記録盤 No.005

【チャプター・041/049 十二回目の神殺し】


 ──〈行使プレイ〉の時刻を『六時』と指定したのは、夕餉に程近い其の頃合いが一日で一番空いている(のを、多くの〈行使者プレイヤ〉が知っている為、一気に押し寄せ輻輳する、/のを避けるが故に、敢えて人気が無い事もある、/のを承知で詰まる、振り幅激しくも、朝一番に迫る狙い時だ)からだが、禊を済まして万全を期す、その為の時間を欲したのも在る──今は午前の十時前後。路面機関車で〈ポート〉まで行く、その移動時間を考慮しても、充分過ぎる余裕はあるだろう。


 〈フェリシア〉を一先ず小脇に──放って置くのも憚られたが、実際の権利は“彼女”に在って、何処かへ行くなら呼んでも来ない、それが〈猫〉と言うものだ──故に〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は身支度を済ませる──何時から着ていたのかも覚えていない、衣類を脱ぎ脱ぎ配送口へ、送る側として利用しつつ、簡易浴室での湯浴みを行う。集合住宅コナプトの一室ならば、必ず備え付けられている其の設備は、『筐体ハコ』と呼ぶに相応しい狭さだけれど、お湯も水も出放題で、何時だって快適な行水が出来る。最近使った覚えは無かったが、医者の問診が無かったからには、別段問題も無かったのか、知らず浴びていたのだろう──何にせよ、覚えている限りで大変久し振りの熱い湯は、肌に、/心に素晴らしく、思いの外、長湯に耽ってしまった。ついでに歯を磨き、/髭を剃るのも、ちゃんとして置く。装置に任せるには金が無いが、手作業で熟すのも、それはそれで乙なもの、偶には自らしたって良い──その頃にも成れば、衣類も洗濯されて戻っており、配送口をパカっと開けると、ちゃんと畳まれ、仕上がっている。前〈唯都シティ〉時代でならば、到底考えられない仕組みには違いないと、感謝の念が湧いて来るのは、気分の解れた証拠だろうか──袖へと腕を通しつつ、勝手な自分に苦笑しよう。普段であれば、/何時もであれば、こんな事は想うまい(実際には、全く同一の新品を送っているので、濯ぐ手間等は掛かっていないが)。

 そうして着替えを済ませたならば、市民証に懐中算譜機アルバート、/大切なもの達を懐へ仕舞って、最後に〈猫〉へと挨拶の儀を──しようと思っていたけれど、やっぱり辞めて置く事とする。此処で“彼女”と接してしまうと、再びズブズブ染まってしそうで──心配だったが、〈フェリシア〉の姿は何処にも見えない。


ミャオにゃあミャオにゃあミャオにゃあミャオにゃあ


 と、声だけは聞こえた、気がしたが、寝台ベッドの下にでも隠れているのか? ならば、無理には引き出すまい。そのまま決して振り返らずに、部屋の外へと向かって行こう。何か忘れている気もしたけれど──どうせ些細な事だろうとも。


(これが〈猫〉との別れになったが、彼氏が気付くのは大分後だ)


 久方ぶりでも変わらぬ太陽、/黄昏セピア色の空の下で、己が脚──昇降機エレベータ──己が脚──待合駅──路面機関車──待合駅と乗り継いで、〈常駐遊演道メニィアーケード〉へと近付いて行く。石畳を這いずる清掃機械スウィーパァを避けながら──(自室の其れをまた掛け忘れていたけれど、どうせ些細な事だった)──共に来りし市民と一緒に、機械式関門ゲートが元へと向かう。(外出はしていないので、これは代わらない)黒い外套の懐を漁る、そんな手付きも久しいけれど、染み付いた遣り方は直ぐに思い出され、指の合間には市民証、流れ流れに従って、紙片カード読取機械リーダに挿入する。


 無事に入場の許可を許され、穹窿ヴォールトの下へと入って行けば──まぁ、特筆するべき事等何も無く、“享楽”の為の無数の施設/無数の店々/無数の自動販売装置達が、〈唯都シティ〉中心部へと向けて一直線に、待ち構えながらと居並んでいる。

 時刻は──大分早く来過ぎてしまい、午後の一時を過ぎた頃合い。

 とは言え、食事も取って居なければ、向かう先は〈利便喫茶コンヴィニエンス〉、困った時の無償の奉仕=無料のパンと珈琲の〈イディラーク〉──食事の質も想像通り、棒状形成加工食糧に、ちょっと毛の生えた程度のものではあるが、費用が掛からない事は余りにも大きい──珈琲の方はまぁまぁであったし、何より喫煙出来るのが良い──良い、のだろうか? 〈フェリシア〉を飼う様になってから、全然吸っていなかった事に気付き、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は、ほんの少しだけ立ち止まった。これが〈愛玩物コンパニオン〉の、/“彼女”の力と言う事なのか?


 それは大層有り難い話だがしかし、離れてしまえば意味は無い様で──撮影鏡カメラ──自動扉──店内の〈令嬢レイディ〉と脚を運び、(正規)市民の証明を済まして奥へと向かえば、成形パンと珈琲とに手を付けるよりも早く、持って来ては居た喫煙具一式を取り出して、〈LOVEラヴ〉一服の作業を始める──バニラ風味の毒の煙は、微かに碧く棚引いて、これが〈動物〉達の息の根を止めたのかと、ふぅと吐きつつ夢想するけど、そんな事では断じて無いし、仮にそうであったとしても、己の所為では有り得ない──人間以外は消え去って、遺っているのは模造品だ。しかも命を尊重して、“彼女”の前では一本たりとも吸っていない──うん。振り返って見れば恐るべき、/悍ましいとすら言える禁煙生活一ヶ月は、こうした意識に拠っても成り立ったのだろう。〈猫〉の放つ愛らしさと、それを尊ぶ義務感と──つまりは動機付けと言う訳で、今から行われようという探索行クエストも、考えて行けば、そこに収束する筈である。〈フェリシア〉の為、/より多き【功績点】に基づく、より善き境遇を以って、彼氏が“彼女”に奉仕する──なんて言う事の何処から何処までが本気か等は、自分でもちゃんとは分かっていないが、少なくともに一抹には、そんな気持ちも確かに在る。まるで有為の、/選ばれた人間の様では無いかと、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は微笑んで、紫煙を吐き吐き、珈琲を嚥下し、パンを千切って頬張りながら、直ぐにカップに口を付け──


 ──そのまま仮眠へと移行するなら、目覚めた頃は五時半辺り。何と丁度良い機会タイミングな事と、己が時間感覚を褒め称えつつ、〈ポート〉を目指して店外へ。


 大地の下へと太陽が隠れれば、辺りには既に自動灯ランプが付き出し、人工の輝きを放っている──黄昏セピア色なのは相変わらずと、/何時もの事と進み行く。

 通行人は程々であり、三分の一程は帰路だろうか──早めの夕飯を摂ってから、明日に備えて、もう寝るのか? それとも怠惰に夜更かしでもして、一日の終わりを先延ばしに──するのか/どうかなんて、どうでも良い。〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉には遣る事がある。それは決して揺るがない。


 そして──撮影鏡カメラ──自動扉──店内の〈令嬢レイディ〉と脚を運び、(正規)市民の証明を済まして手続きを行う。〈入没インジャック〉専門算譜機械コンピュータ遊戯ゲェム施設──〈ポート〉の方にも、(何と)一ヶ月ぶりであった訳だが、別段変わった所は無い。それもそうだ、ずっと前から──何時からなのかは分からないが──この反復はずっと、続いている。早々変わる訳も無い、けれど、ちょっとは何かを期待していた。何かと言われたら困ってしまうが──ちょっとの事なので、まぁ構うまい。


 そんな事を考えるよりもと──廊下を歩む〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉──左右の扉に挟まれた廊下、その果てに辿り着く『No.14』は、何時か見覚えが合ったけれど、何時の事かは思い出せず、/ならば特に意味も無かろうと、〈行使プレイ〉準備に取り掛かる──四方の画面モニタが蠢く侭に、操縦席コックピットへと腰を下ろす──背凭れの角度、鍵盤ボードの角度、桿の角度を最適に──操作桿コントローラを両手で握り、深呼吸を一度、二度──そこで最後の仕上げが作動し、操縦席コックピット後部の腕部アームが開けば、注射器状の器具デヴァイスが眼前に──首の角度も整えてやると、点眼薬が一滴と、両の眼の中に垂らされて──(時間の都合で今回は一滴だ。それ以上を望んだ所で、出来ないものは出来はしないし、自身を追い込む効果もある)──視界を覆う、ある種の膜/暗闇からの躍動を経て、後退する様に拡がる画面モニタ──そして、


〈PALE PIT〉

〈PRESS ANY BUTTON〉


 指を動かす──刹那、(どうでも良くは無い)現実が薄ぎ始める。

 黒──白──光。そして光。

 光が溢れ、世に満ちる──


 ──現実に則した時刻で言えば、『今夕六時』の頃合いだろうか? 大体にしか捉えていないが、〈サキシフラガ〉が立ち上がった時、『瞳』/【の数字】は既に相当で、しかも更に上がって来ている──良い傾向だ。帰宅を急いでいた市民達も、もしや此れを見る為にでは無かったか──とは、流石に穿ち過ぎだとしても、確かな励みには違いない。〈啓示板〉にて、大見得切ってしまった以上は、それを糧と邁進し──〈最終ラスト首魁ボス〉を倒すしか無い。彼方の意識の其の元で、〈行使者プレイヤ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は微かに笑って真顔に戻る──さぁ何はともあれ此処からだ。此処から油断は大敵で、真摯に事へ当たらねば。


 操作桿コントローラを操作する──今居る此の場は〈第九層〉が氷堂の中、/足下に転がるは〈神子の亡骸〉と言う名の〈記憶ノ石碑〉で、つまりは前回、確かに〈首魁ボス〉を倒した訳だ──どうやら、その後、『三月兎の穴堕ちフォール・アスリープ』をしてしまった様なのは、不徳の致す所ではあるが──何にせよ道は開かれて、凍て付く岩壁の最奥には、ぽっかり洞穴の入り口が見える──〈サキシフラガ〉は歩き出した。〈行使者プレイヤ〉と、その他大勢の観客の視線を、主に背中で受け止めながら、軽やかな脚取りで、剥き出しの岩肌を降る降る──先の空間に至ったのと同じ様な道を、更に更に、奥へ奥へ──そろそろ飽きも来ようかと言う頃合いと成った時、再び開ける視界には、氷堂と似た様な広間が拡がるが、違う点が二つ合った。

 一つは〈首魁ボス〉が顕れない──その兆候すら無い事である(先に倒した訳だから、当然と言えば当然だ)が、それは恐らく些細なものだ。と、言うか、もう一つは見れば分かるものであり、空間の中央には、巨大な竪穴が穿たれている。

 これは全ての〈階層〉に存在して、上から下まで通じている──(物理的には、/空間的には滅茶苦茶な訳だが、超常的には、/指令コード的には無問題だ)──つまり此処から、都合九度も飛び降りて来た──『省略スキップ』可能な〈案内説明チュートリアル階層〉も合わせて、/『周回』の概念を鑑みれば、それを十二度も繰り返しており、合計で言ったら百回を超える──だから、今更どうのこうの、と言う訳では無いのだけれど、しかし一つの節目だし、この〈深層〉に至る〈ホール〉に関しては、早々来られる場所でも無い──〈行使者プレイヤ〉の両手は操作桿コントローラから離れ、(接続はされていても滅多に使う機会の無い)打刻鍵盤タイプボードを展開する。そして打ち込む文字の羅列は、謂わば見世物の一環であり、別段しなくとも構わないものだが、その辺りの機微が分からない無粋な人間でも無くて──文字は言葉に、言葉は台詞に、以って紡がれる“彼女”の宣言は、観客を沸かせて、聴衆をいや増す。


【今此処に、十二回目の神殺しを。人の限界をお見せします。】


 その直ぐ後に入力した指令コードは、〈サキシフラガ〉に構えを取らせる──〈死滅の短剣〉×二本を抜き放ち、胸前で交差させる体勢を──それに対する反応は、あくまで『瞳』/【の数字】だけだが、手応えの様なものは感じられる。長年の【経験値】と言う奴であり──それに背中を押される様に、“彼女”は〈ホール〉へと身を投げ出した──(実際の操作は前進だけだが、遊戯ゲェムの演出に拠るものとして、勝手に理想の体型が取られる)──そして始まる、落下/落下/何処までも終わらない自由落下は、本当に何処までも果てが無く──風──風が耳元を吹き荒び───薄桃色の三つ編みが───〈馬〉の尾の様に棚引いて────次第────次第と加速する─────その速度を前にして─────只の降下は浮遊と成り──────飛翔と成り──────背景が流れ───────岩肌が流れ───────残像が流れ────────何もかも全てが光の線と───

──────流れ─────────流れ──────────流れ─────

─────堕ちて────────────────────────────

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────

──そして見上げれば青い空/白い雲/輝ける太陽が天蓋に張り付き、移ろう事の無い風景を仰がせ、周囲をぐるりと眺めて見れば、白い砂の大地が拡がる──何処までも何処までも何処までも、だ。一度試して見た事があるけれど、どうやら此の地に“果て”は無く、望むのならば、/行うならば、何時までだって歩いて行ける──そうした所で何処へも行けず、延々白亜の平野が続くなら、そんな事をする様な意味も特に無く、試しも『一度』で充分だと言う所だ。

 そう、此処には砂──砂、砂、砂、砂、砂しか無い。

 何故なら此処こそ始まりの地、全てが造られた場所なのだから──何処いずこより(恐らくは無から)顕れた造物主は、この砂以外には何も無い始原へと、慈愛を以って雨を振らせ、泥を捏ね上げ形と成して、生命を世界へ拡散させる、/造物行為に勤しんだ──そう言う歴史、/そう言う神話、/そう言う設定と成っていて、だから此処には何も無く──只々、只々、沸き立つ砂が在るのみだ。

 『〈登場人物キャラクタ〉が地点Xへと到達した』情報に加え、『一定時間が経過した』情報が歯車を介して伝達され、或る指令コードを/或る算譜術式プログラムの反応を呼び起こす──泉が突如湧く様にして、地面から轟音が響き出し、俄に白砂が隆起した。それは〈登場人物キャラクタ〉/〈サキシフラガ〉の何倍の高さにも見る間に達し、〈行使者プレイヤ〉が見守る眼の前にて、一つの形に象られて行く──見覚えの在る形状は、(少女像を胸に秘めた)泥の巨人を連想させるが、記憶は人型に由来しない。それは記念すべき〈第一層〉/騙られし人の為の都に於ける、最初の〈首魁ボス〉の造詣デザインである──既に察しの良い者ならば、どんな演出か大体気付けたとは思うけれど、此処で焦るべきでは無い。相手は砂──砂、砂、砂の塊ならば、形象が完全に築かれるまで、此方の攻撃は当たらないし、【生命力ライフ目盛バァも出現しない──もとい、後者の方は元より無く、〈首魁ボス〉の名称も顕れない。便宜上の通称は〈名付けられぬ者〉、或いは〈名付ける者〉ともされる。〈瓦礫の巨像〉やら〈玄冬の神子〉やら、そう言う名前を“産み出した”のも──遊戯ゲェム内のあらゆるもの、場所、道具類、〈登場人物キャラクタ〉達の名前でさえも、世界観的には全て全て、神が手ずから拵えたものだ、と──明白に語られた訳では無いけれど、その様な考察が成されている。故にこその造物主と──何れにせよ、此れが〈ペイル・ピット〉最後の敵である。白砂振り撒く輪郭も朧に、〈巨像〉が拳を振り上げて、怒涛とばかり振り下ろす。

 〈サキシフラガ〉も身を翻し、それを合図と刃を放って──


 ──実の所に難易度としては、そこまで高いものでも無い。

 (視覚的には表示されない)一定数値の【損傷点ダメージ】毎に、〈名付ける者〉は姿を変えるが、其れ等は全て、一度は戦った〈首魁ボス〉であり、/一度は倒した〈首魁ボス〉でもある。攻撃を含む行動の法則性パターンには変化等無く、変わる順序も決まっている。〈ペイル・ピット〉を下へと降り行く、/〈階層〉の並びに等しい変化は、此れまでの旅路を辿る様に、試練を今一度確かめる様に、〈第一層〉から〈第九層〉まで、規則正しく流転する──〈瓦礫の巨像〉──〈嘆きの人面獣〉──〈放浪の従者グレイマン〉──〈鴉の屍婦人〉(と尽きざる死霊)──〈魚の影〉──〈首無し騎士と嵐の牝馬〉──〈最古の女王エリザベス〉──〈燃殻の竜骨〉──〈玄冬の神子〉──細部は再現されていない(何せ材質は砂のみだ)が、確かに判別は出来る程度の輪郭で以って、“其れ等”との激闘が想起されれば、後は同じ事を繰り返すのみ──勿論『周回』に拠る強さはしっかり反映されているし、『二度とは御免』の〈首魁ボス〉との再戦は、なかなか苦しい所ではあるが、“其れ”そのものと比べるならば、(割り振られた)【生命力ライフ】は遥かに低く、謂わば峠の様なもの、/其処さえ乗り越えてしまうならば、次はどうにか成ったりする──〈サキシフラガ〉に関して言えば、(回避に徹し易い)〈巨像〉の似姿と、(連撃で崩し易い)〈女王〉の似姿は、休憩場所とすら感じられる──そうやって油断した結果の“事故”については、まぁ致し方無いとしても、(動き素早く、/一撃の重い)〈騎士〉や〈竜骨〉と比べるならば、遥かに楽だと言わざるを得ない。そしてまた、〈従者〉や〈神子〉の様な、どんな〈登場人物キャラクタ〉でも一様に苦戦する事となる〈首魁ボス〉も居て、総体としては釣り合いが取れる事には成るだろうけれど、まぁ、この辺りは気分の問題でもある。息継ぎは大事と言う訳だ──(こんな風に)〈巨像〉が砂と崩れ去り、再び大地が沸き立って、次は〈人面獣〉の似姿が顕れる、その合間/合間に〈回復薬〉も使えるのだから──攻略する為の難易度としては、相対的に低いのだ、やはり。


 ──ならば此れで問題は無いのか、と言ったら、そんな事は全く無い。

 この〈深層〉に於いての戦いには、もう一つ、/全く別種の障害があった──最終決戦に対しての緊張感? ここぞと言う所でのしくじりに拠る、【批判点】の大量獲得? それも在る、/在るには在るが、また違うものだ。

 その“もう一つ”を説明する事はしかし〈行使者プレイヤ〉以外には不可能だった──この場合の〈行使者プレイヤ〉とは、〈ペイル・ピット〉経験者という意味でも、算譜機械コンピュータ遊戯ゲェム経験者という意味でも無く、今日この日/この時/この瞬間、〈名付けられぬ者〉或いは〈名付ける者〉と対峙している存在──〈サキシフラガ〉の〈行使者プレイヤ〉である、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉に於いて他ならない。『瞳』/【の数字】の観客達や、〈過去記録リプレイログ〉のみにて満足する者には、現在進行系で取り組まれている“もう一つ”の戦いを、知り得る事なんて出来はせず──そう言う仕組みに成っており、だから〈屍婦人〉の似姿では無く、周囲の死霊=只の〈群敵エネミィ〉の攻撃を食らう、“彼女”の様子は“事故”にしか見えない──無論、“事故”なのは間違い無いのだけれど、何を原因として仕損じたのか、その辺りの見当が違うのである──とは言え、それも詮無き事、/詰まる所は遊戯ゲェムの趣向であり、〈行使者プレイヤ〉がどうにかしなくてはならない──そして其れは分身を通じて、既にして宣言されている。ならば後は行うだけで、簡単と言えば簡単な話だ──(それすらやはり)砂塵めいている死霊の群れを掻い潜り、〈屍婦人〉の似姿にも留めを刺す。諸共に形象を崩壊させ、一瞬周囲が不明瞭となるも、直ぐに開ける視界が向こうには、青い空/白い雲/輝ける太陽が爛々と──そして、その光が造る様に、〈魚の影〉が地面を泳ぎ、真っ直ぐ此方へと奔って来よう──〈サキシフラガ〉は身構えた。これにて丁度折り返し地点、/道程は半ばを過ぎ去って、残りはたったの半分だ──ならば、遣る──遣れるかどうかは関係無く、此処まで来たなら、遣るしか無い──操作桿コントローラを握り締め、滴る汗を舐めながら、〈行使者プレイヤ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は、不敵な笑みを浮かべて見せ──


 そして──


 そして〈神子〉の似姿が崩れ去り、静寂が砂漠を直走った──次の瞬間、


〈LIFE IS ROUNDED WITH A SLEEP.〉


 〈首魁ボス〉撃破を告げる大文字が、青空を背景にして黒々と刻まれて、〈行使者プレイヤ〉への紛う事無き表明になるが、しかして此れは区切りである。

 ゴゥン、ゴゥン、ゴゥン、ゴゥン、と──遠く彼方、/壁の向こうにて、歯車の蠢く音を感じる。〈記憶の石碑〉も、その代用も、何もかも出現する事は無いのだけれど、自動的に記録は行われる──この段階にて、仮に不備が起ころうとも、狂える創造主を手に掛けた、そんな事実は変わらなくて──(大元の機械に何かが起これば、/〈太母グランマ〉式に大事があれば、無論その限りでは無い訳だが)──後には白い砂の大地が、風の一つも吹く事無くと、延々眼前に拡がっている。青い空/白い雲/輝ける太陽の其の下で──このまま何もしない場合、いや、ある行動以外をした所で、何かが起きる事は無かった。試しに“果て”を目指そうと、只管走って見た事もあったが、果て無き事が分かっただけで──

 それは、この十二回目の偉業に於いても、やはり何も──何も変わる事は無い。期待していた訳でも無いが、それでも想う所は在る──だからこそ、と言う訳でも無いのだけれど、似姿を倒した〈サキシフラガ〉に、唯一許された行為をするべく、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は指を動かす──砂漠の中心、とは即ち、〈ペイル・ピット〉の中枢という事になるだろうか? 何時の間にやら、其処には『泉』が出来ており、白く輝く水面の中央には、虚ろなる影が浮かんでいる──靄の様にはっきりしない、朧な姿を良く捉えるべく、水を分け入り近付けば、それは俄に蠢いて、箱の様にと凝り固まった──接近して始めて分かる事としては、その〈筐体ハコ〉は〈記憶の石碑〉と同じ反応を示し、祈りを捧げる事が出来るが、それが意味する所は一つ──即ち此れこそが『選択』であり、『主に真なる死を与えるか/敢えて見逃し立ち去るか』が、祈祷の有無にて決定される。

 時間の制限は基本的に無い──遊戯ゲェムとしては存在するが、其れで終了したとしても、記録はちゃんと取られている、/開始は此処から、変わり無く、だ。

 だから、そう──先の〈首魁ボス〉との戦いの様に、此れまでの旅路に想いを馳せ、自らの解答を改めて導く──見えざる無数の観客が、固唾を飲んで見守る中で──その時間は、実質無限に存在し、けれど無いのと同じであった。


 深呼吸を一度、二度──操作事故だけはしない様に──

 指を弾いて〈決定〉するのは、〈サキシフラガ〉の攻撃だった。九つの似姿、其の尽くを討ち取った得物=〈死滅の短剣〉×二本が、青褪めた軌跡を浮かべて〈筐体ハコ〉を斬り裂く──刹那、内より光が溢れ出し、全ての画面モニタを染め上げた。


 白く、/白く、暗転する──声音に合わせ、世界が移ろい──


 ──記録は然と行われた。

 気付けば其処は〈第一層〉/騙られし人の為の都であり、煉瓦と金属の構造群ビルディングが、見渡す限り続いている──意味する所は理解しているけれど、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は何もしなかった。〈サキシフラガ〉を静止させて、暫し余韻に浸っていよう──十二回目の神殺しを経て、今や此処は『十三周目』、誰も到達した事の無い、/〈ペイル・ピット〉の、未知なる領域に他ならなかった。


 ──其の意味する所は理解しているけれど、彼氏は余韻に浸っていた。

 俺は遣った、俺は遣った、俺は遣った、と──自分自身へと言い聞かせつつ。

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