第三章 暗転 1-4



1-4



 中央エリアのとある大通りにて。


「何だって?」


 不規則に発生する暴風に混乱する隊員をまとめるべく奔走していたジミー・ディランは、ティモの叫びに首を傾げた。


「だから撤退だ、ジミー! AからC、1から3ブロックの人間は全員他の場所に至急移動!」


「どうしてだい? 何か非常事態でも……」


「やつらが出動した!」


 予想していた最悪のうち一つが実現したことによる驚愕により大きく目を見開くジミーに、ティモは焦りを隠そうともしないまま怒鳴りつけた。


「早くしろ! 最悪、このブロック一帯が全部吹っ飛ばされるかもしれないんだぞ!」



  ※  ※  ※  ※  ※



 御影奏多は半ば呆然自失の状態で、自らの体に突き刺さった『それ』を見つめていた。


 刃物、なのだろうか? それにしては妙に平たく、また光沢がある。いや、それどころの話ではない。今自分の体を貫いているその何かは、コピー用紙よりも薄く、鏡よりも輝いているように見えた。


 刀身の表面に映っている自分の呆けた顔を思考停止状態で眺めていた御影の目の前で、それは銀の光の粒と共に虚空へと消えていった。


 上に来ていた紺のジャケットが、だんだんと鮮やかな紅に染まっていく。その赤を目にした瞬間、遅まきながら痛みという名の信号が神経を通して脳内にしこたま流し込まれた。


 生まれて初めて、痛みという感覚が身体に備わっているのを知ったような気がした。


 それほどの、激甚な痛みだった。


 耳の中で混乱の嵐が轟々と渦巻いている。やたらと喉が渇いてくる。そこでやっと、自分が叫び声を上げて、左肩を右手で抱え蹲っているのに気がつく。


 喉奥から次から次へと零れ落ちる、嗚咽にも似た悲鳴が胸を震わす。心臓の鼓動に合わせて、精神の欠片が傷口から外へと零れ落ちていくかのような恐怖に襲われる。


 夕日に赤々と燃えるアスファルトの上を這いずり、頬が涙にぬれているのか、体内から沸き起こる熱に燃えているのか、それすらもわからないまま、欠片ほど残された理性を振り絞って、御影奏多は刃が伸びてきた方向を睨みつけた。


 その視線の十メートルほど先。とあるカフェのガラス窓の向こう側で、一人の男がティーカップを片手に持って席に座っていた。


「…………は?」


 あまりのことに、自分を苦しめていたはずの痛覚さえ一瞬忘却した。


 カフェのテーブルで、優雅にティータイムと洒落込んでいる男? 非常事態宣言が出されているこのときに? そしてあまつさえ、あの男が自分に傷をつけた張本人だというのか?


 それだけではない。それだけでは、すまされない。あの男の姿は、一高校生である御影ですら見覚えがある。あの独特の雰囲気とも合わせて考えると、まず間違いなく……。


 赤茶のくたびれた治安維持隊の制服に身を包んだその男は、カップの中身を呷り立ち上がった。少し猫背になって店内をのんびりと歩き、出入り口に取り付けられたベルを控えめに鳴らしながら、右手で円筒の形をした何かを弄びつつ外へと出てくる。


 瞬間、理性の箍が全てはじけ飛んだ。左下半身を苛む灼熱の痛みを無視して、その場に勢いよく立ち上がる。自分でもよくわからない、およそ人間の言葉とは思えない何かを吐き散らしながら、御影奏多は右手を持ち上げ、その男の方へと勢いよく振り下ろした。


 空気がうねり、大気がざわつく。青の粒子を纏う不可視の槍が二本、御影奏多の両脇を通り過ぎて彼の服をはためかせ、その男、レイフ・クリケットへと疾走し……。


 そして、そっくりそのまま跳ね返された。


 叫び声を上げる暇もなかった。御影奏多は、自らが生み出した風の奔流に押し流されて宙を舞い、通りの反対側にある建物の壁に叩き付けられた。


 衝撃に、意識が飛びかける。条件反射的に受身を取れたことにより何とか致命傷は免れたものの、受けたダメージは甚大で、彼は地上に崩れ落ちたまま身動き一つとれなくなっていた。


 明滅する視界。銀白に輝く光の粒子が降り注ぐ、その向こう側に、横たわっている自分の姿が見える。違う。あれは鏡だ。レイフ・クリケットが作り出した、鏡のような何かだ。


 少しだけ目を閉じ、そして開いたときには、その男は既に目の前に立っていて、じっとこちらのことを見下ろしていた。右手に握る円筒から伸びる極薄の刃が、首元にあてがわれている。御影はごくりと喉を鳴らして、口を開いた。


「な、何で……」


 聞いたこともないような情けない声が、止める間もなく零れ落ちていく。せめてもの抵抗にレイフのことを睨みつけようとしたが、そんなちっぽけな自尊心に倍する疑問が胸中を占めていて、結局戸惑いの視線を向けることしかできなかった。


「どうして……どうしてここで、超越者が出てくる!」


 御影奏多の叫び声に、レイフは少しだけ首を傾げると、感情というものを一切感じられない、無機質な声で答えた。


「どうして? 貴様こそ、治安維持隊を敵に回しておきながら、我々超越者が動かないとどうして信じることができた?」


「…………」


 疑問に疑問で返された、その瞬間に。


 御影奏多は、全ての前提が崩れ落ちていく音を聞いたような気がした。



  ※  ※  ※  ※  ※



 治安維持隊総本部、エンパイア・スカイタワーの最上階。

 正装への着替えを済ませた彼女、治安維持隊の頂点に君臨するヴィクトリア・レーガン元帥は、胸に元帥の徽章を取り付けて、円卓の席に腰を下ろした。


「……しかし悲しいかな。私の部下は、極めて優秀だ。ま、現場の人間に限るが」


 直属の部下であるザン・アッディーンがホログラムで次から次へと指示を出している様子に相好を崩しながら、彼女は手鏡を取り出し、服装に乱れている場所がないかチェックしていく。


「円卓だけが隊を動かしているなら、敵にも勝ち目があったかもしれないがな。正直、そろそろレイフあたりが見つけてそうだよなあ。アイツ、異常に鼻がいいから」



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