第一章 名もなき舞台の上で 3-1



3-1



 御影家の庭。うっそうとした雑木林に、一人の男がいた。

 治安維持隊の正式の制服とは違い、利便性を重視した、緑を基本とした柄の迷彩服に身を包んでいる。彼は今、木々の間に身を隠し、巨大な邸宅へと無骨な狙撃銃を向けていた。


 特殊部隊『バレット』。暗殺や破壊工作などといった武力行使も辞さない攻撃的組織。その中でも最も成果を上げているチームが、一人の高校生と少女のいる建物の周りに陣取っていた。

 男の耳にはイヤホン型の小型通信機がとりつけられている。その通信機が、他の隊員からの信号をキャッチして震え、彼の鼓膜とその周りの空気を微細に揺らした。


『こちらアーミー1。狙撃のポイントは確保できたか。どうぞ』


「できてますよ、ボス。いや、できていたと言った方が正しいですかね」


 男はそう応じると、右目を狙撃銃のスコープに当てた。壁にいくつも並ぶ窓の一つが拡大されて見える。だが、問題点が一つあった。


「えーとですね。先ほどまで確かにターゲットの頭を狙えてたんですけどね。この家の住人と思われる少年が、彼女を窓際から動かしてしまいまして。おまけに窓もカーテンも閉められてしまいました。これでは中の様子が確認できませんね」


『住人がお前の存在に気がついたということか?』


「それはないと思いますよ。一応俺、バレットの一員ですからね。可能性としてはありますが」


 スコープから目を離し、男は邸宅の方向を見つめた。


 正門から邸宅までを、砂利でできた道がまっすぐに繋いでいる。前庭中央にはちょっとした噴水があり、女神像が抱えた壺から水が噴き出して、空中に煌く飛沫をまき散らしながら弧を描き、石像の周りにため池をつくっていた。建物の染み一つないクリーム色の壁が、陽ざしに映えて眩しい。レンガタイルらしきものが敷き詰められた屋根はしゃれた雰囲気を醸し出し、上下二列に並んだ窓の列は邸宅内部に相当数の部屋が存在することを示していた。


 正直言って、あの邸宅の内部構造をしっかりと把握しない限りは、突入は難しいだろう。それに、一般市民が彼女を保護しているのだという可能性も捨てきれない。

 さらに言えば、それが超能力者だったりすると最悪だ。一般人ならともかく、社会的価値が極めて高いとされる彼らを殺害するとなると、隠蔽工作の難易度が格段に上がる。


「あの家の住人の情報はまだわからないのですか?」


 無駄だとわかりつつもそう質問する彼に、ボスは彼と同じく苦りきった声で言った。


『昨夜の戸籍データクラッキング事件の影響は大きい。誰が彼女を保護したのかは、まだわかっていない』


 男は思わず舌打ちしそうになってしまうのをぐっと堪えた。情報化社会に置いて、彼らの能力は飛躍的に上昇したが、逆に情報が無いときには第二次世界大戦以前よりも無能な集団と成り果てる。道具を発明すればするほど人間は退化するという話は本当かもしれなかった。


『だが、この家の住人が彼女を保護したときの映像から判断して、住人が一般人である可能性は極めて高いだろう。……その前までの映像の一切が消去されているのが気になるが』


「原因はバグでしたっけ? 想定外な出来事がいろいろと重なると、どれが偶然でどれが故意なのかわからなくなりますねえ」


『不確定要素があるのはいつものことだ。作戦が十全に成功したことなんて一度もないだろう』


 その不確定要素が多すぎるのが問題なんだが、と内心思う彼に対し、ボスは続けて言った。


『まずはアーミー3とアーミー4とで、治安維持隊の人間として住民にコンタクトをとる。妙な動作を見せたら迷わず狙撃しろ』


「了解しました」


 通信が終わり、彼はため息をつくと呟いた。


「ただの一般人であってくれよ? お願いだからさ」



  ※  ※  ※  ※  ※



 邸宅内部。

 お客様のお望みどおりに超能力者である御影奏多は、目を瞑った状態で、ホログラムのルークに対し少し早口で屋敷周りの状況を報告していた。


「この家を中心として半径二百メートルの距離に四名。均等に分散して屋敷を包囲している。全員棒状の何かをこちらに向けているが、これは狙撃銃とみて間違いないだろう。それから正門のところに二名。この二人は隠れることなく、堂々とこちらに歩いて来てるな」


『外の様子がわかるのかい?』


「いや、俺の能力知ってるだろ、お前。俺に連絡してきたってことは、当然俺についての情報もちゃんと手に入れてるだろうに」


『確かに、君は戦闘系能力者にも関わらず、能力テストにおいて『策敵』の点数が異常に高いが、しかしこれほどまでとは思っていなかったよ』


 ルークは素直に感心した様子でそう言うと、両手を横に広げてみせた。


『さすがは第一高校首席。高校生にしておくには惜しい存在だ』


「あいにくと、教員側はそう思ってはいないみたいだぜ。出席日数がぎりぎりだからな」


 言葉の中身のあるなしに関係なく、自分の能力に対する称賛にはもう慣れている。御影は目を開けると、特に表情を変えることもなく話を続けた。


「もう時間がない。だから単刀直入に聞くぞ、大佐さん。お前は俺に何をどうしてほし……」


 そこまで口にしたところで、書斎から大きな物音と女性特有の甲高い叫び声が聞こえてきた。

 より具体的に言うと、とある少女が棚に適当に本を積んでいたら、その山が崩れてきて本の下敷きになってしまったような、そんな光景が容易に想像できる騒音がした。


 御影は呆れ顔でしばらく閉じたドアを見つめた後、「少し待て」とルークに告げて、テレビ電話のホログラムを消去した。

 扉を押し開けると、予想通り部屋の中でノゾムが本の下敷きになっている様子を確認することができた。棚の高い位置に本を戻すための足場にしたのか、彼女の近くには先ほどまで御影が座っていた椅子も転がっていた。


「……残念な奴だな、ホント」


 御影は今日何度目かのため息を吐きつつ、本の山をかき分けると、入院服に鳶髪女の首根っこを掴んで引っ張り出した。



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