第三章 暗転 4-1



4-1



 夢を見ていた。


 草原。横たわる。上にはどこまでも広く青い空。胸が痛くなるほど美しい地平線が、御影奏多の視界に円を描く。


 手を伸ばせば掴めそうな場所に太陽はあるのに、その空には届きそうにもない。そうわかるたびに、目の奥が熱くなって、意味もなく叫びたくなる。そこに行かせてくれと。ここにいるのは、もういやだと。子供のように、駄々をこねたくなってくる。


 結局のところ、自分はずっと、あの空を追い求めていたのだ。穏やかな風が吹く草原で、ずっと、夢を見ていた。そう。見上げることしかしていなかったから、その自分だけの世界が夕日でだんだんと燃やし尽くされていくことに、最後まで気がつくことができなかったのだ。


 目が痛いと思うほどに赤々と輝きだしたその場所で、御影は使い古されたパイプ椅子に腰をかける。ひりつく喉の渇きに耐えつつ、自分は最後まで変わらないままだったという、自嘲の笑みを浮かべながら。


 ふと、頬に冷たい物を感じて、指で拭う。爪の先にこびりついたその輝きに、なぜだか何も見いだせず、戸惑いの感情を抱いたところで、その夢は終わる。


 今まで、何度も見てきた光景だった。きっとこれからも、自分はこの場所に戻ってくる。全てが変わっているのに、あまりにもその変化が遅くて、時が止まっているのかと錯覚してしまいそうなその世界で、ひたすらに無感動のままあり続けようとするのだろう。


 もっともそれは、この先の地獄を切り抜けられたら、という条件つきだったが。


 目を開ける。


 見知らぬ天井が、彼を迎える。


 御影は上半身の服を脱がされた状態で、段ボールを並べてその上からタオルをかけただけの、ベッドだかなんだかよくわからない場所に横になっていた。左肩を中心として体に巻かれた包帯に、そっと手を触れる。ぴくりと左腕が痙攣したような、そんな気がした。


「お、起きたな御影奏多君。気分はどうだい?」


 あの銀髪の女の声が聞こえてくる。


「最高だ。アルコールを胃にしこたまぶち込まれたくらい爽快な目覚めだな」


 すぐそばに座っていたボクシにそう憎まれ口をたたきながら、御影はゆっくりと上体を起こした。そこは倉庫の中のようで、そこらかしこに中身がぎっしりつまっていそうな段ボールが置かれている。ここが本当に倉庫だったらいい迷惑だなとまで考えたところで、今回自分が中央エリアに出した被害(全面封鎖&非常事態宣言)が思い出されて頭を抱えたくなった。


 ほんと、いいように神輿として担ぎ上げられるなど、どんな阿呆だと朝の自分をぶん殴りたくなる。昨日の夜についてはまだ仕方ないにしても、ノゾムがトウキョウ精神医療研究センターにいたと知った時点で疑うべきだった。あのノゾムを連れてきたヤンキーは『そこで見つけた』とか言っていたが、とんでもない。地図で見れば、あの場所と研究センターまでは三十キロ以上の距離があることは一目瞭然だったというのに。ヤンキーのカツアゲから始まった一連の事件すべてが、御影にフィクションの物語を信じ込ませるためのものだった。


 正直な話、今現在どういう状況なのかはだいたい推測することができる。ノゾムが只者ではないことは間違いないし、『金堂真の実の娘』という立場が問題をさらにややっこしくしている。治安維持隊は今更のようにノゾムを処分しようとし、公理評議会の方はノゾムを政治的なカードの一つとして手中に収めたいのだろう。だが手駒がないので、仕方なしにこの傭兵と協力し、自陣に超能力者を引き入れたと。そういうわけだ。……畜生め。


「おいおい、御影奏多。そんなに私を睨んでも、何もでないぜ? 僕はルークの依頼が面白そうだからのっかっただけだ。騙されたことに対する恨み辛みは全て彼に吐き出してくれ」


「うるさい、この妖怪一人称くるくる女。俺があの白づくめに問い詰めたいのは、また別の話だよ。つうか、クソアマはどこに行った?」


「あまりにもうるさかったから、となりの部屋に放り込んでおいた」


 あの女、騒がしさだけで妖怪をも打倒するのか。末恐ろしい存在だ。そうでなくても本気で恐ろしいが。


「対超能力者用人間兵器。それが、彼女の正体だ」


 ボクシは一言、そう言うと、ウインクと共に御影の方へと胸飾りのような何かを放り投げてきた。受けとると同時に、空中にホログラムウィンドウが出現する。


「私が言えるのはそこまでだよ。あとは、それでルークに直接聞くんだね。悪いけど、君の腕時計は足がつく前に処分させてもらった。データのバックアップは取っといたから安心しな」


「追手は? この場所は、安全なのか?」


「この場所が安全か否かと問われれば、否と答えるしかないけど、君の安全は保障しよう。探知されないことではなく、探知されたことを探知するのに特化した隠れ家だからね」


「探知されたことを探知する?」


「隠れてるときっていうのは、当たり前だけど、敵に見つかったときが一番危険だろう? もしそうなった場合は、すぐに逃げ出せるよう、いろいろ対策がしてあるのさ。例えば、治安維持隊のコンピューターにここの住所が打ち込まれた場合、即座に警報を鳴らすシステムとか」


 あんまりにもあんまりな話の内容に、御影はまじまじとボクシの顔を見つめてしまった。さらりと言ってくれたが、つまりはこの女、治安維持隊の所有するコンピューターをクラッキングしたばかりか、それを悟らせもしていないということになる。


 公理評議会自らが管理するデータとは言え、アカウントナンバーの入れ替えなどどうやったのかが疑問だったが、もしボクシの言うことがハッタリでないのなら、それもまた彼女の仕業だと考えて間違いないだろう。


「もうお前一人でどうにかなるんじゃね?」


「ああ、無理。それは無理だ。レイフが向こうについてる限り、それは不可能だろう」


「いや、確かに化け物みたいな奴だったが、想像するに、あの女は超能力の無効化、ないし、発動の阻害をすることができるんだろ? なら……」


「彼は超能力者である以上に、人間として優秀なのさ。私と同じでね。まあ、彼がいなくてもほぼ不可能だけど」


「……ああそうですか」


 つまりは、お前も一緒に働けと。そういうことか。それも、一番矢面に立つ形で。


 ボクシは倉庫の出入り口へと移動すると、御影の方を振り返って片目を瞑ってみせた。


「それでは御影君。世界の真実とやらに触れてきたまえ。僕は表向き知ってはいけないことになっているから、となりの倉庫であの子と少し遊んでくるよ」


「表向きはって、もう知っているのか?」


「知っているよ。私は人間を極めし人間だ。人間が知りえることの全てを、僕は知っているとも。当然のことながら、君の疑問が、彼女の正体に関する問題を超えたものであることも知っているよ。僕は君であり、君は私だからね」



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