第三章 暗転 5-2



5-2



「私は、ただアイツと話をしに来ただけです。通してもらえませんか?」


「もちろん。ここで止めるほど無粋ではないよ、彼女さん」


「そんなんじゃありませんよ。誰が好き好んで、自分を利用するような男と付き合うんですか。強いて言うなら、そうですね。親友なんですよ、私たちは」


「なるほど。面倒くさいね」


 本当、その通りだと思う。


 人はわかり合えない生き物だと、ジミー・ディランは言った。それを否定するつもりはない。自分はずっと、彼のことがわからなかったし、彼もまたエボニー・アレインという人間をはかりかねているのだろう。


 だけれども。お互いに、わかっていることだって、確かにある。


 それはきっと、言葉では言い表せない。エボニー自身、今更御影と顔を合わせたところで、何ができるかもわからない。それでも、ここに来た。


 彼は治安維持隊と戦うために、自分を利用した。だけれども、考えてみればそれは非常にリスクの高い選択だった。ジミーに対して根回しはしていたようだが、自身のアキレス腱であるアカウントナンバーを第三者に提示するなど、奇妙な話だが、その人間を信頼していなければできないことだ。彼は、エボニーが利用されてしまうほどにお人好しであることを知っていた。


 都合のいい考え方かもしれない。現実逃避だと笑われても、何も言えないだろう。それでも今は、彼が高速道路で最後に呟いた、あの言葉を信じたい。


 そう、決意を固めながら、銀髪の女に案内され、倉庫の前に来たところで。


「嘘だ!」


 ……今まで聞いたこともないほどの悲痛な叫び声が聞こえてきて、エボニーはびくりと肩を震わせた。


「頼む! それは嘘だと、そう言ってくれ!」


 あの傲岸不遜な自信家が。常に不敵な笑みを浮かべ、他人に対し小馬鹿にするような視線を向ける、第一高校の頂点が。


 触れれば崩れ落ちそうなほどに繊細で、それでいて烈火のごとく荒々しい、魂を吐き出すような悲鳴を上げているとは。一体全体、どういう状況なのか。


「あーあ。やっぱりそこまで聞いちゃったか。余計なことを」


 銀髪の女が隣で心底呆れたといった顔で、ため息交じりにそう言った。エボニーが疑問の視線を投げかけると、彼女は肩をすくめてきた。


「とりあえず、会ってあげなよ。話はそれからだ」


 止める間もなく、彼女は「エボちゃんが来たよ」と大声を上げると(なぜその愛称を知っている)、かなりの重量がありそうな倉庫の扉を一気に開け放った。


 明るい蛍光灯の光が、網膜に突き刺さる。しかしエボニーは目を細めることもできずに、ただただその扉の奥にある光景を見つめていた。


 無造作に置かれた段ボールに一人の男が座り込み、右手で額を抱えて項垂れている。憤怒か悲哀か、それらが入り混じった何かか。今にも爆発しそうなほどの感情が彼の中で、嵐となって吹き荒れているのが手に取るようにわかった。


「御影」


 思わずこぼれたその呼び声に、御影奏多はゆっくりと顔を上げた。


「…………」


 思わず、二、三歩後ずさりをしてしまう。自分の呼吸の音が、いやに大きく聞こえる。

 その両目には、何もなかった。


 ひたすらに虚無で、どこまでも無味乾燥だった。


 たとえるなら雪原。極小の氷の粒が吹き荒れる、極寒の砂漠だと言われても納得するような、銀世界。生物の踏み込める領域ではなく、開放的であるはずなのに、完全に閉ざされている。


 これほどまでに絶望しきった人間を見るのは初めてであるはずなのに、エボニー・アレインはなぜだかその光景に見覚えがあった。奇妙なデジャブ。何かが、頭の片隅に引っ掛かっている。なぜなのかと疑問に思ったところで、彼女は一瞬にしてその答えにたどり着いた。


 人は変わるものだと、ジミーは言った。そしてそれは、正しかった。


 だけど、御影奏多が変わったのは、ずっとずっと、昔のこと。


 ――ああ。だから、私は……。


「なんて顔してんのよ、アンタ」


 エボニーは強く唇を結ぶと、御影の元に大股で近づいていき、座り込んだままの彼の頬をあらんかぎりの力で殴りつけた。


 肉と肉がぶつかる、鈍い音が響き渡る。思いの他殴った手が痛くなって、エボニーは顔をしかめて右手をゆっくりと振った。御影は顔を左に背けた状態のまま、無言で段ボール箱の上に座っていた。


「ぐ、グーですか」


 後ろから銀髪の引きつった声が聞こえてきて、一瞬我に返りかけたが、女性らしさとかはこの際どうでもいい。スカートよりもジーンズの方が好きになってしまった時点で色々と諦めた。


「人のことを散々利用してくれたんだから、これくらいは当然よね」


「……」


「ああそう。そこで黙るんだ。アンタ本当に馬鹿よね、昔から。何にショックを受けたのか知らないけど、この私が会いに来たんだから、ちゃんと顔を上げなさいよ」


「…………」


 そこで御影奏多は、ようやく自分が殴られたことに気がついたかのように身動きすると、左手で頬を触り、一瞬顔を引きつらせた。


「何すんだ、いきなり」


 ……話の半分も聞いていなかった。


「そうですかそうですか! この唯我独尊傍若無人男! あんたなんかもう一生結婚できないわよ! 六十過ぎで寂しく孤独死、ああかわいそうに!」


「……なんか昔、似たことを言われた気がするな」


 御影はそう言って、思わずといった感じの苦笑をこぼした。彼の心からの笑い声を聞いたのはいつぶりかと、ふと思った。


 少し冷え込んだ夜の空気が、倉庫の出入り口から吹き込んでくる。扉のわきに寄りかかった銀髪の女は、視線を外へと向けたまま沈黙を保っていた。



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