第三章 暗転 2-2
2-2
「御影! 御影!」
「……」
「なんでこんなになるまで戦ったの! 大馬鹿じゃん!」
この女、どうやら自分が出てきてしまったことで、『こんなになるまで戦った』ことの全てが無意味になったという自覚がないらしい。
肉体的な傷やら精神的な傷やらでもはや喋る気力もなく、虚ろな目をして座り込む御影の前で、ノゾムは強く唇を結んだ。
勢いよく立ち上がり、腰に左手をあてて経緯を見守っていた超越者から、御影を守ろうとするかのように、両手を広げて敢然と胸を張った。
というか、本気で御影を庇う気らしい。あれほど守られる側だと説明したのにも関わらずこれだ。正直、悲嘆を通り越して呆れてしまう。
「……興味深いな」
超越者、レイフ・クリケットは、眉一つ動かさずに、恐怖に全身を震わせながらもその場に立ち続けるノゾムに語りかけた。
「わかっているのか? 貴様がこの場に出てきたことで、その男がなしたことの全てが、水泡に帰したということを」
「……」
「自らが庇護を受けるべき立場だと、わかっていたはずだろう。数多のフェアリーテイルが証明している通りだ。姫に、竜は殺せない」
「……御影を、殺さないで」
「愚か者。貴様が今一番になすべきは、自らの命乞いだ」
敵であるはずの人間からのもっともすぎる指摘に、ノゾムの肩が揺れた。
恐怖を感じていないはずがない。畏怖を覚えていないはずがない。
そもそも彼女は、七年間の間ずっと、箱庭で過ごしてきたのだ。外の世界は憧れであったかもしれないが、それ以上に危険な場所だと本能的に理解しているだろう。
「私には貴様の感情が理解できない。そして私は、人間の感情というものに最大限の重きを置く。ゆえに暫し、私は自身の責務を忘れよう」
完全になめられている。この隙を利用して何かできればいいのだが……生憎と向こうも、こちらが万事休すだとわかっているからこそのこの対応なのだろう。
「多弁は身を滅ぼすと言うが……話してみろ、金堂真の娘。貴様はなぜ、そこに立っている」
まったくもって、この男の言うとおりだ。
御影が彼女を守るのは義務だとしても、その逆はありえない。逃げていい。見捨てていい。むしろそれを、御影は望んでいた。
わかっていたはずだ。常におちゃらけ、ふざけていたが、ノゾムが聡いことはわかっていた。彼女にはただ、教育と情報が与えられていなかった。それだけだ。
自分の安全を最優先にすることが肝要だと、理解していただろう。それなのになぜそこに立つ。なぜ、抗おうとする。負けがわかっていてなお、無謀にも自分を守ろうとして……。
「初めてだった!」
「……」
「ちゃんと向かい合ってくれた人は、御影が初めてだった!」
……何を、言っているのか。
ごまかした。有耶無耶にした。他人の問題を自分のものとしてしまうことを恐れて、当たり障りのない、距離を取るためだけの言葉しか用いなかった。
他人と本気で向かい合ったことなど、人生で一度もない。
「かわいそうだと言わなかったもん!」
それは、無責任に相手をあわれむ連中を、御影が好んでいなかっただけだ。
「話を、ちゃんと聞いてくれたもん!」
状況確認のために必要だからやったまでだ。だいたい、奴隷じゃあるまいし、話し相手くらい今までもいただろう。
「みんな話すのを嫌がるんだ! 仕事だとしか思っていなかった! 笑ってくれた! 耳を傾けてくれた! 受け答えをしてくれた! でも全部、中身がなかった!」
ああ、そうだろう。テロ組織にいた者の娘なんだ。そういう対応をして当たり前だ。そして、子供は大人の感情に対して敏感だ。
だから、御影もまた、その『病院』にいた者と同じだと……。
「違ったもん!」
違わないだろう。同じだ。同じ人間だ。特別じゃない。
「たまにしか見せない微笑みも、話を聞くときの沈黙も、突き放すような言葉も……」
……やめろ。
「本物だってわかった! だって、今まで嘘しか見てこなかったから!」
……やめてくれ。
「隣にいてくれたんだ! だから……だから!」
これ以上、幻想を語るな。儚い夢を見るな。御影奏多という人間を、理想の枠に閉じ込めようとするな。戦闘のための人間兵器として、自己を確立させてくれ。
現実も理想もいつだって、こちらの期待を裏切るものだから。
御影奏多が特別なのは、超能力者であること。その、ただ一点にすぎないのだから。
ノゾムの背中が、傾いていく。彼女は俯き、道路に引かれた白線の上に散った御影の血を見つめて、両手で自らの肩を抱きしめる。
「お願いだから……もう、一人にしないで」
いつだって人は、孤独に生きていくしかない。本当の意味で自らを理解できるのは自分しかおらず、そしてその自分すら持て余すという事実があるだけだ。
しかし、どうなのだろう。彼女の主張が間違いである以上、自分の思想が正しいと、どうして言い切れるのか。諦めだけが何もかもを支配すると、どうして達観してしまえるのか。それは、傲慢というものではないか。
少なくとも一つ、はっきりと言えることは、この世界に『甘さ』は致命的だということだ。
「……なるほど、理解できないな。普遍的な解答を欲した私が、間違いだったようだ」
超越者が、動く。筒状の何かを強く握りしめ、右手を高々と掲げる。
「共感することなど私には不可能だが、感情という物を曝け出させた以上、私もそれに答えなくてはなるまい。たとえ私にとって、それが何の意味もない行為だとしてもだ」
このままでは、二人もろともに無駄死にする。
ならばせめて、彼女の必死の嘆願すらも体力回復のための時間稼ぎだったとわりきり、行動に移るべきだ。自分にできることなど、もうそれくらいしかないのだから。
たとえ体が動かなくとも、脳は働く。超能力は、イメージという本来現実に干渉しえない脳内の活動に形を与えたものだ。
まだ、御影は戦える。そして、その事実をレイフ・クリケットも理解している。そのうえで、ノゾムの発言を許した。だが、たとえ逆転の目がないのだとしても、最後まであがかない理由はない。現実というやつはいつだって、御影の想像を超えた場所にあった。ならば、こんなときくらい、自分に都合のいいように世界が動くことだってあるかもしれない。
能力用の回路を、脳内に張り巡らす。御影の粒子に、青の粒子が次から次へと出現する。その光にレイフが目を細め、応じる形で銀の輝きが彼の右手の先に集まっていく。
――こうして、御影奏多の見ていた『世界』は崩壊した。
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