第一章 名もなき舞台の上で 4-1



4-1



 御影家敷地内の木立にて。

 つい先ほどまでカーテンの開いていた部屋に狙撃銃を向けていた男の通信機が、他の隊員の通信を受信し、電気信号をイヤホンで音へと変換して彼の鼓膜を揺らした。


『こちらアーミー6。全員に報告します。住人により、邸宅後ろ側にある窓が二つ開けられました。確証はありませんが、先ほどターゲットのいた部屋の窓を閉めていたことから鑑みるに、我々の存在に気がつき逃走経路を確保している可能性があります。どうぞ』


「マジで? あ、俺アーミー2だけど、じゃあ何? 俺のことその住人にばれてたの?」


『こちらアーミー1。アーミー2、頼むからもう少し緊張感を持ってくれ』


 ボスからの叱責に、彼、アーミー2は肩をすくめた。彼はボスならぬアーミー1とは長い付き合いだ。そうでなければ、もっときつい叱責をくらっていたことだろう。


『あくまで可能性というだけの話だ。だが、万が一に備える必用がある。全員気を引き締めろ。作戦の大筋に変更はない。アーミー3と4が、治安維持隊の人間としてあの家を訪問する。だがアーミー2。お前は、狙撃を前提に考えてくれ。ターゲットが玄関から出た場合はアーミー3と4が確保しろ。窓からの逃走を企てた場合には、邸宅後方のアーミー5、6が十字射撃で始末するんだ。いいな』


「……了解です、ボス」


 嫌な仕事になってきたと、彼は心中で舌打ちした。


 データが破壊されたどころか、そもそもデータがないターゲットの確保に今までにないほど手間取っている。普段ならアカウントナンバーを専用のコンピューターに打ち込むだけで対象の居場所を突き止められるのに、今回はシステムエラーが確認されてやっとの現場到着だ。


 どうにも、嫌な予感がする。数多の作戦を潜り抜けてきた彼は、その経験をもってしても抑えきれないほどの不安が胸の中を占めていくのを感じていた。



  ※  ※  ※  ※  ※



 御影の返答に、ルークは口をあんぐりと開けたまま、しばらく身動きしなかった。

 常に冷静さを保っていたルークがそんなことになっているのを見れて、至極満足気な笑みを浮かべる御影に対し、やっと衝撃から立ち直ったルークはゆっくりと首を振った。


『……どうして、引き受けてくれないのかな?』


「簡単な話だ。俺にメリットがない」


 御影奏多は階段の上で足を組むと、ホログラムウィンドウに人差し指を突きつけた。


「現実的に考えてだ。エイジイメイジア最大規模の軍隊である治安維持隊が、一応『高校生』である俺に助けを求めるなんてありえねえ。考えられる理由は一つ。事態はかなり深刻で、俺の手を借りねばならないほどに、治安維持隊が追い詰められているからだ」


 御影の指摘に黙り込むホログラムに対し、彼は続けて言う。


「つまり、お前らにはもう動かせる駒が存在しないと考えられる。おそらくは相当数の人間が洗脳され、治安維持隊の意思とは反する行動をとっているのだろう。そこに、ブレインハッカーが望まない指令を上から出してみろ。洗脳された奴と、まだ正常な奴との間で衝突が生じちまう。結果として、ブレインハッカーは正常な人間をも操ることに成功している。違うか?」


『……なるほど。君に隠し事をしても仕方がない、か』


 ルークは御影に一度頷いてみせた。


『末端の人間まで含めて、洗脳された人間は治安維持隊の半数以上。事実上、治安維持隊はブレインハッカーに乗っ取られた形だ』


「最悪の状況じゃねえか! 隊の他の精神系超能力者は何をしてた!」


 あまりのことに、御影は思わずホログラムに向かって怒鳴りつけてしまった。


「そんなの、俺に治安維持隊全部を相手しろと言ってるようなものじゃねえか。ふざけんじゃねえよ。そんな勝ち目の薄い賭けに、誰が乗れるかってんだ。いや、そもそも俺が得られる物がねえから、賭けにもなってねえ。だいたいなあ。あいつを人間扱いしてこなかった張本人が、今更あいつを助けろっつっても、説得力が欠片もねえんだよ」


 御影にばっさりとそう切り捨てられ、ルークは目を細めた。御影は見る者を底冷えさせるような極寒の視線をホログラムへと突き刺し、怒りを押し殺した低い声で続けた。


「さっきから聞いてれば、勝手なことを言いやがって。何様のつもりだ、てめえ。命令一つで俺がほいほい動くと思ったら、大間違いだっつうんだよ。ブレインハッカーとかいう大馬鹿者も含めて、お前らのそういう態度が、あの女をここまで追い詰めたんだ」


 この男は、御影が都合よく超能力者であったからこそ連絡してきたのだろう。そうでなければ、こちらに警告すらしてこなかったに違いない。御影はあらんかぎりの力で歯ぎしりすると、憎たらしいほどに表情を変えないルークを睨みつけた。


「てめえ、最低につまんねえよ。支配者気取りの偽善者が、この俺に指図するな」


『黙れ、御影奏多。子供が知った口をきくな』


 ぴしゃりとルークにそう言われて、御影は息を呑んだ。


 言葉が、喉の奥でつっかえてしまったかのように苦しくなる。無言でホログラムを睨み続ける御影に対し、ルークは少し頬を緩めた。


『と、言いたいところだが、君の言い分にも一理あることは認めざるをえないだろうね』


 意外に思って眉を上げた御影に、ルークは真剣味の感じられる口調で告げた。


『君の言う通りだ。我々治安維持隊が今まで間違い続けたことは、まごうことなき事実だろう。それでも、今彼女を助けたいと私が思っていることは信じてほしい』


「……だが」


『加えて、君は命令と受け取ったようだが、君に対する要望を、強制力のない『依頼』であると定義づけるものとする。私たちの意思に関係なく、彼女を助けるか否かの判断は君に任せよう。そして、君が見事彼女を守り切った暁には……』


 ルークは椅子に深々と腰かけると、いたずらな表情となって言った。


『君の第一高校への登校義務を、全面的に免除しようじゃないか』


「…………」


 予想外すぎるその言葉に、今度は御影が愕然と口を開ける番だった。


 いったいどこの世界に、自分の命よりも登校拒否を優先する者がいるというのか。もし仮にそれを受け入れたとしたら……間違いなく、御影は世界一の大馬鹿者ということになるだろう。


 ルークは微笑みながら、御影に対して両手を広げてみせた。


『さあ、御影奏多。我々のできる譲歩はここまでなのだが、どうだい? 正義の味方として、彼女を助けようという気にはなれたかい?』


「……馬鹿じゃねえの、お前?」


 笑いを押さえることができなかった。


 首元をくすぐられているかのように、腹の底から笑いがこみあげてくる。あまりの興奮に、御影は全身に鳥肌が立っていく様子までをも知覚することができた。


 こんなことになるとは、正直想定していなかった。常識で考えれば、絶対にありえない。期待外れであるからこそ、最高に期待通りの提案だった。


「何だそりゃ! クソアマといい、お前といい、そろいもそろって馬鹿すぎるだろ! いいね、最高におもしれえぞこれ!」


 御影は両足を勢いよく振り下ろすと、その反動で飛び上がり、階段前の床へと着地した。


「いいだろう。俺は俺のために、お前の駒としてあの女を助けてやる」


 御影はウィンドウに向かい、口角を限界まで吊り上げた、獰猛な笑みを浮かべてみせた。


「だがな。命をかけてまであいつを救った後に、あいつは『病院』に逆戻りなんていう未来は御免だぜ。やるからには、ハッピーエンドを用意してもらおうか」


『当然だ、約束しよう。組織に属する者としては失格だが、それでも彼女を本当の意味で救うべく、努力することをここに誓う』


「誓う、ねえ。どうも胡散臭く聞こえるぜ、支配者さん」


 御影はそう皮肉を返しながらも、ホログラムから正面玄関へと視線を移した。


 まずは前哨戦。相手に超能力者がいるかどうかまではわからないが、それでも舐めてかかれるわけがない。第一高校校内でどれだけ高い評価を受けていようが、御影奏多は実戦経験のないひよっこだ。人の体は脆く、あっさりと崩壊し、最悪活動を停止する。最初から全力で、かつ慎重に事を進めなくてはならない。


 対峙した相手を見下すな。自分と同等、またはそれ以上の年月を重ねた同じ人間として扱い、そのうえで、第一高校最強の人間兵器として君臨しろ。


 ――自分はもう、七年前とは違うのだから。


「それじゃ、始めるとしますか」



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