第三章 暗転 4-4



4-4



 絶対に無理だ。そんなことは、有り得ない。


 コンピューターのできることは、『記憶する』ことだけだ。膨大な数の失敗から、一の成功を記憶する。それによって、同じ問題に直面した時に、一瞬で解決できるようになる。ただ、それだけのはずだった。


 そもそも、有機的な現象を無機物で再現できるはずがない。コンピューターに有機物が含まれる可能性があるとかいう難癖は、この際一切無視だ無視。


『さすがにそれはないよ。人間を作るには人間を使うしかない。それは、今も昔も変わらない。精神粒子を動かすことには成功した。だが、それで世界を改変することは叶わなかった。君が言ったように、機械には心が無かったからだ』


「いや、待てよ。それって……それってつまりは、世界以外の何かは変えられたってことだよな? そして世界とは、人間が観測するものだ。まさか……まさか!」


『その通りだ。人類は、機械に精神粒子を操らせることにより、人類を変えることに成功した』


 人間の思考に反応して、精神粒子が運動する。それが、一方向の関係ではないとしたら? 精神粒子の動きに合わせて、人の脳が変化するとしたらどうなる?


 人は人とコミュニケーションを取ることで、考えを変えていく。それが実際に、科学的な反応の一つとして行われているのだとしたら?


『こうして、神が誕生した。人類よ、かくあれ。コンピューターの画面に並ぶ文字列が、人の在り方を定義する時代が到来したんだ。彼らは、自らが生み出した神を、こう名付けた。世界の平穏を約束せし者。調停神、メディエイターとね』


「神居に安置された、超能力者の選定に使われるメディエイターが、人工の神……?」


『メディエイターによる精神操作は、現在進行形で行われているとも。たとえば、このホログラムによる通信。実際には、ホログラムなんてものはない。メディエイターの手で、そこに映像があると誤認させられているんだ』


「あるいは、エリアの条件設定。建物の扉が、施錠の設定をするだけで開かなくなるのは、開かないと思い込ませられるから?」


『全人類とメディエイターの間に、パスのようなものがつながっているからこそ、アカウントナンバーにより個人の居場所を特定することすら可能となっているんだよ。ホログラム通信もこのパスを利用しているから、手順簡略化のため番号が通信にまで使われているというわけだ」


 全人類の感覚、行動が支配された世界。にわかには信じがたいように思われるが、人類は既に、第三次世界大戦前にその世界を実現している。


 コンピューターの開発と共に誕生した、情報社会。電気という魔法を使い、端末を手にした人間は、常に個人情報を世界へと公開して生きてきた。


 人が日々量産する情報の記録はビックデータとして蓄積され、その傾向により、個人の思想、言動をある程度特定することまでが可能となっていた世界がかつて誕生し、今もそのまま生き続けている。規模が違うだけで、今更驚くべきことではないのかもしれない。


「ならば、あの女は……メディエイターの支配から、外れた存在だっていうのか?」


 ノゾムにはホログラムの地図を見ることができなかった。なぜなら、そこには何も存在しないと、彼女だけが理解できていたからだ。


 朝、ノゾムを見つける前に、不自然な鍵のかかり方をしていた扉。ノゾムは一度、鍵のかかってないドアを開けて外に出たのだ。その後、ドアノブを動かせなかった御影が間違いだった。


『彼女はメディエイターの精神操作を受けていない、唯一の人間なんだよ。だからこそ、異常を操る超能力者にとって、彼女は天敵なんだ。日中、彼女はずっと眠りについていただろう? あれはこちらで遅効性の眠り薬を仕込んでおいたからだよ。できれば彼女が眠っているうちに、ことを済ませたかったんだけどね』


「……それであの馬鹿、あれだけ頭をぶつけても目を覚まさなかったのか。眠りに落ちたときも突然だったし。というか、この件の早期解決とか、相当な無茶だったって自覚はあんの?」


『正直に言うと、彼女を保護しようとすることに、治安維持隊がここまで苛烈な反応を見せるとは思っていなかった。そこは申し訳なく思っているよ』


「謝ってすむなら治安維持隊はいらねえよ。いや、その治安維持隊に追われてるんだけど」


 知らないうちに犯罪者にされている恐怖を、まさか現実に体験するとは思っていなかった。どうしてくれるんだ、ほんと。人生返せ。


『ボクシの言葉通り、彼女は金堂真が『制作』した、対超能力者を想定した人間兵器だ。いったいどのような手段を使って、その子をメディエイターの監視下から隠したのか。どんな思いで、自分の娘を世界一孤独な少女に成長させたのか。その一切が不明だ。まあ、どうやって作ったかについては、だいたい見当がつくけどね』


「例えば、どんなものだ?」


『エイジイメイジアの外、メディエイターが精神粒子を観測できない場所で、出産、子育てをさせること』


「人類がいない、放射能やら未知のウイルスやらで汚染された土地でか? もしそうだとしたら、金堂真は親として失格だな。味方巻き込んで自爆した時点で、人間としても失格だが」


 さぞ愉快な幼年時代を過ごしたことだろう。金堂真の方はエイジイメイジアでせっせと反社会活動に勤しんでいただろうから、彼女の周りには母親、ないしアウタージェイルの関係者しかいなかったに違いない。


 同年代の友人などいるはずもない。ノゾムの精神年齢が異常に幼く、傍若無人ここに極まれりの天然ボケをかましていたのは、想像したより深刻な理由によるものかもしれなかった。


『七年前、アウタージェイルが壊滅したときに、彼女は治安維持隊の手で殺されるはずだった。それを精神病院に閉じ込め無害にすることで、何とか生きながらえさせることに成功していた。が、治安維持隊の連中は、ついに彼女の殺害を決定した。許すわけにはいかない』


「人道的な理由で、か?」


『人道的な理由でだ。笑うかい?』


「笑わねえよ。笑えるわけがねえだろ。もしそれが、本当ならな」


『…………』


 饒舌だったホログラムウィンドウが急に黙り込んだのを鼻で笑い、御影は畳まれた状態のまま放置していたパーカーを手に取ると、上に羽織る。空気がだんだんと冷え込んでいるのを感じる。もう深夜に近い時間かもしれない。


 どうせ、ノゾムが今まで生きながらえてきたのも、治安維持隊と公理評議会の権力闘争によるものだろう。全てをひっくり返すカードとして、評議会はノゾムに目をつけていた。それを奪う前に治安維持隊に殺されそうになって、焦っている。反吐が出そうなほどに単純だ。


「それで?」


『ん?』


「それで、と聞いたんだ。まさか、話はここで終わりとか言わねえよな?」


『……ッ! 御影君、まさか!』


 朝に通信を一度してから初めて、ルークは目に見える形で狼狽していた。そのことに暗い愉悦を感じる御影に、彼は慌てふためいた様子で言った。


『それは駄目だ、御影君! そこから先は、駄目だ! 今回の件には関係ない!』


「だからどうした。この際だ。隠しごとは無しにしようぜ?」


『君のためを思って言っているんだ!』


 映像の中で、ルークの拳が机に強く叩きつけられた。その振動が、こちらまで伝わってきているかのような、そんな錯覚に襲われる。


「まだあるんだろ、裏が! 全人類の精神粒子を操作して、やったことが『脳を作り変える』だけってのはないだろう! まだ説明していないことがあるんじゃないのか!」


『その隠された事実に、君が耐えられないと言っているんだ! これ以上は限界だ!』


 少し考えれば、ルークの説明に穴があることは容易にわかる。この男は明らかに、御影のかねてからの疑問に回答することを避けていた。


「話せ、支配者!」


 超能力者、御影奏多は、隣の倉庫に自分の声が届く可能性も一切考慮することなく、七年前に『選ばれた』直後から抱き続けていた何かを憤怒に燃やして、ルークに向かい叫んだ。


「全人類の脳を均一化したのならば、全ての人間が超能力を使えるようにならないとおかしい! だが、現実は違う!」


 その叫びは、もしかしたら。


「超能力という絶望的な『格差』を生み出したものは、一体何なんだ!」


 他人の耳には、悲鳴のように聞こえていたかもしれなかった。



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