に成功したときに明らかになった問題が、実はもう一つあったんだ。二つ目の問題は、一つ目よりもずっと簡単だ。世界の見方の違いなんていう曖昧な概念に比べれば、もっと感覚的に理解することができる』


 そう。話は、至極単純だった。


『――人間一人が操れる精神粒子の量に、限りがあったんだよ。超能力により世界を改変するなんて、夢のまた夢。簡単に言えば、火力を出すための燃料が不足していたんだ』


 人間の力が限られたものであることなんて、最初からわかりきっていたことだった。だからこそ人は道具を作りだすことで、己の手足を延長していった。


 いや、もっと単純な真理があるじゃないか。


 奇跡は起こらない。


 人の住む世界に、本物の英雄は存在しない。


 ……まったく、笑わせる。自分の価値が、超能力者であることのただ一点だと信じていた馬鹿は、どこのどいつだ。


『――人は、自分が持っている僅かばかりの精神粒子しか操ることができなかった。例えば消化器官で分泌される物質を外部に持ち出したとしても、人間に操ることができないのと同じだ。当然と言えば当然さ。だけれども、超能力という異常を起こすには、それでは絶望的だった』


 ならば、どうするか。答えはもう、出ているようなものだった。


『――超能力者として選んだ数人に、他人から精神粒子を奪わせることにしたんだよ』


 個人の力が足りないなら、他人の力を合わせればいい。みんなは一人のために。一人はみんなのために。その理想を曲解した、歪なヒエラルキーを生み出すシステム。


 幸福を得るにはどうするか。他者に不幸を振りまけばいい。


 裕福になるにはどうするか。他者を貧困に喘がせればいい。


 栄福を取るにはどうするか。他者が蹴り落とされればいい。


 では、超能力者となるためには、どうすればいいのか?


 他の人間が超能力者となる可能性を、潰せばいい。


 人間社会はいつだって、ゼロサムゲーム。限られたリソースを奪い合う、ルール無用の競争だ。持つ者と持たざる者。二極化が進む、弱肉強食という名の平等。


 理想にも現実にも裏切られ、ただ彼女を守れる力があることに望みをかけ、世界の全てを敵にまわし、いつもいつも美化される真相とやらを追い求めた結果が、これだ。


『――すでに精神粒子の動きを操れる機械はできていたんだ。やることは決まっている。誰でもいい。大多数の一般人が保有、供給する精神粒子と、自然界に存在するものとを、選ばれた極少数の人間に集中させればいい。それだけで、その少数を絶対なる存在とすることができる』


 第三次世界大戦終結後に、人類をまとめあげるには象徴が必要だった。


 圧倒的な力を有する、文字通りに選ばれた人間たち。人工の神に祝福を受けた英雄。たとえそれが、偽りでも構わない。神話や伝説を描くのは、いつだって人間なのだから。


 御影奏多という人間は、他者を、自らを欺くばかりでなく。全人類に対して、優秀な人間だというハッタリをかました、ペテン師だったというわけだ。



  ※  ※  ※  ※  ※



 ……どうして。この事実をどうして、他の超能力者に伝えることができようか。


 気絶し動くことのできないエボニー・アレインの前で、御影奏多は力なく膝をつき、薄暗い天井を見上げた。蛍光灯の周りを、数匹の羽虫が飛び回っているのが見えた。


 自らの力を誇り、練磨し、世の中の役に立ちたいと願う、選ばれし者たち。彼らは、何も悪くない。知らないという事実を罪に問うことが理不尽極まりないがゆえに、無知が生む理不尽に対しては、何もすることができない。


 超常の力を持たぬ弱者を守ると言えば聞こえがいい。だが、強弱とは相対的に決定する物。ましてやそれが、一般人と呼ばれる人々から奪った物だと知った今では滑稽でしかない。


 守ろうとしていた者を傷つけていたのは、自分自身だった。エボニーのように正義を志す、あまりにも善良で真っすぐな人間にとって、これほど残酷な事実はないだろう。


 自分に素直になるならば。己の浅ましさに、正面から向き合うならば。


 超能力者に、その中でもとびきりに優秀な者に『なった』ことで生じてしまった自尊心を、薄汚い優越感を否定することはできない。そして、その脆く歪なプライドは、今、あっさりと自壊させられてしまった。


 強者だと思っていたら、強者にされられていただけだった。


 自分は、どこにでもいる、ごくごく普通の人間だった。


 特別では、なかったのだ。



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