第三章 暗転 2-1



2-1



 超越者。


 超能力者の中の超能力者であり、世の理をも超えてみせた、神に選ばれし八人の総称。


 序列七位と八位は研究を専門職としているものの、他六名は全員が治安維持隊に所属。文字通りの世界最高戦力であり、他すべての超能力者の力を統合しても彼らには遠く及ばないとされる、人間兵器を超越せし人間大量破壊兵器。


 曰く、凶悪犯罪者殺害のために、町一つを瓦礫の山にした。曰く、山中に隠れた敵をあぶり出すために、山を半分に切断した。曰く、仕事量を減らしたいがために、一夜にして犯罪組織の一角を解体した。前世界での核兵器に例えられるほどの抑止力であり、治安維持を超えた『戦争』における最終手段的な存在。


 それゆえに、彼らを動かすことができるのは、治安維持隊元帥のみという厳しい制約がある。


「待て! つまり、つまり……!」


 御影奏多がルークの依頼を引き受けたのは、一応の勝算があったことも理由の一つだ。たとえブレインハッカーが治安維持隊の半数を支配下におさめているのだとしても、頭であるレーガン元帥までは操れていない。だからこそ、敵は超越者を動かすことができないと確信できた。もし『本当に』隊を敵に回せと言われていたら、絶対に首を縦には振らなかっただろう。


 前提条件として、超越者が動くなどあってはならない。もし仮にレーガン元帥までが洗脳されているのだとしたら、それは治安維持隊全てが乗っ取られたことを意味する。つまりは、その部下であるルークが御影に救援を依頼するなど最初から不可能だったことになってしまう。


「お前は、ヴィクトリア・レーガン元帥の指示で、俺を捕らえにきたのか?」


「いや? 私がここにいるのは、いつも通りの独断専行だが?」


「独断専行? 超越者が? いや待て、じゃあお前は、ブレインハッカーとグル……」


「ブレインハッカー? これはまた、懐かしい通り名が出てきたな。そちらの異名はそれほど有名ではないと思っていたのだが。あの男は、現序列一位が粛清したはずだ」


「粛清? ……序列一位が、粛清しただって?」


 最初から、ブレインハッカーはこの世に存在していなかった?


 もしこの男の言葉を信用するならば、ルークが御影に嘘をついていたということになる。だが、敵であるレイフの言葉が真実である保証はどこにもない。いや、それを言うならば……ルークが御影奏多に語った内容もまた、信憑性が高いとは言い難い。


 客観的に考えれば、問題は実に単純となる。


 つまりは、『治安維持隊の半数が超能力で洗脳された』というルークの主張と、『御影奏多一個人がルークに騙されていた』という新たな予想の、どちらがより現実的かだ。


 そんなことはもはや、考えるまでもない。


「どうも認識の違いがあるようだが、そのようなことを気にかけている暇はない。貴様は、金堂真の娘を連れている超能力者で間違いないか?」


「……さあな」


 震える声でそう答えた途端、左肩に再びその『剣』がねじ込まれた。


 絞り出すような叫びが、中央エリアの裏通りにこだまする。銀の刃が宙へと掻き消えていく向こう側で、レイフ・クリケットはやれやれといった様子で首を振った。


「なるほど。典型的な、身の程を知らない子供というわけか。いや、けなしているわけではない。何も知らないからこそ、これだけのことができた……いや、できるのだからな」


 レイフは息も絶え絶えにもだえ苦しむ御影から目を離さないまま、右手を後方へと伸ばした。


 その瞬間、レイフの背中から少し離れた場所に巨大な鏡のようなものが出現し、刺される直前に御影が作りだした真空の刃が死角から襲ってきたのを完全に防ぎ切った。


「度胸があるのは認めよう。が、奇襲を企むなら、その目に宿す殺意を敵に悟らせないことだ」


 なけなしの反撃をこうもあっさりと防がれると、絶望を通り越して呆れるしかない。笑いなのだか悲鳴なのだかよくわからない喚き声を上げて地を這いずる御影の背に、相も変わらず憎々しいほどに落ち着き払った声が降ってきた。


「いかんな。私はどうも高飛車に出る悪癖がある。不快に思わせてしまいすまないな」


 ……確かに不快ではあるが、それは精神的にというよりは肉体的にだ。馬鹿なのかコイツ。


 上から目線も何も、この男は超越者としてこの世界に君臨する、最強最悪な人間兵器の一人だ。一連の攻防を通じてそれは文字通り骨の髄まで痛感させられたし、何よりこの男に関する噂はかねてから耳にしていた。


 レイフ・クリケット。戦闘系超越者で唯一『大量破壊』を不得意とし、周囲に無駄な被害を出すことが少ないため、超越者の中では最も現場に出る回数が多いのだという。しかしそれは決して、レイフが超越者として劣った存在であるということではない。出動する機会が多いということは、それだけの死線を潜り抜けてきたということにほかならず、事実上げた武功の数は他の超越者を圧倒しているのだという。


 超越者にしては珍しく、自分だけではなく周りの人間も傷つけない、守りの戦いを得意としていることから、将来有望な超能力者の現場教育を担当することが非常に多く、治安維持隊内部には彼を慕う人間がかなりいる。


 もっと簡単に説明してしまえば、ずぶの素人と共に戦場に送られても涼しい顔で任務をこなす化け物だということだ。最初から御影ごときに太刀打ちできるような相手ではなかった。


「やっぱ……すげえな、アンタ」


 御影は建物の壁に背中を預け、何とか上体を起こすと、淡い苦笑を浮かべてみせた。


「不沈艦の異名は伊達ではない、か。いやほんと……いろんな意味で参ったぜ」


「時間稼ぎだな。ターゲットの娘はこの近くにいるということか」


「…………」


 いや、本当に参った。腕があるくせして頭もいいと来た。


 正直言って、もう何をどうすればいいのかがさっぱりわからない。現状の打開策がまったくないこともそうだが、どうやら自分が『世紀の大犯罪者』に仕立て上げられたらしいと察した直後だ。何を信じて、どう行動すればいいのやら。


 結局のところ、自分はまたもや失敗したと、そういうことだ。何に、と聞かれたら、全てと答えるしかないほどに。考えてみれば、人生で自分の思い通りに物事が進んだことなど一度もなかった。道化としては一人前だが、そんなことを誇ってもまったくもって意味がない。


 だが確かに、御影が失敗から学ぶべきことはあった。原因を確かめ、二度と同じ過ちを繰り返さないこと。根拠の無い思い込みで、可能性を潰してしまわないようにすることだ。そして、この場に限って言えば、御影はまたもや『想定外』の出来事に足元をすくわれることになる。


「御影!」


 甲高い少女の声が耳朶を打ち、彼は大きく目を見開いた。


 眼球がぐるりと回転し、声の聞こえてきた方向へと視線が固定される。視界の中央では、白い入院服を着た少女が、泣きそうな顔をしてこちらを見つめていた。


『……この、馬鹿ッ!』


 泣きそうなのはこっちだ。これで、万が一の勝機も失ってしまった。戻ってこなかったら自分を捨てろとあれほど言い聞かせておいたのに、どうしてあの女は……。


『――ありがとう。やっぱり君は、優しい人だ』


 あの書斎で聞いた言葉が脳裏を掠め、御影は強く唇を噛んだ。最初から、あの女が救いようのないほど『優しい』人間であることはわかっていたはずだった。自分が戻らなければ、逆に彼女の方から探しに来ると予想できたはずなのに、どうして大丈夫だと思ってしまったのか。


 新たな乱入者の存在に、レイフ・クリケットは声の方向へと顔を向けた。予想外の事態だったのか、彼がいぶかし気に眉を顰めるのがわかった。


 当然のことではあるが、ノゾムに対して何の脅威も感じていないらしく、レイフは彼女が御影の元へと駆け寄る様子をただ傍観していた。



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