第一章 名もなき舞台の上で 4-2



4-2



 アーミー3とアーミー4が噴水の傍を通り過ぎ、玄関前にたどり着いたときだった。突如として、生物としての根源的な恐怖を感じ、アーミー2の全身にぞわりと寒気が走っていった。


 隠れていなくてはならないという意識が脳内から弾き飛ばされ、男は反射的に立ち上がり、あたりを見渡した。そこで彼は、先ほどまでとは一変してしまった周囲の状況に瞠目した。


 林の中に。家の外に。道の上に。彼らがいる空間のすべてに。


 青の雪が、舞い落ちる。


 幾つもの、幾千もの光の粒子が出現していた。粒の一つ一つが埃ほどの大きさながら、しっかりと青白い輝きを放っている。


 その大量の粒子たちが、空中を漂い、流れ、他と合わさり、光の筋となって辺り一帯を駆け巡る。世界が、あたかも天の川に呑み込まれてしまったかのような様相になっていた。


 その光は、星屑が瞬くように、消えては再出現するのを繰り返している。


「……まずい!」


 想定しうる限り最悪の展開に、彼はほぞを噛んだ。


 超能力発動時の過剰光。ありとあらゆる奇跡を意図的に起こす超能力者だが、しかし、精神粒子が持つ力を十全に使うことはできていない。超能力を行使するには多かれ少なかれ必ず無駄が生じ、余ったエネルギーが光の粒子として現れる現象を過剰光という。


 相当熟練した者が超能力を発動した場合でも過剰光は生じてしまうため、逆に過剰光の量により、その者が行使する力の大きさをはかることができる。しかしこれは……。


「冗談だろ? こんな規模の今まで見たことがねえぞ!」


 御影のいる邸宅を中心として、半径五百メートルを超える空間のすべてに、青の粒子が出現しては消滅する。そのたびに、空気の、気体の、大気の流れが変化していった。


 そよ風しかなかった空間の均衡が突如として破られ、石が崖を転げ落ちていくように、次々と強風、暴風が生まれていく。それはばらばらに吹きつけるのではなく、あたかも生き物のように一定の規則をもって動き、一つに束ねられていった。


 気流の集合体が進む先々で、木々の枝、幹が危険なほど撓み、軋み、葉や小枝、砂利や土煙が風の本流に巻き込まれて飛んでいく。そしてまた、大気が不安定になることによって新たなる風が生まれては、透明な化け物へと吸収されていくのを繰り返していた。


 凄まじい勢いで宙を翔る空気の槍が、呆然と立ち尽くした彼の体に後ろから突き刺さった。


 背中からトラックにぶつかられたかのような強い衝撃が襲い掛かる。彼は一瞬で宙へと吹き飛ばされ、林の外へと転がっていった。


 正門から邸宅へと続く道で砂利をまき散らしながら、凄まじい勢いで地面を転がる。やっとのことで静止し、大の字になって倒れ伏せたときには、彼の意識は完全に奪われていた。


 御影が能力を発動してから数秒もたたないうちに見えない怪物と化した気体の群れは、瞬く間もなく庭のあちらこちらに隠れた隊員たちを食らっていった。木の上から叩き落とし、草むらから宙へと跳ね上げ、一瞬で彼らの意識を奪っていく。


 合わせて四名を戦闘不能にしたところで、風の束が二つに分かれ、御影が先ほど開けておいた窓から邸宅内部へと侵入した。笛のような甲高い叫び声をあげながら、窓枠をがたつかせて強引に室内へと入り込み、中央階段前に佇む御影の両脇を通り抜ける。猫っ毛であることもあいまって、彼の黒髪が一瞬で逆立ち、身に着けていた紺のパーカーが大きくはためいた。


 不可視の巨大な槍が二本、大扉の両側に突き刺さり、凄まじい勢いで扉が開かれた。


 御影の支配から外れた、常識の範囲内にある強風の中、急転しすぎな事態についていけずに、呆然自失で玄関前に突っ立っていた二人の体に、内側からありえない速度で開かれた大扉の板がめりこんだ。


 二人は砲弾のようなスピードで宙を舞い、空中で失神してしまった直後に、噴水のため池に頭から突っ込んだ。盛大な水しぶきが上がり、水滴が太陽光を吸い込み輝きながら風に乗り、青空へとかけのぼった。


「……はい、おしまい」


 御影がそう呟くと同時に、青い光の粒子が今度こそ再出現することなく消えていき、もはや凶器と化していた気体が彼の操作から解放されて、またてんでばらばらに動き始めた。


 彼の能力の余波で、邸宅周辺はしばらくの間、あたかも温帯低気圧が訪れているかのように荒れに荒れていたが、やがてそれも収まり、徐々に元の状態へと戻っていった。


『…………え? おしまい?』


 強風で少し乱れてしまった髪の毛を、もともと癖が少ないこともあって、手櫛であっさりと直していく御影に、ホログラムウィンドウのルークが訝しげに問いかけてきた。


『君が能力を発動してから、まだ十秒ほどしかたってないじゃないか。しかも君、その場から一歩も動いてないぞ。こちらからは、なんだかいい感じに君の髪の毛が逆立って、なにやら大きな音がしていたことしかわからないのだが、一体何が終わったと……』


「だから、庭にいたお客様方を片づけたぞ。能力で。全員」


 沈黙が、流れた。


 ルークはおよそ十秒の間、無表情のまま黙して何も言わなかったが、やがて、唐辛子を百本ほど直接胃袋に放り込まれたような、御影が一度彼の依頼を断ったときにもましてけったいな顔になって首を振った。


『いや、だって君、動いてないじゃないか!』


「あいつらプロだし、家の外に出たら危ないじゃねえか」


『十秒だぞ十秒! 君の言う通り、彼らは戦闘のプロなんだぞ!』


「いや、だから本気出したんだよ。まあ不意をついた形だし、こんなもんじゃねえの」


『全員か? 全員やったのか!』


「人聞きの悪いこと言うな。普通に気絶させたんだよ。後遺症とかが残らなきゃいいんだが」


 敵の状態まで気にする、完璧な回答だった。


 そして再び、沈黙な流れた。


 さきほど大の男を吹き飛ばした扉の片方が、ぎしりとうめき声を上げて、扉枠から外れて倒れ、それなりに大きな音を響かせた。


「ありゃ、困ったな。年代物なのに」


 御影は顔をしかめて舌打ちした。ホログラムは何も言わずに、彼の横に浮かんでいた。


 扉が片方なくなってしまった玄関からそよ風が吹き込み、御影の黒髪を優しく揺らす。


 御影奏多は踵を返し、カーテンにより外の様子を確認できなかっただろうノゾムがいる部屋に戻るべく、階段を昇って行った。




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