第三章 暗転 5-1



5-1



 時刻は、午後十一時少し前。

 中央エリアの、さらに中心に位置する五×五ブロックは、いつにもましてその活動を活発なものとしていた。避難勧告が出されてから、約五時間。住民の避難はほぼ完了し、治安維持隊の何割かは、今なおそのブロックに残る住民を外に追い立てる作業に奔走している。


 報道機関もまた全てシャットアウト。その事実に、ネットの世界は一層加熱。誰もが混乱の最中にあり、何とか情報を手に入れようと、誤報とデマで溢れかえる掲示板等を検索してしまっていた。


 それゆえに、外にいる誰もが、外に漏れれば治安維持隊が弾劾されかねないその情報を手にすることはできていなかった。


「うっわ、何だあれ」


 学生警備隊長、ジミー・ディランは、変わり果てた公理議事堂の姿に、引きつった声を上げた。より正確を期すならば、政治の象徴たる議事堂の姿は、外からはまったく見えない状態になっていた。


 敷地を囲む、二重三重のバリケード。東西南北に防護服で身を固めた治安維持隊隊員が千人単位で配置され、ライオットシールドで隙間なく議事堂を囲っている。人どころか、ネズミ一匹通ることすらかなわないだろう。


「いやさあ。さすがにやりすぎじゃない、これ?」


「それだけの事態だってことだろ。ああ嫌だ。ばれたら死刑台行き確定だ」


 頭を抱えてしゃがみこんでいたティモ・ルーベンスは、ジミーの顔を見上げて言った。


「俺にできるのはここまでだ。あのお嬢さんが、うまくやってくれるといいんだが」


「うまくやれると僕は信じているよ。エボちゃんの頭がいいことくらいはわかるだろ?」


「俺が知るか。だが、お前がそう言うならそうなんだろうよ。きっと」


 車道がスポットライトで照らし出され、治安維持隊のほぼ全隊員が四.五キロ四方の区画に集結し、昼間にも増してにぎやかなことになってきている。ある意味で言えば、あのアウタージェイル掃討作戦をも凌駕する大事件に発展しつつあった。


 通信の不調を理由にサボタージュと洒落込むジミーは、煙草を口にくわえると、ライターで火をつけた。その先から立ち上る紫煙をぼんやりと目で追いながら、ティモ・ルーベンスが疲弊しきった声で呟くように言った。


「信じられるか? これ、子供二人を捕縛するためのものなんだぜ? 世の中狂ってるよな」


「さあてね。狂ってるのは世の中か、治安維持隊という組織か。はたまた、ちょっとした反逆行為をしちゃった僕たち自身なのか。わかったものじゃないよ」


「違いねえ。ああもう、嫌だね歳を取るのは。ろくなこと考えなくなる」


 二人の乾いた笑い声が、夜の街に瞬間、響き渡る。しかしそれもまた、絶え間ない喧噪に呑み込まれて消えてしまう。


 何人もの隊員、車両が二人の前を行き来していく。ジミーはふと、煙草の半分以上が灰になっていることに気がつき、苦笑しながら排水溝へとその灰を落とした。


「いつだって、何かを変えられるのは大馬鹿者だと相場が決まっている。なら僕たち大人は、ただ黙って、それを見届けようじゃないか」


 全てを彼らに託すのは、もしかしたら一応軍人である身としては失格なのかもわからない。だが、自分は一応彼らの教師のような立場でもある。


 教育の理念か。軍部への忠誠か。どちらをとっても葛藤することは避けられないだろう。そして悲しいことに、心身共に捧げるには、どちらも中身がない張りぼての代物だった。


 何が正しくて、何が間違いとなるのか。その答えはきっと、時間だけが証明できる。


「僕たちは今日、もしかしたら、歴史が動く瞬間を目撃できるかもしれないね」



  ※  ※  ※  ※  ※



 中央エリアにいた治安維持隊隊員が続々とその中心地に集結するなか、学生警備副隊長であるエボニー・アレインは、それとは逆方向へとバイクを走らせていた。


 今いる場所は、エボニーも昔、市内の巡回で通ったことがある。もともと寂しい印象の通りではあったが、夜中であることを考慮しても、不自然なほど人気が無い。避難勧告が無くとも、非常事態宣言が出されている最中に出歩くような馬鹿はさすがにいないようだった。


 おかげで、ホログラムの地図を出しながらの運転でも事故を起こせそうにない。それを幸いとして、エボニーはウィンドウに表示された目的地へと、規定速度を遥かに超える形で向かうことができていた。


 何回目かの十字路を、右に曲がる。どうやら会社の倉庫らしき建物が見えてきたところで、エボニーは予想外の光景に眉をひそめた。


 道路の真ん中に、白銀の髪をした女性が立っている。控えめに言ってもかなりの美人だ。エボニーがバイクを停めると、彼女はあたかも夜の散歩道を歩くかのようにゆったりとした足取りでこちらに近づき、敵意のまったく感じられない気さくな調子で話しかけてきた。


「夜分遅くにお疲れ様、エボニー・アレイン。御影奏多に会いに来たのだろう?」


「あなたは?」


 見ず知らずの相手に名前を知られているどころか、目的まで悟らされていることに戦慄しながらも、エボニーは目つきを鋭い物にして、バイクから降り一歩足を踏み出した。


「御影奏多の味方であり、君たち治安維持隊の敵だよ。少なくとも今はね。それで、お嬢さん? おそらくは、彼のアカウントナンバーは、もうすぐ治安維持隊に知られてしまうのだろう? お喋りをしたいのなら、少し急がないとね」


「……」


 彼女の言う通りだった。エボニーは履歴に残っていた御影のアカウントナンバーをかつて情報管理局に所属していたというルーベンスに伝え、それを使い彼が御影の位置を元同僚の人間に調べさせてくれた。だが、情報管理局がその番号が誰の者かをたずねてくるのは必然だ。情報の錯綜という言い訳である程度の時間稼ぎはしてくれているだろうが、もう時間はほとんどない。


 自分が御影奏多と顔を合わせる機会は、これが最後かもわからない。この女性は何者なのかなどといった多少の疑問は無視してでも、彼に会いに行くべきだった。



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