第一章 名もなき舞台の上で 3-2



3-2



 頭を打ったのか、ノゾムはしばらくの間ぼんやりとした様子で御影のことを見つめていた。やがて現実世界への帰還を果たしたのか、ノゾムは大慌てで両手をばたつかせ、耳が痛くなるほどの大声で叫んできた。


「待って、御影さん! こんなことになったのには深いわけが……」


「考えなしに本を棚に戻していたせいでスペースがなくなり、椅子に乗って上の方の段に適当に積んでいたら、本の山のバランスが崩れて巻き込まれ、そのまま椅子から転げ落ちたんだろ」


「エスパー!? 超能力ってすごいね!」


「俺は精神系能力者じゃねえし、こんなん誰にでもわかるわ」


 御影は彼女の首から手を放すと、絨毯の上に片膝をついて、散乱した本の群れをざっと確認していった。

 ぱっと見た感じでは、ページが折れるなどしてしまった物はないようだった。御影は近くに落ちていた『バレンタインの逆襲』などといういかにもなタイトルの本を手に取ると、隣にあった本棚の適当な位置にしまった。


「……ごめんなさい」


 後ろからノゾムのか細い声が聞こえてくる。意外なことに、少し落ち込んでいる声だった。

 どうやら彼女の脳内にも、『反省』という言葉は存在したらしい。欲を言えばもっと別なことを反省していただきたかったが、そこまで求めてもしかたがないだろう。


「別に、謝る必要なんてねえよ。これくらい今更だ」


 カーテンの隙間から差し込む光の中で、埃がちらちらと瞬き揺れている。御影はその場に立ち上がると、膝を何度かはたいた。


「電話の相手を待たせてるから、俺は外に出るぞ。片づけはもういい。暇なら適当な本を読んで待ってろ」


 座り込んだノゾムの横をそのまま足早に通り過ぎようとしたところで、御影はふと左腕に抵抗を感じて、歩みを止めた。

 ノゾムの右手が、パーカーの袖を掴んでいる。一瞬振り払ってやろうかと考えたが、さすがに大人げないと思いなおした。


「ごめんね。君にいろいろと迷惑かけて」


「おいおい。なにいきなり殊勝になってんだ、気持ち悪い」


「本当に悪いと思っているんだよ、ノゾムは。それから、さっき聞こうとしたことを、ここで言わせてもらうけどさ」


 ノゾムは服を掴む手を握りしめて、パーカーの紺の布地にしわをよせた。


「君はどうして、ノゾムのことをかわいそうだと言わないの?」


 御影はゆっくりと、彼女の方へと視線を落とした。

 うつむいて影となっている彼女の顔の前で、鳶の髪が揺れているのが見えた。


「病院では、みんないつもノゾムのことをかわいそうだと言っていたよ。職員さんは、頭の病気なんてかわいそうだねって言って、アリスさんはこんなところに閉じ込められてかわいそうだって言った。みんなそうだったんだよ」


 御影のことを引き留めようとする力が、少し強くなる。不意に、その手を振り払い、部屋の外へと逃げ出してしまいたいという衝動を覚えて、御影は強く唇を噛みしめた。


「だけど君は、私に対して何も言わない。それはどうして?」


「…………」


 御影は無言のまま右手をのばすと、袖を掴み続ける彼女の指をほどいていった。

 手は思いのほか簡単に外れた。ノゾムの腕は一瞬何かを求めるように二人の間をさまよい、やがて力なく落下して、彼女の横で所在なさげに揺れた。


 彼はパーカーのポケットに手を突っ込むと、出口の方へと歩いていった。が、御影は途中で足を止めると、少しだけ首を後ろに回し、彼女の姿を視界に映すことなく告げた。


「なあ、クソアマ。お前は、自分がかわいそうだと思っていて、俺にかわいそうだと言ってほしいのか?」


 暫しの沈黙が流れる。

 御影が息を大きく吐き出して、一歩前へと足を踏み出そうとしたところで、底抜けに明るい少女の声が彼の耳朶を打った。


「ありがとう。やっぱり君は、優しい人だ」


 彼女の言葉に、御影は一瞬、大きく目を見開いた。

 呼吸が、苦しくなる。後ろから見てそうとわからない程度に何度か深呼吸をした後に、彼はドアノブに手をかけて、やれやれといった口調で言った。


「お前にとっては都合のいい奴の間違いだよ、クソアマ」


 大股で部屋の敷居をまたぎ、彼は乱暴に扉を閉めた。大きな音と共に、天井からいくつかの埃が彼のもとへと舞い落ちてきた。

 御影は閉じた扉の上にもたれかかると、右手を額におしやって、大きく首を振った。


「何様だよ、俺」


 御影は思わず苦笑をうかべながら、ゆるゆると首を振った。彼はしばらくの間何をすることもなくその場に立ち続けた後、ふと我に返ったかのように身動きして、左手の腕時計に触れた。

 ホログラムウィンドウが再出現する。治安維持隊の大佐様は、右手で口を隠しながら、こちらを見て笑っていやがった。


『いやはや。なかなか面倒くさい性格だね、君』


「……聞いていたのか」


『電話の最中に女性が話しかけてきたら、まず電話のほうを一時的に切ることを推奨するよ』


 人の会話を盗み聞きしやがった大佐様と、そして間抜けすぎる自分とにげんなりとした表情を浮かべる御影に、ホログラムは快活な笑い声をあげた。

 穴があったら入りたいような気分だった。しかし、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。御影はいつもの癖で髪をわしゃわしゃとかき回すと、舌打ちをして言った。


「あいつが金堂真の娘っていうのはマジか」


 御影の問いかけに、ルークは意外そうに片眉を上げた。


『おや。あの子から聞いたのかい?』


「その反応の仕方からして、どうやら間違いないようだな。ったく。面倒なことになるにしても、予想を超えすぎだっつの」


 金堂(こんどう)真(まこと)。能力世界の成立から三百年近く。その歴史の中でも最大勢力を誇った反社会的組織、アウタージェイルを創設した、エイジイメイジア史上、最も有名な犯罪者。

 その娘であるというノゾムが今、扉一枚隔てた場所にいる。きっと、片づけをやめて、のんきに読書の続きとしゃれこんでいらっしゃるのだろうと御影は思った。


 そう、無理やりに考えた。


 御影は壁から背中を引きはがし、廊下の大広間側出口、元来た方向へと歩き始めた。

 廊下の突き当りから外に出る。御影の目の前と、向かい側からのびる階段が真ん中の踊り場で合流し、そこから一つの大階段が一階広間へと繋がれて、上から見るとT字状になっていた。


「外の礼儀正しすぎて泣けてくる連中は、一体何者なんだ」



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