記録盤 No.003

【チャプター・026/049 グッド・モーニング・アリス】


 ──けれど我等の〈悩みながらも悩まぬ者グランドマザァ・ハッカァ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉が目覚めた時分には、分厚い雲が空を覆い尽くし、しとどに雨が降り出している──それでも変わらぬ黄昏セピア色と、徐々に強まる雫の勢いに、寝そべった侭に窓の向こうを眺めていた彼は、今日この日、〈常駐遊演道メニィアーケード〉へ向かう事を断念した──羽撃き機械オーニソプタァの飛び交い具合に寄り、昨夜の時点で予想は付いていたが、降るか降らずか、微妙な所で合った為に、決断を先延ばしにしてしまっていたのだ。


 〈ペイル・ピット〉『十二周目』攻略は佳境であり、出来れば〈ポート〉に行きたかった──遣ろうと思えば何処でも/此処でも、と、言うか、昨日の夜も普通に遣っていた訳だけれど、やはり眼帯シェイド画面モニタの簡易〈入没インジャック〉では、感覚に対する制約が大き過ぎ、本格的な〈行使プレイ〉には向かない。【功績点】を一切考慮しない、〈第四層〉での〈落とし子クリーチャ〉狩猟ならいざ知らず、〈第九層〉の〈首魁ボス〉相手と合っては、万難を排して起きたい所──言い訳はこれ位で良いだろう。


 心の中で、その様に自身を納得させると、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は呻き呻き起き上がり、酷く難儀な様子で寝台ベッドの上から這い出した。スリッパを履いてパタパタと、〈唯都シティアリス〉の実質的郊外に位置する集合住宅コナプトが一室を歩んで行く──狭く、薄汚れ、対して語るべき調度品も無い=あからさまに居住が“享楽”で無い様な、普遍的常態の内装の中、備え付けの机に置かれている端末装置デスクトップに近付けば、打刻鍵盤タイプボードを操作して、諸々の準備をし始める──〈常駐遊演道メニィアーケード〉へ向かわないとは、この部屋から一歩も外には出ないと言う事を意味し、どうせ怠惰に過ごすならば、トコトン怠惰に過ごしてやろう、そんな気分であったのだ。

 最上級、とは行かないまでも、まだまだ稼ぎには余裕があり──先の【功績点】も様様である──雨は益々勢いを増させている。外に水滴/内に塵芥を付かせた窓硝子は、清掃機械スウィーパァを毎度起動し忘れて久しい事を、ありありと家主に告げている。今日こそはちゃんと覚えていようと、然と脳裏に刻みつつ、彼氏は別の作業を行う──これまた何とも久し振りな、“まともな朝食”を口にする為に。


 画面モニタ上に目眩く料理達──それ等の中から選択し、〈決定〉を叩いて行く事で、市民証と連動している所持金額より商品代金が引かれるならば、時間にして僅か一分足らずして、一室の出入口付近に設置された配送口(これは全ての部屋にあり、集合住宅コナプトの〈地下階層〉に通じている/其処には仕掛の全てがあり、操作法さえ分かっていれば、部屋に居ながらに“何でも”出来る)に、湯気立つ品々が立派に置かれた、一つのトレイが姿を顕す──目玉焼きとベーコン、ソーセージ、マッシュルーム、芋、バター付きのパンに、勿論欠かせぬ珈琲が一杯だ。


 と、一応誤解が無い様に言って置くと、食事もまた立派な“享楽”の一つだが、それと同時に、生きて行く為には必要不可欠な行為でもある。『大多数の人間にとっては美味に感じられる』『一日に必要な栄養素を完全に取り入れた』棒状の形成加工食糧と、瓶詰めされた飲料水(濾過純水ピュアウォータァから紅茶/珈琲、炭酸水と、アルコールを含まない中で、ご自由に)でなら、遍く全ての市民に配給されており、“飢える”と言う概念はこの〈唯都シティ〉に存在しない。態々注文し、そして代価を支払うのは、それ以上を望む場合の事である──一層味が好ましいだとか、食感が歯の状態に合致しているだとか、そろそろ飽きて来ただとか──だ。

 実際〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉にした所で、普段の食事に不満は無い──味も口応えも許容範囲であり、〈常駐遊演道メニィアーケード〉へと赴く身支度の最中/或いは其の道すがらにて簡単に摂取出来る点に関して言えば、寧ろ気に入っているとすら言えるだろう。大多数の人間がそうであり、道沿いで/駅舎にて/路面電車の中で、モグモグ咀嚼している光景は、決して物珍しいという代物でも無いのだ。


 とは言え──翻れば、あらゆる物事に対して言える事ではあるけれど──不満が無いからと言って満足していると言う訳でも別に無ければ、時折はこうやって/ちゃんと椅子の上に腰を下ろし、一人用の小さな食卓へとトレイを運んで、〈太母グランマアリス〉や〈三姉妹〉へと日々の感謝を(一応)祈ってから、ムシャムシャガツガツ頬張り始める事だって、したいと望む時もあるのである。


 市民であれば──人間であれば、と、言うべきなのか。


 ま……言い訳はこれ位で良いだろう──今は兎に角腹が減っていた。いよいよ以って強さを増させる雨粒の背景音に添える形で、付属の食器類を鳴らしながらに、次から次へと、朝食を咀嚼し、飲み下す。一週間程前の──或いは十日か、もっと前だったか? ちゃんと記憶はしていないが──晩餐以来、少しばかり贅沢に興じ過ぎている様な気もするけれど、今はそう言う時としよう。

 トレイと共に送られて来た何枚かの打刻紙片パンチカード懐中算譜機アルバートへと挿入し、“最新のお知らせ” (主だった内容は相変わらずの平穏続きで、概要毎の些事が其れに連なる)と“ファンレター”(正確には〈サキシフラガ〉に宛てられている)とを目で置いながら、無乳/無糖珈琲に拠ってパンの甘味を胃の腑へ落とす。


 その勢いの変わらぬ侭に──我等の〈悩みながらも悩まぬ者グランドマザァ・ハッカァ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は決断を下した。どうせ遣るならトコトンであり、勿論それは〈令嬢レイディ〉だ、と──ベーコンの切れ端を〆にして、彼氏は端末装置デスクトップへと向かう。

 何か忘れている気もしたけれど──どうせ些細な事だろうとも。


【チャプター・027/049 〈石を砕く〉と示す娘は】


 そうして一限目の数学講義が終わり、〈オリヴィア・ヘイリング〉は思わず机の上へと突っ伏している──謹慎明けの最初の授業は、彼女の脳髄には荷が勝ち過ぎた。只でさえ不明瞭な問題の数々は、一週間の間に更に難解さを増させており、何が何だか分からない──と、言って、置いてけぼりの侭では無く、課外には補講が設けられる予定だけれど、それがますます憂鬱を誘う。放っといてくれるのが一番良いのだが、早々上手くは行かないらしい。学童パピルとは、実に面倒だ。


 オマケに今日は朝から雨であり、気圧と湿気が重く伸し掛かる──渦の度合いを増させる緑髪を指でぐるぐる弄っていると、ふぅと溜息が零れ出た。生まれ付きだから仕方が無い、という言葉は、この肌に張り付く鬱陶しさと、天候管理に纏わる真実を知りもすれば、呆気無くも掻き消えてしまおう──つまり昔の/前〈唯都シティ〉時代の“雨”という奴は、こんな風では無かったらしい。もっと頻繁に、そして霧の様に優しく穏やかであり、傘の必要だって然程無かった、と──そんな噂を聞いている。見ている、と言う方が正しくはあるが、何にせよ、其の出処は〈地下会合アンダーフォーラム〉であり──有意義な知識なら、他にも色々教えて貰った。


 ぐるっと首を傾けて、教室中を見渡そう──【A】から【D】まで、四つに分けられた学級位クラスに置いて、“成果は明らかであるけれど、結果はどうなるか分からない”、即ち此処=最下位たる【D】学級位クラスには、男子十名/女子十名の、合計二十人の学童パピルが居て、〈オリヴィア・ヘイリング〉がへたり込んでいる様に、思い思いの事をしている──人数だけなら他の学級位クラスも同じ人数、と、言う事は、同年代が八十名となる訳で、それが十五年分積み重なるのだから、学童パピルは常に千二百人だ──これ位の計算なら造作も無い、エヘンオホン──そう考えると改めて、この学舎(と寮施設)に、何と大勢の人間が住み、生活しているのかと戦慄もすれば、生殖施設を聖域と捉える、あの〈三姉妹〉の思考も分かると言うもの──だったのは、或る風説を見/聞きするまでの話でもある。


 語っていたのは誰だったか──尖った長耳と赤髪が印象的な、〈ルシアン〉だった覚えもするけれど、少々記憶が覚束無い──ともあれ、〈唯都シティアリス〉が統治者の御歴々に曰く、仕掛傀儡プレイヤ・パペット代役ボット連中の其の肢体には、人と見分けが付く様な、何らかの処置を施している──と言う事だが、これは嘘/大嘘も良い所のものだそうだ──真実は隠蔽する為に、一種の囮とする為にで、実はもう其処彼処そこかしこに、人を模したる機械達が、誰にも知られずタムロしている──例えば、そう、この教室に居る学童パピル達の、十人に一人が生身では無い。消音された歯車を蠢かし、子供達を“より良い”方位へ差し向けようと、内側から皆を指導している──その様な情報を知ってしまえば、想う所も在りはしよう。だからこそ、皆はこんなにクソ真面目で、何もかも教師(代役ボット)の言う通りなのかとか。


 或いは、


『実は貴女がそうなのかもね? 自分で人だと想ってるだけで、体良く動かされている囮役、と。そうじゃない根拠なんて何処にも無いのよ〈お姫様〉?』


 とか何とか、脅かされた事実も付随して──この台詞が〈ルシアン〉のものであった事ははっきり覚えている──その時に抱いてしまった恐怖と動揺とを思い出し、〈オリヴィア・ヘイリング〉は、拳を握って振り下ろさなかった。

 周囲に級友達が居ればこそ、気にしている様で馬鹿馬鹿しい/無駄に騒がす事も在るまいと、そう思い直してからに席を立ち、教室の外へと歩んで行く──


(──一応弁明しておくと、噂は全く正しくない)

(正確な数字は七十五%──二十人中十五人が、〈マザァ〉直属の仔機である)

(この割合は、〈唯都シティアリス〉全土にて有効だが、人口数は秘匿されている)

牧歌郷アルカディアを続けるには、この様な処置が不可欠なのだ)

(因みに〈オリヴィア・ヘイリング〉はしっかりと人であり、件の〈ルシアン〉こと本名〈エマ・ウォーカァ単体〉も人であり、次いでに我等の〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉もまた、何の偽りも無く人である。心配は御無用と言う訳だ)

(──彼等以外に関しては、全く以って其の限りでは無いけれども)


 不信感を懐きつつ、それでも従っている“振り”をしなくてはならないのが、また学童パピルの辛い所だと──そう、独り次の講義へ向かおうとしていた〈オリヴィア・ヘイリング〉は、教室の一角にて男子数名が集まっていると言う状況に傍と気付いた。寄り添い合って和気藹々と、誰かの懐中算譜機アルバートを回し読みしている、

「いやまぁ、どうせ猥雑な奴じゃないの? 男の子なんて、大抵そう」

 等と言いながらに輪の中へと押し入り、抗議の声が出るのも早いか、さっと其の小型端末タブレットを奪ってしまえば、見出だせる画面モニタは想定外の文字、文字、文字──いや、“そう言う”小説の場合だって在ると、片手で少年の頭を抑えながら、片手高らかに内容を読み出す──(とは、思いもしないで)──残念な事に、どうやら卑猥なものでは無い様だ。途中からなので全く中身は分からないし、読書の“享楽”も持ち合わせては居ないのだが、多分、こう──一人の女の子が主役であり、何処から何処へと、旅をしている、とか何とか、そう言う感じの事が書かれている、っぽい──この辺りで、流石に奪い返されてしまい、警戒の度合いが強まる中、一応の謝罪と、肝心の問い掛けをして見ると、表示されていたのは〈ペイル・ピット〉という算譜機械コンピュータ遊戯ゲェムの、実際の〈行使プレイ〉を基にして作成された、記念碑的な物語らしい。彼等が嵌っている遊戯ゲェムに於いて、伝説的な活躍をしている一人の〈行使者プレイヤ〉/一人の〈登場人物キャラクタ〉を中心に描かれており、自分達の〈行使プレイ〉の参考と純粋な羨望に拠って読み回していた──卑やらしいものでは断じて無いと、胸を張る男子生徒から再度ふんだくって、画面モニタの表示をカチカチ変えるや、目当てのものは直ぐに見付かった。

 『一本後ろに垂らされた、薄桃色の三つ編み髪/珈琲肌の中性的顔造り/靭やかなる肢体の、うら若き戦乙女』──作中でも其の様に形容されている(事とは後より知る)容姿が全面に渡って映された、〈人物〉紹介用の頁にて──先程からずっと見えてはいても、頭が理解していなかった/可愛らしいと直ぐに察し、一目で惹かれた“彼女”の名称は──〈サキシフラガ〉と示されている。


【チャプター・028/049 〈LOVEラヴ〉の綴り間違い】


【NAME:RANDOM(骰子ダイスでも何でもご自由にどうぞ)】

【 AGE:MIDDLE TEENS(趣としてはEARLYとの間)】

【 SEX:FEMALE(FEが取れても、それはそれで、だが)】


【EYE (COLOR):BLUE(今日はそう言う気分だった)】

【SKIN(COLOR):GREEEN(今日はそう言う気分だった)】

【HAIR(COLOR):WHITE(今日はそう言う気分だった)】

【TYPE DETAIL:────(お気に召す侭/気の済む侭に)】


 雨の音に合わせる様に、打刻鍵盤タイプボードを叩いて行く──〈唯都シティアリス〉で言う所の〈性交令嬢セクサリス〉召喚の一番の御楽しみは、代役造詣キャラメイクにあると言っても過言では無い。今日の自身の精神状態に合わせ、どの様な相手でも見繕える。外観は勿論、性格傾向まで自由に指定出来るなら、生身の相手等如何にも馬鹿らしい。する方であれ/される方であれ、そう言う“享楽”も確かに在るけれど、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉に関して言えば、その気は無い──正確には、望めない/望むべきで無いものこそが趣向であれば、この〈太母グランマ〉公認なる売春自動機械達に頼らざるをが得ないとも言うけれど──前〈唯都シティ〉時代に於いては『公認』すら無く、行為自体が迫害されていたと聞くが、何と愚かな考えだろうか。人間の三大欲求/食欲・睡眠欲・そして性欲を満たす事に、禁忌なんて在る筈が無い。

 問題となるのは、そのものでは無く、/それを満たそうとした時に発生する諸行為または “付属物”の方であり──性交に関連して言い換えるならば、個々の尊厳と人権と、個々の生殖についてに他ならない。『産めよ殖やせよ地に満ちよ』とは、関係者の同意が合って始めて有効な箴言となる。この場合の“同意”とは、即ち此れから産まれて来る者達も含めてのもので、身勝手な出産等は、“親子”と其の周囲/皆にとっての不幸にしか成らない──生殖施設が聖域の所以だ。


 だから此の様に、人間そっくりの人形相手ならば、万事全てが解決となる──強いて難を挙げるなら、指定価格がお安く無い事と、体液使用の是否位か。

 前者に関しては既存雛形テンプレートが存在し、そこから選択すれば失うもの等何も無い、が、只そう言った〈令嬢レイディ〉達の容姿と挙動には、全てに〈マザァ〉の面影が在る/もとい、〈三姉妹〉自身の仕掛傀儡プレイヤ・パペットすら選べる辺り、まぁ、好き好きであるとは言えるだろう。保育施設を発端に、人生の色々な場面にて出食わす保護者と其の類縁との行為は、ある種の禁忌を連想させるのか──(失礼且つ滑稽な話だが)──〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉自身も何回か(因みに全てに〈末母〉とではある)、試した事はあるけれど、その都度、言い様の無い後味へと陥った。今や遺伝関係なんて無いも同然に、全てが〈太母グランマ〉の仔等だと言うのに──


(尚、“言い様の無い後味”と、行為に伴う快楽に関しては、全く別の問題である──彼氏は随分激しくて、時間の延長も行った。まぁ、そう言う事だ)

(──この詳細を語らない位の、慈悲なら然と持ち合わせている)


 実際、既存〈令嬢レイディ〉を、価格以外の理由で選択する人間は余り居ないらしく──(無礼且つ噴飯な話だが)──特に〈長母〉は不人気だとも聞いている。外面や体型の問題では無く、しとねでの性格/態度が苦手と言う話だが、それが良いと言う者も居るので、なかなかどうして人の趣向は分からない──人気絶頂は〈次母〉の為──(イェイ♪)──〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉も人の事は言えない立場では在ったけれど、他人は他人、/自分は自分、個々に好みは存在する。


 だからこそ(懐に余裕があるならば)、大勢が皆、代役造詣キャラメイクにて〈性交令嬢セクサリス〉を形作るのだ。自分の趣向に真に合致する相手と交わってこそ、真の快楽が得られるもの──等と〈LOVEラヴ紙巻シガレットを吸いながら、埃塗れの窓辺に佇み、外の景色/黄昏セピア色なる雨雲を眺めていた丁度その時、来客訪問の鐘が鳴った。


 灰皿に揉み消し、急ぎ歩み、機械操作で扉の解錠をし、紳士的態度を以って開けて遣れば、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉が手ずから指定した/今日の気分の理想像が、ニッコリ微笑み、見上げている──額広くも緩やかに蔦打つ、新緑色の長い髪/蒼く澄んだ、勝ち気な吊眼/小柄だけれど華奢では無い、俊敏な印象の美しき少女は、促される侭に一室へと踏み入ると、そのまま目当ての場所へと向かい、寝台ベッドの上に腰掛けた。再び扉を締めながら、彼氏はゆっくり歩き出す。“彼女”の髪色よりも昏く濃い眼が、その完成具合をしげしげと見詰め──指示通りの仕上がりである事に納得すると、側へと向けて近付いて行く。配送口からとは流石に行かない/時間も掛かる造型物だからこそ、再設計チェンジは出来れば控えたい──逸る気持ちを指先に込め、自身の上着を脱いで行く。ふぁさっと寝台ベッドの小脇へと放り捨てると、“彼女”の隣に腰を下ろし、じっと視線を重ね合う。

 青と緑と、二つの瞳が交わって──

 そうして外側だけで無く、中身の方/ドレスの下もどうなっているのかと、確認を始めた〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は、それと同時にもう一つの難へと、後者の方へと想いを馳せる──〈性交令嬢セクサリス〉に与えられた目的には、性的快楽の為だけで無く、精子採集の意味合いも在る。人形との諸行為にて生殖は出来ないけれど、白くベタつく“付属物”を利用する事で、間接的な生産は行える、と──それに対して想う所在る者も少なからず居て、拒む事も可能ではあったが、それには別の費用が掛かるし、保護者としての責務は〈太母グランマ〉の/〈唯都シティ〉の/〈マザァ〉のものであるならば、実際に拒否する市民は極僅かである。彼氏もまた、特に〈否定ノゥ〉とは選んでいない──が、それでも考えずには居られないのは、滑らかな人肌の合間合間に触れられる、球体関節の感触の為か、或いは昨夜に三適も滴らせた(効果は上がるけれど用法用量の範囲外である)〈入没インジャック〉用認識拡張剤が今更ぶり返し、眼窩を通して脳に悪さをし始めたのか──


 唇と唇/本物と其の同然とが触れ合う中で、思考は遠く、俯瞰する様に、連なる疑念へと飛躍する──今、腕の中に居る此の少女は、確かに少女の様に見え、その名もずばりの〈性交令嬢セクサリス〉だけれど、しかし外観が少年で合っても、全然全く構わないのだ──嗚呼いや、己の趣向の話では無く、詰まりは呼称と仕組の話である。【SEX:FEMALE】のFEさえ無かったら、何もかもが全て真逆になっていただろう、と──即ち何の話かと言って、求める市民が男性であるとは決して限らず、女性であろうと利用は出来る。〈令嬢レイディ〉の名は便宜的な代物/基底が〈太母グランマ〉に在るが故で、女型も男型も大差は無い。所詮しょせんはそう、付いているか/いないかに過ぎず、其方の既存雛形テンプレートだって選り取り見取りだ──実を言うと〈三姉妹〉は、〈三兄弟〉の方が人気も需要も在る程であり、酒房パブで聞いた話に拠ると、其処での上位トップは〈末母〉であると言われている(──……──)。


 ただ、その場合、例の採集をどうしているのか、詳しい事は分からない。〈マザァ〉なる子宮こそ生殖施設ならば、やはり卵子を採っているのか──受け入れ/受け止める為の〈袋〉を裏返し、そのまま逆転させた様な、/凹を凸へと変えた様な、そんな器具デヴァイスを用いる事で──〈鳥〉が甘藍キャベツを啄むにも酷似した……


 ──そんな下らない空想は、両頬にそっと触れて来る、節くれ立ちつつも暖かな両掌が、あっと言う間に払拭してしまう──『私を見てWATCHME』とでも言いたげな、憂いに潤む瞳を見下ろし、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は笑みを浮かべた。

 そうとも、絡繰なんてどうでも良いじゃないか。今は只、この美しい“彼女”との情事にをこそ集中しよう──と、腕を回して顔を埋めつつ、布団被って行為へと耽る──決してお安くは無いのだからと、最後の理性が囁くに任せ──


 ──雨脚は未だ衰える事無く、寝台ベッド脇の窓硝子を、強く強く打ち据えていた。


【チャプター・029/049 図書館遠征グーゴル・エクスペディション


 ──階段の無い、昇降機エレベータにて〈地下階層〉へと降り、廊下を歩いて行く其の最中、教師(代役ボット)が見ていない隙に、美味くも無ければ不味くも無い/が、『私を食べてEATME』の刻印だけは頂けない、棒状形成加工食糧を無理矢理嚥下し、今日の昼食を早々に済ませると、〈オリヴィア・ヘイリング〉は、学舎付属図書館の自動扉を潜り抜けた──飲食/騒動/汚濁厳禁である室内には、人気と言うものが殆ど無い。これは今が昼休み時間の、開始も開始だと言う事もあるけれど、機構の性質に拠る所の方が大きいだろう。〈唯都シティ〉と〈太母グランマ〉は不可分であり、各種施設は〈マザァ〉の子機だが、取り分け図書施設には其の傾向が強い。


 只々増え続ける〈過去〉の知識を、逐一全て保管する為には、紙媒体では余りにも小さく、/狭く、/そして余りに脆かった。資源欠乏の問題もあれば、『本』とは即ち算譜術式プログラムに於いて他ならず、必要の生じた其の時々にて、再生利用可能な打刻紙片パンチカードへと入力され、懐中算譜機アルバート等へと出力されるべき代物である。

 それでも物理的接触が齎す一種の刺激を欲して、紙媒体を好む者も居るが、それはあくまでも“享楽”であり、情報閲覧と言う、本来の目的とは趣を異とする──長々と語ったけれど、要するに図書施設とは、〈太母グランマ〉直結の巨大算譜機械コンピュータと、無数の端末装置デスクトップの一塊であり、空気は絶えず清浄にして冷却処置が行き届き、万が一にも熱や塵での欠陥が起こらない様、細心の注意が払われている──人体より寧ろ機械の方を優先する、世にも珍しい領域に於いて、〈オリヴィア・ヘイリング〉は、ぶるっと背筋を震わせた。用の無い者/殊に学童パピルなら滅多に寄り付かない場所ではあるが、幸か不幸か、彼女にはちょっとした用が合った。


 ゴゥゴゥと、微かに震える歯車の軋みと、空調装置の息吹の中に、カツン・コツンと、良く響く靴音を新たに交えながら、端末装置デスクトップへと向かって行く。

 そのまま椅子に腰を降ろし、打刻鍵盤タイプボードをラタタと操作し、灯る画面モニタの様相に従って、望む知識への合言葉を、検索御言葉ワードを打ち込んだ──即ちはそう、


【〈ペイル・ピット〉


──は、所謂いわゆる一つの〈物語随行式役割演技ロール・プレイング・遊戯ゲェム〉=〈語式演戯ロウプレ〉である──〈行使者プレイヤ〉は『神の血を受け継ぐ英雄の末裔』を〈登場人物キャラクタ〉として、『狂える造物主を〈深層〉に封ずる/九層に分かたれた巨大な竪穴』=即ち〈ペイル・ピット〉へと侵攻し、迷宮と化したる内部を探索の末、(封印が半ば解かれてしまった)神と戦い、以って此れを打ち倒し、〈結末エンディング〉を迎える──瀕死の神を前として、〈行使者プレイヤ〉には、=〈登場人物キャラクタ〉には、二つの『選択』が提示される──主に真なる死を与えるか/敢えて見逃し立ち去るか──前者の場合、既にして封印の効力は無く、息の根を止めるより他には無いが、それは被造物の崩壊を──世界の終わりを意味している。誰かが代わりと成らねばならぬが、相応しい存在は一人しか居ない── 後者の場合、人類に対する実質的な裏切りであり、その報いとして、何れ造物主は完全に蘇り、全てを滅ぼす〈未来〉が告げられる──一見すると真逆の二択だが、実際の展開は同じである──新たな神に相成ろうとも、旧き造物主に滅ぼされようとも、待っているのは『繰り返し』、世界を造り直しての『繰り返し』であり──〈結末〉の分岐と到達を経て、遊戯ゲェムは諸々継続した上での“始めからリスタート”──宣伝文句に在る様に続いて行く。


『〈ペイル・ピット〉に底は無い。貴方が決して諦めない限り──』】


 画面モニタ上に表示される、概要と解説の文字、文字、文字──遊戯ゲェムとして面白そうかどうかと聞かれたら、訳が分からないと応えた所だ。

 (真に残念な事ながら、)〈オリヴィア・ヘイリング〉に其の手の“享楽”は皆無であり──敢えて感想を述べるとすると、


「……難しいわね」


 その一言へと尽きるだろう──少なくとも、自分で遣りたいとはまるで思えず、同級生達がどうしてあんな風に熱中出来るのか──それも実際に〈行使プレイ〉している訳でも無い、文字ばっかりの小説を通して──全く理解出来なかった。

 尤も、此の遊戯ゲェムに関して興味を抱いたのは、遊戯ゲェムそのものでは全く無い為、どの様な感想を抱こうとも、まるで関係して来ない──打刻鍵盤タイプボードを更に叩き、追加の御言葉ワードを加えよう──〈サキシフラガ〉。それこそが彼女の本命である。


 そうして開示される知識の数々は、文字を介したものだけでは無く、無数の画像/動画も伴うものであり──〈入没インジャック〉用認識拡張剤が手元に無いのが惜しくなる程度に、満足の行く様な内容だった──それ以上だとも言って良い。


 〈オリヴィア・ヘイリング〉がどうして其の〈登場人物キャラクタ〉に惹かれたのか──一言で言えば“見た目”であり、特に其の表情/憂いを帯びた、瞳の色が気に入った訳だけれど、実際の遊戯ゲェムでの挙動には、更に魅せられる要素が在った。

 何をしているのかは定かでは無い──し、興味も無いのが正解だ──が、美麗と想う景観の中を、黒と白との風が如くに駆け抜ける姿は、/尾の様に揺れ棚引く薄桃色の三つ編みは、/美少年と呼んでも通ずる相貌は、こうして動いている所を見る方が、実に“様”に成っていると、彼女には良く良く感じられた。

 誤解を招きそうなので補足しておくと、それは、“そう言う”趣味と言う訳では断じて無くて──はまだ知らないけれど、好むとしたらまぁ異性だ──だから此れは単純に、美しいものを美しいと、そう感じているに過ぎない訳なのだけれど、少々ややこしい事実も付け加えるなら、が無い訳でも無い。

 “彼女”は〈姫〉──〈地下会合アンダーフォーラム〉の〈単彩娘々モノ=クローム〉──ならばこそ、

「……よし……」

 打刻鍵盤タイプボードを軽やかに叩き、〈サキシフラガ〉の〈行使プレイ〉動画を、打刻紙片パンチカードへと封印する──流石に容量が大きいか、複数枚に渡って吐き出される其れを、ピッと指で引き抜き、ポケットへ仕舞うや、もうこんな所に用等無いとばかりに勢い良くと立ち上がって──おっと、端末装置デスクトップに〈終了〉を掛け、証拠を消しておくのも忘れずに──カツンコツンと、自動扉へと向けて歩き出す。


 図書施設に居た時間は三十分程(なので、休み時間にはまだまだ余裕)だが、結局最後まで他者は現れず──無人の後方には端末装置デスクトップが居並び、最奥の壁面には算譜機械コンピュータの巨大なる〈筐体ハコ〉が、環状列石碑モノリスの様にと聳え立っている。


 一つ目を想す大きな起動灯ランプを、紅く紅く、爛々と輝かせて──


【チャプター・030/049 〈サキシフラガ〉執行ラン


 そして夜──自動灯ランプが灯り出し、雨に輝きが加わる頃。


 行為を成し、欲求を満足させた〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は、今日の〈性交令嬢セクサリス〉と添い寝してから恭しくも見送り帰還させると、(味気無い晩餐と言わば言え、)棒状形成加工食糧を口にしながら、〈入没インジャック〉への準備を行う。

 『〈常駐遊演道メニィアーケード〉へと向かう事はしない』、そう朝方辺りに誓いはしたけれど、〈行使プレイ〉自体をしないだなんて、そんな事は想っても居なかった。慣れ親しんだ部屋の中、時が過ぎるのをヌクヌクと待ち、美味しい料理と性交を堪能して、英気を養った今の彼氏は、遣る気も遣る気/充分であり──だからこそ、今宵は無謀を熟す気であった。今ならきっと出来る筈だと、無闇な核心が湧いていた。


 瓶詰め濾過純水ピュアウォータァを喇叭飲みしてから、〈入没インジャック〉用認識拡張剤の小瓶を取り出し、一滴、二滴──三滴、四滴と、瞳の上に滴らせる。用法用量を超えているが、これ位なら良いだろう、と、直ぐに顕れる視野拡大に、慌てて簡易〈入没インジャック〉用眼帯シェイド画面モニタで目元を覆い、操作桿コントローラを然と握る。些か安価な安楽椅子へ、どっしり腰を据えてやると、画面モニタに合わせて指を動かし、勝手知ったる遊戯ゲェムを起動する。


〈PALE PIT〉

〈PRESS ANY BUTTON〉


 題名タイトルは音も無く変化を迎え──

 そして気付けば眼前に、終わらない宵闇の昏き墓所地/〈第四層〉の様相と、〈記録の石碑〉に背を預け、夢ならぬ夢へと耽っている、内なる分身の〈サキシフラガ〉──昨夜の狩猟を終えた時と、変わらぬ光景/保存済みの光景が其処に在って──その『背後』より見守っている、〈行使者プレイヤ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉が指示を出せば、“彼女”はゆっくり立ち上がり、行為を成すべく動き出す。

 そのまま一歩、二歩、三歩と歩いて(歩かせて)から、素早く巧みに指を奔らせると、一撃二撃、三撃四撃、五撃六撃七撃に、オマケの八撃九撃と、虚空へ向けての攻撃が繰り出される──〈死滅の短剣〉×二本を用いた、軌跡が青々と刻み込まれた/(実務よりも見栄え重視な)準備運動に満足すると、〈行使者プレイヤ〉は操作を続けて行く。〈登場人物キャラクタ〉をくるりと反転させ、〈記録の石碑〉が袂へと進ませて──合わせて彼方の右親指が、操作桿コントローラの〈決定〉鍵を押すならば、“彼女”は静かに其の場へとしゃがみ込み、両手組んでの祈りを捧げ出す──瞬間、中空へと突如として表示される無数の『項目』欄は、世界(観)からは多少ともに逸脱する/許容された遊戯ゲェム内での各種操作をこそ顕している。


『此れまでの旅路を記録する(要:特に無し)』

『装備品を変更する(要:特に無し)』

『道具類を保管する(要:特に無し)』

『内なる神の力を強化する(要:【経験点】)』

『新たな技能を獲得する(要:【経験点】)』

『道具類を創造する(要:【経験点】)+各種素材』


 等などと──続いて行く内容の其の一つに、『他の〈記憶の石碑〉へ移動する(要:特に無し)』を見出せば、更に其処から目当ての移動先:〈氷堂前の石碑〉を、即ち〈第九層〉〈首魁ボス〉待機場直前のものを選択しよう。


 刹那、創造主の御力が具象した(設定の)輝きが、〈石碑〉の内側より迸り、祈り続ける〈サキシフラガ〉の身を、静かに柔らかく/(背景音も皆無の)穏やかさでそっと包み込んだ──そうして視界は暗転し、一時の小休止とばかりの暗闇が続く中、意識せぬ意識は蠢く歯車達が噛み合う音を、算譜術式プログラムの反応を感じていて──瞬きする間に舞台は変わり、雪と氷が辺り一帯を覆っている。


 解けざる永遠の氷の渓谷/〈第九層〉が最後の〈石碑〉其の前にて、“彼女”は独り佇んでいた──立ち上がって振り返れば、大いに見覚えのある広場が在ったけれど、既にそちらへの用等無く──毎度に思う、『二度と御免だ』──目的の場所は翻った前方、白々しくも凍て付く岩壁へと、深々穿たれた洞穴の方だ。人一人がやっと入れる位の其れは、岩肌も剥き出しに氷石が転がり、今にも崩れ出しそうな装いだが、そんな事は絶対に無い。十二回も──実際の所は其れ以上に──辿った道であるならば、〈罠〉が無い事も承知している。そこが一本道であり、降りながらに進み行く先にこそ、〈首魁ボス〉が待ち構えている事も──


 故に、潜る──それが今回の狙いであれば、〈サキシフラガ〉に躊躇は無い。脚場悪いのは見た目だけの、(算譜術式プログラム的に)舗装された道程を進む。

 この辺りで〈行使者プレイヤ〉の意図を察し始めたのか、視界(画面モニタ)片隅の『瞳』/【の数字】も、俄に上昇の兆しを示し出し──〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の口端が上がった。今の時分、〈ポート〉は当に締められており、〈行使プレイ〉出来る環境には、自ずと制限が掛けられる、と、言うか、実質的には『自室』の一択だ。

 そして、その一択は、〈首魁ボス〉と戦え、/更に倒せる環境では無い──つまり、其れが成されたならば、快挙であると言う他は無い。重要局面に対して通達が送られる、そんな設定をしている者も少なくないのか、『瞳』/【の数字】は目に見えて増え始め、声ならぬ声すら聞こえて来そうだ──〈サキシフラガ〉が〈首魁ボス〉へと挑むぞ──本当か──『十二周目』の〈第九層〉の──あの強敵にか──私は自力で拝めても居ないのに──でもまさか──けれど、もしや──


 とは言え──眼帯シェイド画面モニタに於ける視野と聴域は、如何にも心許無いものであり、我乍ら此れですんなり上手く行くだなんて、終ぞ/到底、思えなかった。(用法用量内であれば絶対/確実に安全な)〈DROWNME私を流して〉の過剰投与とて、効能には限度が存在するし、思い返すだに此れまでだって、そんな【経験点】は獲得していない。正真正銘、これが始めての〈行使プレイ〉である──にも関わらず、何故その様な暴挙に出たかと、考えて見れば不思議である。例え失敗したとして、/敢え無く〈死亡デッド〉してしまったとしても、何等の制限を受ける事無く、〈記憶の石碑〉から蘇り、繰り返し繰り返し、挑み直す事は出来る、けれど、戦闘は全て“始めからリスタート”だし、情けない活躍を晒した日には、容赦無い【批判点】が〈唯都シティ〉中から押し寄せるだろう。【功績点】目当ての曲芸に対し、多くの“観客”は手厳しいものだ。真剣に、/真摯に探索行クエストを試みてこそ、評価と恩寵に値する──〈ペイル・ピット〉に関して言えば、普通の遊戯ゲェム以上に、その傾向が強く、況してや彼氏は一廉の人間/ちょっとした議論にだって発展し得よう──喫茶店で/酒房パブで/往来で/自宅で/便箋間で/〈トーキング・トーテム〉の各種〈部屋〉で/算譜機械コンピュータ遊戯ゲェム専門の〈啓示板〉で、〈サキシフラガの難在る主人グランドマザァ・ハッカァ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の名が語られる──


(まぁ最終的な『計画』としては、そうで無くては困るのだけれど──)


 だから、そう、この行いが無謀である事は間違い無く、ならば何故? と言う様な自問自答へと舞い戻る訳だが──強いて言うなら、あの名も知らぬ〈性交令嬢セクサリス〉との逢瀬の所為である事が言えただろう。想い返すだに、“彼女”は実際『当たり』だった──鼻孔をスンスン引く付かせれば、雑多な自室に籠もる臭気と、夜雨の湿った気配を超えて、芳しく甘い残り香が感じられ、一瞬現実の方が押し寄せる程に──半ば無為な、/心往く侭での代役造詣キャラメイクの割には、実に、こう、相性が良かった。次も此の娘に致そうと、『お気に入り』へ保管してしまった程度には、“彼女”の事を好いていた──一目惚れと言ったって良い。


 無意味なる脂肪の削がれた肢体──自然の草木に連なる少女髪──

 そして瞳──あれこそ正に根源だった──今は何処にも存在しない、〈猫〉の眼を想起させる──魅惑的で、だが、手の出し様の無い様な──あの瞳。

 あの、瞳──


 何と成れば、まるで催眠術の様じゃないか、と、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の相貌は苦笑いの表情を創り出す──(正に催眠術だなんて思いもしないで)──間にも、其の指は終始操作桿コントローラから離れる事無く、呼吸をするのが当然である様な操作で以って、〈サキシフラガ〉を目当ての場所へと誘った。


 氷の洞穴を潜り潜り、潜り抜けた其の先には、同様の趣の空間が、身の丈を遥かに超えて拡がっていた──視点操作と共に、自分の首も一緒に傾ければ、其の寒々とした広大さが、嫌でも視界に飛び込んで来る──何度訪れたのかも定かでは無いが、その都度こうして見上げてしまう、そんな視線の其の先に、一つの異変が沸き起こった──『〈登場人物キャラクタ〉が地点Xへと到達した』情報が歯車を介して伝達され、或る指令コードを/或る算譜術式プログラムの反応を呼び起こす──中空に発生する白い濃霧、渦巻きながらに拡散しつつ、まるで型へと嵌め込まれる様に、人の姿へと凝固して行く──其の姿は正確に言う所の異形であり、人型そのもの/人間そのものであるとは言い難い。招客人形マヌカンが如くの輪郭のみに、/部位の在らざる人影は、〈サキシフラガ〉の十倍は巨大な、氷の塑像の様だった。全体としては、氷柱を想わす鋭角な痩身であり、腰から脚元までにハラリと伸びる霜の膜や、微妙な体型の凹凸に拠って、女性的な印象を与える──狂える創造主の隠された正体=“彼女”が“彼女”である事の伏線として、どの〈階層〉で在っても何らか共通の造詣デザインを備えた〈首魁ボス〉は、凡そ五秒の間を以って、角の如く顕現した──時には既に、〈登場人物キャラクタ〉は全力疾走を始めており、其の名前/〈玄冬の神子〉と、敵側の【生命力ライフ】を指し示す目盛バァが表示された頃合いには、〈死滅の短剣〉×二本の四撃目が、無慈悲に叩き込まれ終えている所だった。


 だが、浅い──複雑な計算式に拠って割り出される【損傷点ダメージ】は、割合的には軽微であり、【生命力ライフ目盛バァは、傍目には全く変わっていない──【持久力スタミナ】が持つ限界の九発目が、当たってやっと爪先である。数値だけ見れば、決して悪いものでは無い、けれど、彼我の差が余りにも在り過ぎた──一説に拠ると、『一周目』と『二周目』では、敵側の【生命力ライフ】が二倍近く違っており、『二周目』と『三周目』とでは五割増し、以降はそちらの係数で上昇して行く計算らしい。即ち『十二周目』現在は、『一周目』の凡そ十八倍と五割程にも成っている──筈だ、数学は余り得意では無いが──〈登場人物キャラクタ〉側に上限数値カンストが存在するのが、返す返すも可笑しい話だが、文句を言っている暇は無い──指を弾き、〈サキシフラガ〉を左方へ向けて跳躍させた、一瞬遅れて襲い来る氷塊を、まともに喰らえば、ほぼ一発で〈死亡デッド〉判定だ。その氷塊が、〈首魁ボス〉の周囲に無数に出現し、雨霰とばかりに降り注ぐ──のを、全力疾走で尽く回避する。【持久力スタミナ】を使い切れば、十発目以降にも攻撃を出来たけれど、余力が無くなっていたと言う訳だ。調子に乗って切り裂き続けていたならば、其れで正しく一環の終わり──上げられる所まではキッチリ上げた【敏捷アジリティ】と、(外観共々)気に入っている装備品:〈幻惑の白衣〉の御陰で、“当たらない”事それ自体は苦も無く行う事が出来る、けれど、それも(現実としての)【集中力フォーカス】と(現実且つ虚構の)【持久力スタミナ】が続くまでの話──計算が不得意な人間にさせる事でも無い。


 それでも〈サキシフラガ〉は氷塊を避ける──この攻撃には法則性パターンが在り、それに従い動いていれば、仕損じらない限りは仕損じらないし、一度や二度の(入力)失敗ミスなら、地力/自力で何とかなる(その為の〈役割状態パラメータ〉と言う訳だ、技能も装備も何もかもが)──その合間合間を縫う様にして、離脱と接近、交差、そして攻撃を繰り返す──爪の先程度の差異とは言え、〈神子〉の【生命力ライフ】は確かに削れており、時折入る〈致命の一撃クリティカル〉が、目盛バァの減り具合に拍車を掛ける──此処までは良い。文句無しに順調で、歓声すら聞こえて来そうな程である。

 そんな目盛バァが十分の一程度削れた時、氷塊の雨が降り止んだ──のを認めるより早く、〈行使者プレイヤ〉〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は操作を終えている。後方跳躍バックステップを幾度と無く行い、彼我の距離を一気に離す──〈サキシフラガ〉へと追い縋る様にして、静から動へ、両の手を大きく拡げた〈玄冬の神子〉を中心に、冷気の波が、青白い半球状の可視光線として展開され、戦乙女の眼前にて停止した──喰らっていたら“(停止)させられた”であり、身動きの出来ない所を情け容赦無くも襲われていた。『一周目』ならば耐えられても、『十二周目』なら、そうも行かない──だが、何とか間に合わせた。法則性パターンに加わった新たな内容は、以前よりもずっと厳しく、うっかり指を滑らせる事も出来ない訳だが、見覚えは確かにあるものでもある。一定の周期で展開される“大寒波”への退避も織り交ぜつつの攻撃、回避、攻撃、回避、回避、回避、回避、回避──『瞳』/【の数字】も刻一刻と上がっていく中で──攻撃、の果ての更なる【生命力ライフ目盛バァが減衰を経て、〈首魁ボス〉の法則性パターンはまた変化し、手数が増え、〈行使者プレイヤ〉と〈登場人物キャラクタ〉は其れに対応し──後はその繰り返し/繰り返しに過ぎないと言えば過ぎないが、如何なる物事にも限度はあり、機械で無い以上は失態もし得る──“〈虫〉が混じらない”という条件に於いて──即ち、にも関わらず続いている〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉の〈行使プレイ〉は称賛に値し、並大抵では決して無い。それが〈入没インジャック専門算譜機械コンピュータ施設を使っていないならば尚の事/点眼薬の効き目は在れど、普通の人間は此処までも行けない──思わず笑みが零れ出る。【功績点】も相応に、だが、そう言ったものだけでは断じて無い/数値に出来ない満足を感じていて──


 ──それが油断へと繋がったのは、【生命力ライフ目盛バァが十分の五程度の、つまりは半分程にまで削れた頃合い──最早吹雪と呼んでも過言では無い、降り注ぎ、/吹き荒ぶ氷塊が地面へと衝突し、逆しまの氷柱と成って〈首魁ボス〉へと収束してから、冷気の光として拡散する、其の法則性パターンに挿入されたのは、此れまでの『周回』には無かった行動──拡がって行った“大寒波”が、今一度〈玄冬の神子〉へと掻き集められる、その初見の挙動に対し、攻撃へと転じようとしていた指を食い止めるのは、残念ながら余りに遅く──渦巻く様に形成される/地面と水平に傾けられた、最早氷の槍と呼んでも過言では無い氷柱が上空に浮遊し、鋭く射出されたならば、〈サキシフラガ〉の左半身へと衝突し、貫通し、その小柄な(と、設定された)体躯を、氷堂の壁面目掛けて吹き飛ばす──流血/損傷表現は伴わず、凍て付く壁の方には崩落痕も、小石一つ分も崩れぬ侭に──それだけで、/たったのそれだけで、視界横軸を貫いていた【生命力ライフ】の紅い線は、右から左へと一気に掻き消え、黒々とした目盛バァの空具合を曝け出した──遺っているのは爪の先程だが、遺っているだけでも有り難い話であり、また当然の話とも言える。

 こんな事も在ろうかと、一撃での〈死亡デッド〉を無効化し、数値で言えば一点の【生命力ライフ】を与えてくれる〈忌死の指輪〉を身に付けていた──発動するのは只の一度、使用されたら其れまでの超々希少品であるならば、使わずに越した事も無かったのだけれど(何せ『周回』を繰り返し繰り返している〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉でさえも、僅かに三個しか所持して居らず、しかも此れで二個となった)、其れで〈行使プレイ〉時間を延ばせると想えば、まぁ──悪くない代価と言えるだろう。観客の方も盛り上がった筈だし、【功績点】も期待は出来る──“勝てたら”であるのは無論の事、/此処まで来てしまったら、もう勝つより他には有り得ない。仮に此れから〈死亡デッド〉して、再度対決へと向かうには、流石に心身が厳し過ぎる──等々と言う、益体も無い思考の数々こそ、〈行使者プレイヤ〉としての焦りと怯えと、そして怒りを露わにするものだった。

 何処か遠くより聞こえて来る、何度も/何度もの舌打ちを、自身が発しているだなんて自覚も無い侭に、汗ばんで不快な桿を操作し続ける──連打連打、只々連打しているのは、〈回復薬〉を用いる為だ。

 どうやら呑んでいる挙動にて、〈サキシフラガ〉の【生命力ライフ目盛バァが、グングン元に戻って行く。〈指輪〉は実に勿体無かったが、〈薬〉は希少性なんて全く無い、数を揃えるのが面倒なだけであり──その間にも飛来する氷塊を、半ば避け、/半ば避けろと祈りつつ、此処ぞとばかりに消費する。中途半端に癒やした所で、どうせきっと無駄であろう、遣るなら全快を目指すべき──そして紅線が満たされるのと、再びの氷槍が射出されたのは、殆ど同じ瞬間の事、/けれど今度は経験済みなら、迂闊に突っ込む事なんてせず、“眼で見て”避ける事が出来た──何処か遠くの見知らぬ方にて、安堵の吐息が溢れたけれど、此れは只の一難である。彼の地の〈首魁ボス〉、〈玄冬の神子〉は未だ健在であり、【生命力ライフ目盛バァは(当たり前にも)半分の侭──つまりはやっと折り返しであり、更には苛烈へと成って行こう。油断は出来ない──もう、二度とは。


 〈行使者プレイヤ〉の其の想いは操作桿コントローラを伝わり、〈登場人物キャラクタ〉へと確かに通ずる──氷塊の嵐が再開すると共に、〈サキシフラガ〉は疾駆する。常に真剣なる碧い瞳を、益々鋭利に輝かせる、そう見える程の操作で以って、〈行使プレイ〉で以って、離脱と接近、交差、そして攻撃とを繰り返し繰り返す──法則性パターンに従った、とは言え、/いいや、だからこそ、今や“彼女”の動きは舞であり、見る者全てを魅了する──最早吹雪と呼んでも過言では無い、降り注ぎ、/吹き荒ぶ氷塊が地面へと衝突し、逆しまの氷柱と成って〈首魁ボス〉へと収束してから、冷気の光として拡散すると共に、“大寒波”が、今一度〈神子〉へと掻き集められ、渦巻く様に形成される/地面と水平に傾けられた、最早氷の槍と呼んでも過言では無い氷柱が上空に浮遊し、鋭く射出された其れが、被弾箇所へと深々と突き刺さってから緩やかに花開き、凍て付く棘を無数に放つのと合わせる/挟み込む格好で、再度の吹雪が齎される、その様な恐るべき繰り返しの中を、薄桃色の三つ編みこそが、〈馬〉の尾が如くと振り乱される──幻画キノで見た覚えの、猛々しくも美しき姿だ。


 上下左右に、/縦横無尽と、ぐるりぐるぐる“視座”を廻し、避けて避けて、また避けながら、一瞬の隙を付いて反撃を試みる、自らそれを法則性パターンと成し、【生命力ライフ目盛バァを削ぎ取って行けば、自ずと時間も、/そして意識と、体力すらも奪われるが、此処まで来たなら構いはしない──想う所は多岐に渡る、けれど、この一瞬だけは何もかもがどうでも良い──どうでも良い、どうでも良い、何もかもがどうでも良いと、想う事すらもかっ飛んで行く、捲り目眩く視界の内に、指を弾いて〈行使プレイ〉を続ける──続ける/続ける/続ける/続ける──


 その、永遠にも感じられる時間の果て、/操作の果て、/無心の果て、に──


〈LIFE IS ROUNDED WITH A SLEEP.〉


 何時、相手の【生命力ライフ目盛バァが空っぽと化したのか──何時、〈玄冬の神子〉名称が消失し、其の実体の方も咆哮と共に崩れ去ったのか──更には何時、〈サキシフラガ〉の方も瀕死の寸前にまで追い込まれたのか──全て何もかもが曖昧な侭に、〈首魁ボス〉撃破を告げる大文字の宣言が、中空に高々と表示される。

 『命は眠りと共に終わる』。意味深長だが、誰にも所以の分からぬ言葉──


 そして〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉が直後に成した筈の事柄──〈亡骸〉と言う〈記憶の石碑〉へと“彼女”を近付け、祈りを捧げ、以って此度の〈行使プレイ〉を記録し、〈戦果リゾルト〉を確認してから、正規の手段で以って算譜術式プログラムを終了する事柄──もまた、やはり不確かなものである内に、彼氏は眼帯シェイド画面モニタを外していた。


 フラフラと、/充血し切った緑眼をこすりこすり、寝台ベッドの方へと向かって行く──狭苦しい筈の『筐体ハコ』は、嫌に広く、大きくと見え、床は絶えず揺れている──即ち我等の〈サキシフラガの難在る主人グランドマザァ・ハッカァ〉、〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉は計算が不得手だった。二滴でも充分な点眼薬を、四滴も垂らしたつもりだった、が、実際にはもう二滴程も垂らしていた──バフっと布団に其の身を埋める、うつ伏せに、顔も枕に押し付けた格好で、視界の端に垣間見えるは、黄昏セピア色に煌めく朝の輝き、ぐるりと大地の下を一周して、再び顔を覗かせた太陽の、目映く刺す様な、鬱陶しい陽光──何時の間にやら雨も止み、外からは羽撃き機械オーニソプタァやら路面駆動車やら何やらの騒々しい音が響く、と、言うのは、夜が明ける程までの長時間〈行使プレイ〉──と、認めるよりも早くに意識が途絶えた。


 目覚めを待ち侘びる、その前に、一言添えて置くとするなら──〈入没インジャック〉用認識拡張剤は、絶対/確実に安全です──用法用量内で在る限りは。

 用法用量内で在る限りは──


【チャプター・031/049 企ての実行(並列処理)】


 〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉が寝込んでも尚、〈サキシフラガ〉はそのままだった──記録の保存は行っており、後は『この遊戯ゲェムを終了する(要:特に無し/必須)』を選択するだけにも関わらず、“彼女”は祈りの姿勢の侭に、もう何時間も、じっとしている──使用可能時間と言うものがある〈ポート〉で在ったら、まず有り得ない、〈行使プレイ〉途中での離脱行為(所謂いわゆる一つの、『三月兎の穴堕ちフォール・アスリープ』と言うものだ)は、通常であったら大顰蹙であり、それだけで【批判点】は山と注がれる類の行いである──が、しかし、今回に限って言うならば、それは大した論点でも無い上、やはり自宅での〈行使プレイ〉だったと、/粗末な設備で挑んでいたのだと、高評価・高【功績点】へと通じている──お前が遣れと言われても、土台無理な話の訳だ(遣れた所で、どうなんだ、とは置いておくとして──)。


──それ故に、


『彼女そして彼氏こそが適任であると思われます。皆様、如何でしょうか?』


 〈トーキング・トーテム〉内に築かれた、(二重に)存在し得ない〈部屋〉の中で──〈ペイル・ピット〉の〈行使プレイ〉風景を今正に映し出す『額縁』を掲げながら、〈単彩娘々モノ=クローム〉は、(つまりは〈オリヴィア・ヘイリング〉は、)〈地下会合アンダーフォーラム〉に集まった御歴々へ向け、紹介を兼ねた推薦をし終えた所だった。


 白黒格子床チェッカータイルの〈部屋〉の中には、著名な〈反逆者ハッカァ〉の仕掛傀儡プレイヤ・パペットと呼ぶべき〈登場人物キャラクタ〉達が、其々個別の椅子に座って“彼女”の言葉を見聞きしている。

 数は結構なものであり、ぐるり眺めて二十三名、〈部屋〉に設定された人数制限、一杯一杯になるまで居並んでいる──衣服のみが中空に浮かぶ/実体無き紳士の〈サヴィル・ロウ〉──色彩が無いと言う一点を除く、絵に描かれる所の麗しき(そして個性が被っている)淑女〈クラウン・タウナー〉──大柄な人の身に奇妙な頭部/書に記されし災厄の象徴たる〈ヒポポタマス・ポルカ〉──尖った長耳と赤髪が印象的な妙齢女性である(あの)〈ルシアン〉──ドレスと半ば一体した、/腕代わりの翼が美しい女型の〈メレク・タウロス〉──錠前としか言い様が無い巨大な異様の〈チャブ・ロック〉──その異様すら軽々と超える、謎めいて紅い立方体状をした〈ストロベリー・ムーン〉──そして我等の主催・〈トリス・メギストス〉──その他諸々その他諸々。


 (詳細は情報漏洩を防ぐ為に秘匿されているが)全員が全員、この〈唯都シティアリス〉に対して想う所在る者であり、何らかの成果を、/功績を、つまりは支配に対する抵抗と反発とを、形として齎している──その様な者達を前に自説を論じられるとはと、〈オリヴィア・ヘイリング〉は微笑んだ──何の操作も受けていない、彼女の〈単彩娘々モノ=クローム〉は、相変わらずの無表情だったが。


(──因みに補足しておくと、此の場に居る〈登場人物キャラクタ〉達の凡そ三分の二は、算譜術式プログラムを基とする代役ボットであり、それを操作している〈行使者プレイヤ〉と言う者は、影も形も存在しない──為、特に名を覚えて貰う必要なんて何処にも無い──これは他の、/多くの名称に於いても言える事である。どうか注意して頂きたい)


(──ついで言って置くと、〈単彩娘々モノ=クローム〉の『自説』とやらが受け入れられている様に見えるのは、“彼女”が〈姫〉として持て囃されている──即ち、〈オリヴィア・ヘイリング〉が、齢十五の、見目麗しき学童パピルである事が、概ね露見しているからであり、その内容については、然程関係無いと言える。彼女は秘匿しているつもりでも、傍から見たら明ら様だった──知らぬは当人ばかりである)


 その論じられた内容に関して言うと──それは〈反逆者ハッカァ〉達が企てている、或る『計画』に纏わるものだった。〈唯都シティアリス〉に君臨する支配者=〈太母グランマアリス〉と〈三姉妹〉を、如何にして出し抜き、打倒するかの『計画』である。


 此れまでにも、様々な方法が試みられ、内の幾つかを実行し、そして見事に挫折して来た──良い所まで言った一例を挙げると、各御家庭の配送口から、数種の化学物質を流し込み、大元の地下施設内にて自然に合一させる事で、密かに爆発物を精製しようと言うものがあったが、配送管内部を徘徊する清掃機械スウィーパァに拠って未然に防がれる結果に終わった(〈マザァ〉達の視点で述べて置くと、この試みは、混迷を極めていた管の配置・配列の現状確認/並びに、その最適化を行う上で、非常に役立つ【経験点】へと変わってしまった)──だからと言って、それで終われる筈も無く、〈反逆ハック〉行為は続けられる──人が人である限りは、だ。


 その様にして(性懲りも無く)企てられた『計画』は、『〈唯都シティ〉に存在する全ての算譜機械コンピュータは、〈マザァ〉機関を経て〈太母〉式算譜機械グランドマザァコンピュータへと繋がっている』事実に基づくものだった──即ち、どれか一つでも良い、/たった一つの算譜機械コンピュータが機能不全を起こしたならば、連鎖的に全ての算譜機械コンピュータが停止に陥り、以って〈太母グランマ〉は崩壊する──無論それは理論上の話であり、実際早々上手くは行かない、/全部が全部繋がっていると言う事は、末端に至るまで何もかもが〈太母グランマ〉に等しい訳だから、其の一つを陥落させるのすらも容易では無い──が、しかし、行える/可能であるのは間違いないのだ──ならばどうして遣らないのか?


 そうして立案された『計画』に於いて重要となる要素は、何を以って、/誰を以って機能不全へと貶めるのか、其の一点に尽きると言える──〈反逆者ハッカァ〉達が直接動くのは、警戒されている為に難しい。物理的なる算譜機械コンピュータの破壊は、切断を齎すだけで意味が無い。侵入用算譜術式プログラムの困難さは、先に告げた通りである──その他諸々その他諸々の検討の末、導き出された解答とは、正規の手段・手法に拠って多大なる負荷を発生させ、断絶を産む事無く崩壊を浸透させる事であり──〈入没インジャック〉用算譜機械コンピュータ遊戯ゲェムの著名な〈行使者プレイヤ〉を其の役割に仕立て上げる事が、具体的なる其の内容だった。あの手の遊戯ゲェム算譜術式プログラムが及ぼす影響が多大であるのは周知されており、其れに処理能力を凌駕する〈行使プレイ〉やら、大勢の“観客”が〈登場人物キャラクタ〉に注目する“視線”やらが加わって行けば──理論上は、だが、誰に其れを担わせるかが、更なる問題と成っていた訳だ──今日この日/この時/この瞬間、〈単彩娘々モノ=クローム〉こと〈オリヴィア・ヘイリング〉が、〈サキシフラガ〉こと〈ブラン(ドン)・ベルゲン〉を薦める機会が訪れるまでは──


 所で彼等の『計画』の名は、〈飛んで火フライファイア〉と呼ばれている。


──と、言う訳で、彼氏、並びに彼女こそが、適任であると推察するよ──


 そう、そして、〈オリヴィア・ヘイリング〉がラタタッと打刻鍵盤タイプボードを叩いた寮施設が自室の遥か下/〈唯都シティアリス〉の〈最深部〉から、二番目に深い〈地下階層〉でも、〈計画を現に遂行する者グランドマザァ・ハッカァ〉が遂に選ばれている所だった。


 白黒格子床チェッカータイルの〈部屋〉の中には、円形照明にて浮かび上がった三基の仕掛傀儡プレイヤ・パペット=〈三姉妹〉の其れ等が立ち並び、〈長母〉と〈次母〉が見詰める傍ら、〈末母〉が解説を進めている──その両の手には黒の三角帽が握られており、回したり被ったり、また回したりと、散々弄んでいる最中であり──彼氏以外の候補者達は、此処まで至る過程の中、諸々の理由から除外されている──〈ホワイト・スタッグ〉/ジョシュ・グレイマンは次代の〈混入戦争〉への参加が決まっており──〈探索者クエスタァ〉/カレン・ピジョンは数十歳年下の恋人が出来た事で殆ど引退(彼女は今年で四十五歳だ)──〈ヴォクス=ヒュマナ〉/セオドア・リオンズは、『【功績点】を金銭で遣り取りする』違法行為の発覚に拠って〈登場人物キャラクタ〉削除の憂き目に合った(ある意味この騒動も、良い所までは言ったと言えるが、〈ニルヴァーナ・セカンド〉は主流遊戯ゲェムで無く、機会タイミングを逸したのも大きかった)──〈白金の右脚〉/デイヴィッド・トーマスの商売道具は、試合中の怪我が原因で、其の輝きを半ば永久に失ってしまった(正確に言うと、理由は試合そのものでは無く、審判を巡る乱闘騒ぎに於いてだが)─―その他諸々その他諸々、〈燃ゆる蝿ファイアフライ〉に相応しき者は、どんどん諸事情の元に消えて行き、残るはたった一人のみ、/独りの男へと、殆ど託された状態と成った──“殆ど”?

 そう、それでも万全を期する為には、最後の選別が必要であった。消去法では断じて無い、此れこそと言う理由が在ってこそだ、と──


──上と下と、二つの〈部屋〉での議論の結末は、同じ所へと行き着いた。

 同一の計画を担う者として、/同一の存在である者として、〈末母〉と〈トリス・メギストス〉──(つまりは〈三号〉である訳だけど)──は、其々の声音と言い方で以って、この様な結論を導き出したのだ──即ち、


『彼氏が真に相応しいかどうか──『十二周目』の〈深層〉で決しよう』、と。

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